第6話 旅人の止まり木

寂れたというには少し賑わしく、繁盛しているというには少々年季が入っている装いをしている。そんな、ありふれた酒場だ。

外には『旅人の止まり木』という店名が書かれた札がかかっている。

イツキは慣れた手つきで軋んだ扉を開き、そのまま店内へと足を踏み入れた。


中は至って普通のよくある酒場そのもので、中央にカウンターとテーブルがいくつか並んでいるだけのシックな装い。入り口は然程大きくはなかったが、奥行きがあり、外観以上に広さを感じることができる。

店内が少し薄暗く、灯っている柔らかな橙色の明かりからは隠れ家のような雰囲気が感じられるものの、それ以上に昔ながらの酒場特有の懐古的な居心地の良さがにじみ出ていた。

どの街にも一つはある地元客が足繫く通うタイプの店だ。

イツキは店内を少し見回すと、そのまま中央のカウンターへと歩を進めた。まだ朝方ということもあって、店内にいる客もまばらだ。

数名いる店員も暇を持て余しているようで、小さくあくびをしたりして客からの注文を待っている。すると、カウンターにいたドワーフの女性がイツキの姿に気が付いた。


「おや、あんた、また来たのかい。相変わらず物好きだねえ…」

「女将、少し邪魔する」

「女将と呼ぶんじゃないよ!あたしゃ宿屋をやってるわけじゃないんだ」

「すまない、リンダさん。つい癖で言ってしまった。以後気を付ける」


恰幅のいいドワーフの女店主からカウンター越しに叱られ、イツキは素直に謝罪の言葉を述べた。

この酒場の店主であるリンダとは数年来の付き合いであり、イツキがこの街で生活するにあたって色々と相談に乗ってもらったこともある恩人だ。

その時の恩を気にしているわけではないが、この豪快な酒場の店主にはどうにも頭が上がらない。


「にしても、なんだいその格好は…。チンピラにやられる役の貧弱な冒険者じゃないか。もう少しマシな装備はなかったのかい?」

「これは目立たない為の方策であって、決して服がないわけでは―――」

「まったく、男がぐちぐち言うんじゃないよ。格好がだらしないなら態度ぐらいはビシッとしときな!」

「いや、だから、これは意図的に装備を目立たないように―――」

「わかったわかった。ニーナ、このバカを案内してやりな」


イツキの言い訳を全く聞き入れることなく、リンダはすぐ隣で暇そうにしている店員に声をかける。

すると、カウンターのすぐそばで暇そうにしていたエルフの少女が顔を上げた。

変化を好まず礼節を重んじるエルフにしては珍しく、いかにもガラの悪そうな顔つきをしている。整った顔立ちではあるものの、それを覆い隠すほど刺々しい気配を放っており、そして、だるそうな三白眼と適度にはだけた制服が彼女の性格を如実に表していた。


「え〜、あたしっすか?」

「あんた以外誰がいるんだい。いいからさっさとやる!」

「ちぇっ、あんた、少し離れて歩いてくれよな。あたしが変なのと一緒にいると思われるからさ」

「あ、はい、すいません」


言い訳をする間もなく自分の装備をバッサリと切り捨てるニーナに、イツキはもう返す言葉もなくそそくさと後ろを付いていく。

さしものイツキと言えど、女性相手にこれだけボコボコにされれば意気消沈してしまうのも仕方ないだろう。そもそも客に対してここまで露骨な反応をする店員もどうかとは思うが…。

ニーナは後ろで目が死んでいるイツキのことを全く気にせず、さっさと店内の奥へと進んでいった。


「あたしが言うのもなんだけどさ、もうちょっといい格好をした方がいいと思うな。前まではもっと良いモノ持ってたでしょ?顔も悪くないんだし、装備には金使った方がいいんじゃない?」

「俺はしがない冒険者だ。装備が多少貧弱でも仕方がないだろう」

「……普通ならそう思うけど、少しでもその入口に足を踏み入れた人なら、あんたが只者じゃないことぐらいわかるよ。そんな化け物が地味な格好してたら、あたしみたいな捻くれ者は何かヤバいこと企んでんのかな〜って警戒しちゃうんだわ」

