第9話 エルネストリアの魔術師(1)

酒場での一悶着を終え、イツキは足早にレナエルの工房へと向かった。

時刻はすでに昼を過ぎており、予定よりもずいぶんと遅くなってしまっている。


「あの癇癪玉が破裂していないといいが…」


イツキは一度機嫌を損ねると面倒な小人族レプラカーンの魔法技師を思い浮かべ、少し憂鬱な気分になった。

というのも、かつてレナエルの依頼を受けたジョーが約束の日時を間違えた時、それはもう凄まじい被害に遭ったと伝え聞いていたのだ。

自宅は跡形もなく消失。救出されたジョーは「向こう側の世界が…見えた…」と言い残して気を失ったという。

巷では爆弾とも魔法兵器とも噂されていたが、あの頑丈なジョーが全治2ヶ月の大怪我を負ったのだから、およそ人間が受けていい仕打ちではないのだろう。

そして、それなりに長い付き合いにはなるが、イツキは未だにレナエルの性格を図りかねていた。いや、レナエルに限らず、ほとんどの友人との距離感を掴めていないままだ。

しかし、今さら何を言っても後の祭り。昔の自分の人間性のなさを恨みつつ、イツキはレナエルが激昂していないことを祈るばかりであった。


「やあ、よく来たね!ちょうどいいところだったよ!」


エルネストリアの一角にある巨大な屋敷、その豪勢な玄関でレナエルがにこやかにイツキを出迎えていた。

だだっ広い庭園と奥に広がる森林、そして湖と見紛うような池。一つの集落がすっぽりと収まりそうな空間こそがレナエルの自宅である。

無類のアイドル狂いであり、稀代の天才魔法技師であるレナエルは、何を隠そう五大国の一つである水の国の王女なのだ。あまりにも設定が多過ぎる。

この世界には五大国と呼ばれる5つの国がある。

それぞれ特徴から『草原の国』『水の国』『雪の国』『山の国』『森の国』と呼称され、それとは別に正式な国名が存在している。イツキが住むエルネスタ王国もその中の一つの『草原の国』だ。

レナエルはそんな大国の王族の血筋であり、言ってしまえば世界有数の高貴で裕福な家のお姫様なのである。


「すまない、少し遅れた」

「普段はきっちり時間を守る君のことだ。きっとまた何か面倒事に巻き込まれたんだろう?なら、仕方ないさ」


潔く謝るイツキを、レナエルは労いの言葉で以って優しく出迎えた。いや、むしろ嬉しげな雰囲気さえ漂わせている。

聞いていた話とあまりにも違う。イツキの頭の中を疑問符が駆け抜けていった。

そして、そんなレナエルの言葉を聞いた瞬間、イツキは驚きを隠せずに言葉が口をついて出ていってしまう。


「意外だな。レナエルの依頼は遅刻したら毎度酷い目に遭うと聞いていたのだが…」

「失敬な!それだとボクがいつも怒っているみたいじゃないか!」

「いや、事実だろう。ジョーが依頼に遅れた後、あいつの家が粉々に吹き飛んだ原因はお前だったはずだが」


イツキが冷静に指摘すると、あの出来事を思い出したのかレナエルは顔を真っ赤にさせて否定するように手をバタバタと振った。


「あ、あれは、あの間抜けが常識ってものを知らなかったからであって、ボクが普段から文句を言ってるわけじゃない!それにあの頃はボクもジョークってものが分かっていなかっただけさ!」

「そういうものか…」

「そ、そうだよ!うん!」


レナエルは強引にイツキを説得させると、自分自身にも言い聞かせるようにうなずいた。

イツキも薄っすらと何かあったのだと気付いていたが、あえて触れるようなことはしなかった。

数々の死線をくぐり抜けてきた勇者の直感が告げていたのだ。『手を出せば、死ぬぞ』と。

そして、レナエルは間を取り直すように咳払いをすると、本来の話題に戻った。


「さて、依頼の品を持ってきてくれたんだろう?ひとまず工房まで運んでくれないかい?」

「ああ」

「もし重いようならメイドを呼ぶけれど…」

「大丈夫だ。この程度なら大したことはない」


イツキの返事を聞くと、レナエルは自宅へと手招きしながら先導するように歩きはじめる。

イツキは素材が入った袋を手に持つと、その背中を追いかけるように巨大な屋敷へと足を踏み入れた。

豪勢な玄関を抜け、大聖堂のような回廊を幾つも通っていく。綺麗な紋様が描かれた天窓からは暖かな木漏れ日が差し込み、のびのびとした小鳥の囀りが眠気を誘うようにのどかに鳴り響いていた。

