第8話 アイドルの卵(2)
突き飛ばされるホノカ、周囲から湧き上がる悲鳴、短剣を構えて動き出すイツキ。
均衡を保っていた場が崩れ、一気に状況が動きはじめる。
「アイドルに手をあげるなど、人間のする所業ではない!」
「鬱陶しいんだよ!雑魚がぁぁぁあ!!!」
巨漢の男は飛び出したイツキへ向けて雄叫びを上げ、手に持った槍を後ろに引くように構えた。
橙色の輝きが槍全体を覆い、力が溜まっていく。
そして、向かってくるイツキへ向けて突き出すように解き放った。
「【
炎に包まれた槍による突き攻撃。
槍の切っ先から放たれた迸る龍炎の奔流は唸りを上げながら、まっすぐにイツキ目掛けて突進していく。
こうした時、本来ならば『躱す』か『魔法か
「ハッ、馬鹿が!死ににいくつもりかぁ?」
飛び込んでいくイツキの姿を見て、巨漢の男が嘲るように吠えた。
常識的に考えて炎の中に飛び込む輩はいないだろう。それもただの炎ではなく、殺傷能力を高めた武技の炎だ。
しかし、イツキには関係なかった。なぜなら、彼が常識の範囲外にいる“元勇者”だからだ。
「邪魔だ」
イツキは弱い魔物程度なら一撃で焼き払うことができるほどの一撃を、短剣だけで正面から消し飛ばしてみせた。
火炎が無残にも小さな火の粉となって散り散りに霧散する。
そして、イツキは一息で巨漢の男の目の前に到達すると、全く反応できていない無防備な相手に容赦ない拳を叩き込んだ。
「―――なっ、ぐほぁっ…!?」
「あ、兄貴ぃ…!!」
巨漢の男は竜をも捻じ伏せるイツキの拳をもろに食らい、なすすべなく膝から崩れ落ちた。
見栄えはともかく、イツキが装備している短剣は第二級品だ。そして何より、あらゆる攻撃の練度が違う。
幾千もの死線を切り抜けてきたイツキにとって、下級
「ぐっ……オレをたった一撃で倒すなんてな。てめぇ、一体何者だ…?」
「どうでもいいことだ」
「ぐふっ―――」
わずかに意識が残っていた男にとどめの一撃を振り下ろすと、イツキはゆっくりと立ち上がった。
圧倒的な力、躊躇のない攻撃、そして、次元の違う戦闘能力。
見る者を戦慄させるその姿は、数え切れないほどの魔物や魔族を葬ってきた勇者そのものだった。
「クソっ…!兄貴を一撃なんて、化け物かよ…!こうなったら逃げるっきゃねぇ…!」
ひょろ長の男は巨漢の男が倒される様子を見ると、混乱に乗じて我先にと脱兎のごとく逃げ出そうとしていた。
一度酒場から抜け出してしまえば人混みに紛れて追われることはない。男はそう考え、なりふり構わず椅子を蹴り飛ばしながら酒場の入り口に向かっていた。
だが、そんな男の前に一人の少女が立ちはだかった。耳に付けた人魚のイヤリングがキラリと光る。
「あなたも逃がさないよ~?私たちのお店で遊ぶなんて十年早い、みたいな?感じ」
「お、おい、あんた店員だろ?金ならやる!見逃して―――」
必死に命乞いをする男だったが、言葉を終えるよりも早くその顔面にマキの強烈な右ストレートが炸裂した。
ひょろ長の男は空中で二回転ほどしながら吹っ飛ぶと、酒場の壁をぶち破って突き刺さるように意識を失った。
「フン、下衆な野郎が…。あ、いっけな~い、思わず素が出ちゃった♪」
マキは再び小悪魔のような笑顔を被ると、スッキリしたように小躍りしながら仕事に戻っていった。
ステージ近くに残されたならず者の冒険者たちの間には動揺が走っていた。
最初はあっけに取られていた周囲の観客たちからも非難するような視線が向けられ、もはや周囲を敵に囲まれた状態だ。
「おい、どうする?」「こんなの聞いてねぇよ!」「逃げるしかないだろ!」
リーダー格の二人があっという間に倒されたことで全く統率が取れず、誰もがただキョロキョロと視線を泳がせていた。いくら冒険者と言えど、こうなってしまえば烏合の衆と大差ない。
「まだ戦う気がある輩がいるなら、いくらでも俺が相手になろう。ただし、容赦はしない」
イツキが短剣の切っ先を向け、脅すように警告を言い放った。そして、鋭い眼光と威圧感が立ち竦んでいる冒険者たちに襲い掛かる。
『勝てるわけがない』
誰もがそう思ったのだろう。それを契機に、ならず者の冒険者たちは誰が動きはじめるでもなく、後退りをしながら次々と逃げ始めた。
「金は置いていってくれよな」
「ひぃぃ…もう二度と来るか…!」
酒場の出口に向かう階段の前にはニーナが陣取り、ここぞとばかりに逃げていく冒険者たちから有り金をむしり取っていた。さすがエルフとでも言おうか、こんな時でもちゃっかりと仕事はこなしていく。
そして、ならず者の冒険者たちはあっという間にいなくなり、酒場には普段通りの静けさが戻ってきた。
店員だけでなく観客たちも一緒になって片付けを行い、皆で協力して店を直していく。この世界では酒場での乱闘騒ぎはよくあることなので、大抵の人は慣れっこなのだ。
だが、周囲が落ち着きを取り戻していく中、渦中に巻き込まれたホノカは怪我こそしなかったものの酷く落ち込んでいた。
「ごめんなさい…!!わたしがしっかりしていないから、こんなことになってしまって…」
「気にするな。あれは仕方がない。むしろ、怪我がないのは幸運な方だ」
イツキが慰めるように言葉をかけるが、その表情は一向に晴れる気配がなかった。
