第16話 ニフティーメル

『人生には山があって谷がある』なんて言葉はよく耳にするけれど、目の前に広がっているのが壁だった時はどうするのだろうか。

自分の力だけではどうにもできなくて、でも、自分が決断しなければならない時はどうすればいいのだろうか。

諦める?突き進む?立ち向かう?どれが正解なのかもわからない。

ニフティーメルのリーダー、アンネはそんな問題に一人で頭を悩ませていた。


「うーん…どうしたものかなぁ…」


アンネは普段から着ているダンスの練習着の襟元で口を隠しながら、どうにもできない問題についてぼんやりと考えていた。

口元を隠しているのは誰かに聞かれたくないというわけではなく、いつもしてしまう癖のようなものだ。むしろ、どこかの誰かが聞いて、親切心で助けてくれるのだったら万々歳で受け入れるだろう。


「はぁ……まあ、そんな簡単にいくわけないよね……」


アンネはふと思い浮かんだ淡い望みを打ち消すように深いため息をついた。

ここはレイルラン劇場の4階にある役者たちの休憩室。構造的に1~3階が劇場となっていて、その真上にある控え室のような場所だ。

普段は様々な劇団の人たちが沢山いるのだが、今日はほとんど姿が見えない。

寂しい、とアンネは素直にそう思った。

誰もいない部屋を眺めているとどことなく薄ら寒い気持ちになるため、自然と視線が下に落ちてきてしまう。そして、だだっ広い部屋の端にぽつん座り込み、頭の中から離れない悩みについて悶々と考え込んでしまっていた。

あれこれと方策を練るけれど、どれもこれも根本的な解決の糸口にすら繋がらない。目の前に聳え立つ壁は、やっぱりとても登れるようには思えなかった。

アンネがうんうん唸っていると、その様子を心配して、同じニフティーメルのメンバーであるティルザがすぐ隣に座って声をかけた。


「アンネ、そんなに気を張るな。舞台ライブに支障が出るぞ」

「ティルザ……うん、でも、いずれ向き合わないといけないことだから。それに私がリーダーなんだから、少しでも皆の助けにならないと…」


心配症なエルフの同僚に諭されながらも、アンネは考えることをやめようとしなかった。

逃げたくなかった。強く在るために。

そんなアンネの性格をよくわかっているティルザは落ち着かせるように優しい笑みを浮かべて、その肩に手を置きながら励ました。


「それはそうだが、まだ決まったわけじゃない。それにもし劇場が取り壊しになったとしても、別の街で始めればいいだけじゃないか」

「あはは……それは、まあ、そうなんだけどね……」


ティルザの告げた言葉にアンネは思わず苦笑いを浮かべる。

少し突っ込みにくい核心をはっきりと口に出せるのは彼女の美点なのだが、こうも正面切って言われると反応に困ってしまう。特に今回はかなりデリケートな問題だから尚更だ。

けれど、ティルザの言葉はたしかに的を得ていた。

ニフティーメルが直面している問題の一つの答えと言えるだろう。

だが、アンネはまだそれを受け入れられていなかった。だから親身になってくれている仲間にも、少し困った表情を浮かべることしかできないのだ。

すると、話し始めた二人につられるように、他のメンバーも集まってくる。


「ほらほ〜ら、ティルザはそうやってアンネを追い詰めないの!言いたいことがあるなら、メイが聞いてあげるから」

「む、しかし、話をはじめたのはアンネの方だ。ならば然るべき提案をしてやるのが友人であり、仲間である者の務めではないか?」

「ティルザ、メイナの言う通り。今は、ダメ。アンネが困ってる」


美しい赤毛を首筋で左右に結わえたツインテールが特徴的な小人族レプラカーンの少女―――メイナがティルザを叱りつけた。

そして、それに続くように、腰まで届く艶のある黒髪をなびかせ、落ち着きのある目鼻立ちから幼くも大人びているようにも見える不思議でおっとりとしたヒューマンの少女―――ノエルが念を押すようにティルザをたしなめる。