イツキはあらかじめ知っていたことだが、この屋敷はとんでもなく広い。

もはや屋敷と呼称していいのがどうか怪しいレベルで、それはもう尋常じゃなく広い。

レナエルの所有地だけでエルネストリアの一角を占めていることからも、その現実離れした広大さが伺えるだろう。

そんな豪邸の中を歩いていくと、やがて、小さな階段にたどり着いた。


「君のことだから大丈夫だとは思うけれど、何か魔力を発する物は持っていないよね?」

「ああ、問題ない」

「ならいいんだ。ここが誤作動すると洒落にならないからね…」


イツキに確認を取り終えると、レナエルは周囲を警戒するように見回してから、その薄暗い階段を下りていく。イツキもその後に続いて狭い階段へと足を踏み出した。

ずんずんと一番下まで降りていき、行き止まりとなっている正面の扉――ではなく横の壁に手を当てると、隠し扉が静かに開いた。


そこには、まるで子供が夢に描くような秘密基地が広がっていた。

蝋燭型の魔法道具によって橙色の炎が焚かれ、難解そうな書物が棚にびっしりと敷き詰められている。

少し鼻につくツンとした香りも相まって、誰もが持つ少年心をくすぐってくるのだ。


「ようこそ、我が秘密の部屋へ―――と言っても君は何度もここまで来ているから驚くほどじゃないか…」

「だが、この階段と扉の造りは大したものだろう。一流の冒険者であっても注視しなければ気付くことはできない」

「ふふっ、そうかい。ありがとう」


レナエルは嬉しそうにはにかむと、早速イツキが持ってきた素材を漁りはじめた。

見てわかる通り、ここはレナエルが持つ秘密の工房だ。

少しこじんまりした空間には所狭しと素材や工具が綺麗に整頓されており、家主の生真面目さが見て取れる。

特に魔法道具の核となる“魔石”は厳重に保管され、レナエル以外は触れることができないようになっている。

そして、魔法道具を作るための複雑な作業台の上には、完成間近の新たな魔法道具と思しき機械が置かれていた。

また、魔法技師にとって技術は自分そのものであるため、ここにたどり着くまでには多種多様の罠が仕掛けられている。先ほど階段の前で確認をしたのは、仕掛けられている魔力感知罠を誤作動させないためである。

酒とアイドルさえなければ、この小人族レプラカーンの王女様はかなりの常識人なのだ。


「うん、間違いないね。これでまた新しい魔法道具を作ることができるよ。さすがイツキだ」


レナエルはイツキが持ってきた素材を全て確認し終えると、満足そうにイツキの方を振り返った。だが、当のイツキの顔には達成感の欠片すら見受けられない。


「ただ物を取ってくるだけだ。さすがも何もないだろう」

「いや、ボクみたいに戦うのが得意じゃない人から見たら、君の力は本当に大したものだよ。世界を救った勇者に言うのも少し可笑しなことだけれど」

「そうか…」


お世辞に聞こえなくもないレナエルの言葉を真剣に受け止め、イツキは噛みしめるように俯いた。

レナエルからはイツキの表情を伺い知ることができないが、きっと生真面目な顔で悩んでいることだろう。

知り合ってからしばらく経って気付いたことだが、この元勇者は他人の言葉を蔑ろにしているように見えて、実は心の中であれこれ考えているのだ。

それがレナエルにとっては、とても可愛らしく見える。


「ふふっ……あ、報酬はいつも通りでいいかい?」

「ああ、それで問題ない」


お互いが報酬について納得し、これで契約は終了になる。

毎回のようにレナエルがイツキに提供している対価はアイドル現場の入場権だ。

この魔法技師は無償でアイドルに魔法道具を渡しているため、基本的に収入がない。アイドルのためなら泥水をすすることさえ厭わないキチガイっぷりである。

とはいえ、いくら“エルネストリアの魔術師”と呼ばれる天才魔法技師でも、さすがに収入がないまま魔法道具を作り続けることはできない。

そこで頼りになるのが、単独で素材を集められる元勇者だ。

たとえ竜を相手取ってもなんのその、全て叩き潰して難なく帰ってくる。要するにイツキは体のいい使いっぱしりというわけだ。

レナエルは受け取った素材を丁寧に全てしまい終えると、作りかけの魔法道具を触りながらイツキに声をかけた。


「ところで、今日はライブもないだろう?これからどうするんだい?」

「ジョーとシンと贈り物トリン探しにダンジョンへ潜りに行くつもりだ」

贈り物トリン、ね。ああ、そっか、そういえばニフティーメルもそろそろそういう時期だったね…」


贈り物トリン”とは、この世界における祝儀のようなもので、その名の通り記念日などに渡すプレゼントを意味している。

レナエルが思い出したように納得したのは、近々ニフティーメルの結成一周年ライブが行われる予定で、イツキたちはそれに向けて贈り物にふさわしいものを探しに行くということに合点がいったからだ。

贈り物として渡されるものは様々だが、冒険者はダンジョンで取れる特殊なアイテムを用意することが多く、見栄を張るために希少品レアドロップを狙いに行く輩が大半である。


「ところで、たった3人でダンジョンに行くのかい?そりゃまた、大胆なことをするね!君のことだから大丈夫だとは思うけれど、無茶だけはよしてくれよ?君にいなくなられたら、ボクはあっという間に破産だからね…」

「善処する」


イツキの素っ気ない答えに、思わずレナエルは苦笑いを浮かべる。


「そこは善処じゃなくて、必死にあがいてくれないかい…?まあ君らしいといえば君らしいけれど…。それで、今回の狙いは何なんだい?」

「エンヴィーロゼッタだ」

「ハイランダードラゴンの希少品レアドロップか!中間階層主ミド・フロアマスター狙いとは、ずいぶん大きく出たね」

「俺に出来ることはこれぐらいしかないからな」

「そんなことはないよ。君はどうにも悲観的過ぎる。もっと自由に世界を満喫すればいいのさ」


ボクはそんな君が見てみたい、とレナエルはそっと添えるように付け加えた。

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