ホノカは突き飛ばされたものの、上手く受け身を取ったようで怪我らしい怪我はなく、衣装が少し汚れた程度で済んでいた。
とはいえ、ライブ中に乱闘騒ぎ。それも自分が間に入っておきながら、結局観客に戦わせてしまったのだ。落ち込むのはしょうがないことだろう。
そして、ホノカは何かを思い立ったように顔を上げた。
「………やっぱり、わたし、今日はもう―――」
「その先の言葉を言う必要はない」
「で、でも…!!」
つい口をついて出てしまいそうなホノカの言葉を遮ると、イツキは感情的になっている少女を圧で押し留めた。
それに対して、ホノカが潤んだ目で訴えかけるような視線を送る。その心にあるのは、自分の不手際で場を乱してしまったことへの呵責だろう。
けれど、イツキはそんなホノカの気持ちを分かったうえで、彼女がステージを降りることを止めたのだ。
「逃げるのは簡単だ。気まずいという気持ちもわかる。だが、それは立ち止まる理由にはならない。恥ずかしい?自信がない?結構じゃないか、全部見返してしまえばいいだけだ」
「それは……わかります。でも…」
「……追い詰める気はない。辛いというならば逃げるのも一手だろう。けれど、君は君の覚悟を持ってステージに立っているはずだ。誰に何を言われても、君の中にある輝きを捨ててはいけない」
「輝き……わたしの中にある……」
「………俺は言葉が上手くない。伝わっているかどうかわからないが、誰も君にステージを降りて欲しいとは思っていないということだ」
イツキはホノカの目を見ながら、力強い口調で言い切った。
それは願いを投げかけるようでもあり、目の前にいるアイドルの卵を信頼しているようでもあった。
「そうそう!その兄ちゃんの言う通りだ!」
「せっかくステージに立てたんだから、思う存分やんなさい!」
「まだまだここからだろ~!やっとこの日が来たんだからな!」
イツキの言葉につられて、店の片付けを終えた周囲の観客たちからも次々と声が上がる。
温かい言葉ばかりだった。
誰もがホノカが再びステージに上がることを願っていた。
そして、それはまだ駆け出したばかりの少女の背中を強く押した。
「―――というわけだ。ここはまだ君の舞台だ」
「……はいっ!!」
ホノカは潤んだ目を輝かせながら、喜びを噛みしめるようにはにかんだ。
☆☆☆
再び和やかな雰囲気に包まれた酒場ではホノカのライブが再開され、ステージ周辺は大いに盛り上がっていた。
そして、そんな人だかりから少し離れた場所でイツキ、ニーナ、マキの三人はステージ上で楽しげに歌い踊っている少女の姿を眺めていた。
「あ〜あ、結局あんたが全部平らげちゃったのかぁ…。あたしも入ろうと思ったのに…」
「お前が入ると止める間もなく半殺しにして、またリンダさんに怒られるだろう」
物足りなさそうな表情のニーナに、イツキは少しげんなりしながら応える。以前乱闘騒ぎになった時、連帯責任でイツキもリンダにこっぴどく叱られたのだ。
ただでさえ借りばかり作っているのに、さらに面倒までかけていたらこっちの身が持たない。
「だが、今回は場を乱してしまってすまなかった。ああいう輩には我慢がきかなくてな…」
「いや、あたしらの大事な後輩にあんなことを言うヤツが悪いのさ。むしろ、自警団のやつらの世話にならずに済んでラッキーだよ」
「ニーナさん良いこと言う~!やっぱり悪は許せない、みたいな?感じだよね!」
「あんたは店の壁まで壊してたでしょうが…。またリンダさんに怒られるよ?」
「またまた~!今回はホノカちゃんを守るために頑張っただけだから大丈夫だって~!」
ニーナが酒場の隅で冒険者相手にはしゃいでいた後輩を気遣うが、マキは全く聞く耳を持つ気配もなくケラケラと笑っていた。
ついさっき見た光景だな、とイツキが思った時、デジャヴの再現通りに見覚えのあるシルエットがマキの後ろから現れる。
「マ~キ~?あんた、また店の壁ぶち破ったって?これで何度目だい?」
「ご、ごめんなさぁぁぁぁぃぃぃい!!」
「待ちな!!今度ばかりは、げんこつじゃ済まさないよ!!」
「ひぃぃぃぃいいい~~!!」
マキが脱兎のごとく逃げ出し、それをリンダが怒り心頭といった様子で追いかける。
二人が入っていった厨房の奥からは怒号と物が壊れる音が響き渡り、それだけで中の様子を伺い知ることが容易にできた。
「あーあー、また派手にやって…。これ片付けんのあたしなんだけどなぁ…」
ニーナが呆れながらも愉快そうに笑う。これがこの店のいつもの風景なのだ。
すると、イツキは無言で立ち上がり、そばに置いてある荷物を手に取った。
「お、もう行くのかい?」
「ああ、少し長居し過ぎた。また来る」
体感だが、時刻はもう昼を回っているだろう。レナエル相手にこれ以上遅くなるのはあまり得策ではない。
そして、イツキは最後にステージで輝きを放つ少女へと視線を向ける。
その目は遠い過去の自分を眺めているような、少し物悲しく、それでいて懐かしい眼差しだった。
「はいよ、今度は高い酒でも買ってってよ」
「………考えておこう」
ひらひらと手を振るニーナに見送られながら、イツキは『旅人の止まり木』をあとにするのだった。
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