一度はメイナに言い返したものの、ティルザはノエルの言葉を聞くと急にしおらしくなった。


「そ、そうか…。ノエルがそう言うのならば、控えておいた方がいいな…。すまなかった」

「ううん…私が煮え切らないのが悪いんだよ…。皆に心配ばかりかけさせちゃってる……」


生真面目なエルフの友人の陳謝に、アンネは弱弱しい笑顔を浮かべながら再び俯いてしまう。

ここに集まったアンネ、ティルザ、メイナ、そして、ノエルの四人で“ニフティーメル”だ。

魂を共有する友であり、共に戦う仲間。それが彼女たちの関係性だった。

結成してもうすぐ一年となるアイドルグループは、今まさにエルネストリアにおけるアイドル文化の中心地となっている。

舞台ライブをすれば飛ぶようにチケットが売れ、街中ではそこかしこで彼女たちの曲が歌われる。そんな偶像であり現実でもある魅惑の存在“アイドル”そのものだ。

しがない新興文化の一つでしかなかった“アイドル”が多くの市民に知られるようになったのも彼女たちの力による部分が大きいだろう。


しかし、そんな順風満帆に見えるアイドルたちも決して楽な道を歩んできたわけではない。様々な障害を乗り越えたうえで、今の輝かしい舞台ステージの上に立っているのだ。

そして、見ての通りだが、ニフティーメルは厄介な問題を抱えてしまっていた。

それがさっきから話題に上がっている、ニフティーメルが活動拠点にしているレイルラン劇場の取り壊し問題だ。

正式に決まったわけではないが、支配人から暗に別の場所での活動を促されていることから、かなり現実的な話なのだろう。

もし取り壊されるとなれば活動拠点を移さざるを得なくなる。場合によっては、この街を離れなければならなくなるだろう。

だが、それ自体は決して珍しいことではない。

いくら知名度が上がってきているとはいえ、“アイドル”という目新しい文化はまだ大衆から受け入れられていないのだ。

ただ、悲観することばかりではない。色々な街を行脚する劇団と同じように特定の拠点を持たずに各地を転々とするアイドルも多く、ニフティーメルのようにそれなりに名前が売れているグループならば苦労することはないだろう。

しかし、それ以上にアンネを悩ませているのは、この問題についてニフティーメルの中でも意見が割れてしまっているということだ。


「なぁ〜んでメイの言うことは信じてくれないかなぁ〜。ちょっと傷付いちゃった…」

「す、すまない…!そんなつもりではなかったのだが、つい…」


あからさまに拗ねるメイナの姿を見て、ティルザが申し訳なさそうに謝った。

ティルザはいつも凛とした態度で、エルフ特有の気難しそうな外見からくる高圧的で近寄りがたい雰囲気を纏っているが、ただ単に馬鹿が付くほど真面目なだけなのだ。

逆にメイナは可愛らしい見た目に反して気が強く、自分よりも一回り大きいティルザに対しても全く遠慮することがない。むしろ目の敵にしているぐらいだ。

そして、抜け目がない小人族レプラカーンの少女は相手が下手に出たのを見ると、大袈裟に手を広げて責め立てる。


「はぁ~あ、ほんっとティルザってば、ノエルにだけは甘いんだから。少しはメイのことも信用してよね」

「……それはメイナが普段から私をからかっているからだろう。信頼とは積み重ねによって生まれるものだからな。それに私たちニフティーメルの今後を考えれば、一度この街を離れるのも悪くないと思っているのは事実だ」


メイナの余計な一言にティルザが鋭く切り返す。

だが、その言葉を聞いたメイナはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「また言ってる……。それはメイも否定しないけど、ここにはメイたちの思い出が詰まってるんだから、そんな簡単に決められないってわからないの?」

「む、だからこそ忌憚のない意見をぶつけ合うことで模索しようとしているじゃないか」

「だ〜か〜ら〜、それがアンネを追い詰めてるって言ってんの!」

「ちょ、ちょっと二人とも…!落ち着いて、ね?」


メイナとティルザの言い争いは徐々にヒートアップしていき、互いに今にも噛み付きそうな様子だ。

そんな言い争いをする仲間たちを目の前にして、アンネはあたふたとするばかり。

ただでさえ意見が分かれてしまう問題だ。リーダーであるアンネにはどちらか片方の肩を持つことができない。

そして、二人ともがニフティーメルのことを、アンネのことを想ってぶつかり合っているのだとわかっていた。だからこそ、先頭を切って進む道を決められていないアンネは自責の念を感じずにはいられないのだ。

すると、落ち込むアンネの横で傍観していたノエルがゆっくりと視線を上げる。


「………わたしは、この街を離れられない」


さっきまで口を閉ざしていたノエルの静かなつぶやきが部屋に響いた。不思議と耳に残るしっとりとした声に他のメンバーもつい口をつぐむ。

ティルザはその言葉に大きくため息をつくと、視線をメイナからノエルへと移した。


「ノエル、今は我が儘を言っていられる事態じゃないんだ。私だってここを離れたくはない。しかし、私にとって一番大事なのはニフティーメルとして皆と過ごす事だ。それはノエルだって同じだろう?」

「ティルザの言ってること、わかる。でも、ダメなの。わたしには、できない」


ノエルは申し訳なさそうに、けれど、はっきりと拒絶の意思を口にする。

普段は物静かなヒューマンの少女の言葉に、一同は二の句を告げなくなってしまった。

ニフティーメルが走り出してもうすぐ1年が経とうとしている中、メンバーたちは厄介な袋小路へと迷い込んでしまったのだ。

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