「そうか…それは一理あるな。以後気を付ける」


あまりにも実直に謝るイツキに、まあそんなに気にしないでいーよ、と笑うニーナ。

このエルフの少女は適当そうに見えて予想以上に観察しているようだ、とイツキは感心するとともに、自分の立ち居振る舞いには気を付けようと肝に銘じるのだった。


イツキを連れたニーナは店内の奥、階段で一段低くなっている広間へと降りていく

その時、店の端で暇そうにしていたヒューマンの少女がイツキたちの姿に気付き、ひょこひょこと小走りで近付いてきた。

艶やかな緑色のポニーテールをなびかせ、耳に人魚のイヤリングを付けた姿は、いかにも今時の可愛らしい少女だ。


「お、ユーレイさんじゃん!おはおは!」

「ユーレイ?」

「ん~なんかいつも幽霊みたいな服着てるから、みんなでユーレイさんって呼んでるんだ!カッコイイよね!なんか、こう、没落騎士…みたいな?感じで!」

「没落騎士、か……」


キラキラとした目で無邪気に語られる少女の言葉を聞いて、イツキは案外的を得ているな、と素直に受け取った。普通の人が年端もいかない少女にこんなことを言われたら深刻な精神的ダメージを受けて、明日からこの店に来ることはないだろう。


「マキ、ちゃんと働かないとリンダさんに叱られるよ?」

「ニーナさんは見た目のわりに結構真面目だよね~。やっぱり、お堅いエルフ…みたいな?感じで!それに、私はお客さんを楽しませてるだけだから怒られないって~」


マキ、と呼ばれたヒューマンの少女はニーナの忠告を右から左へ受け流し、お気楽そうに笑う。

だが、その時マキの後ろに見覚えのある恰幅のいい人影が現れ、その肩に手を置いた。


「マキ、なに遊んでるんだい?」

「あ、あはは、やだなぁ~リンダさん。顔がすごいことになってるよ?こう、火を吹く直前のドラゴン…みたいな?感じで…その、ごめんなさ~い!」

「いいから厨房行ってきな!!!」

「はいぃぃぃ~~!!」


マキはバタバタとあちこちに足を引っ掛けて転びかけながらカウンター奥の厨房へと走っていき、その後ろをリンダが肩を怒らせて追いかけていった。小さな台風がまさに嵐のように過ぎ去った、そんな感覚だ。


「騒がしくってごめんね…ってあんたはもう慣れっこか」

「そうだな。この店は静かだったためしがない」

「あたしはもうちょっと暇な方がいいんだけどな…って、こんなことリンダさんに聞かれたら一生トイレ掃除させられる…」


ニーナは思わず背後を確認してリンダの姿がないか確認し、ホッと胸を撫で下ろした。

この酒場は店主であるリンダが戦争孤児や特殊な事情を抱えている少女たちを店員として雇い、将来自立していけるように養っているのだ。

だから、ここで働いている誰もがリンダのことを尊敬しているし、口うるさい母親のようにも思っている。


「さて、と、ここでいいんだっけ?たしかいっつもこの席だった気がするけど」

「ああ」


ニーナは広間の端にある小さなテーブル席にイツキを案内すると、慣れた手つきで座席を整え、丁寧に椅子を引いた。

見た目からは粗雑そうなイメージを持たれがちだが、ニーナはこうした細やかな気遣いをそつなくこなせる


「注文は?」

「……今日は遠慮しておこう。これから予定が入っているからな」

「はいよ、何かあったら声かけて。それじゃ」


ニーナは手をひらひらと振りながら階段を上り、元いたカウンターへと戻っていった。

過度な営業をせず、イツキにとってはまさに理想的な店員だ。

イツキは椅子に座って一息つく。

誰が見ても、ここは何の変哲もない酒場だ。けれど、ここには他にない“特別”があった。

それが、イツキのすぐ正面―――この広間の最奥にある小さな円形の舞台だ。

そう、ここは酒場としてはありふれた場所だが、数少ないアイドルの舞台を持つ場所なのである。

そして、いま、閉じられていた幕が上がる。

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