第43話 ひがんでいたから
アリシアは物心ついた時には、親はいなかった。
祖父母はいた。余り関わりたくなさそうなお祖父さまとお祖母さまは、孫娘の事を雇った乳母とお守りのシッターにまかせっきりだった。子供心にも好かれていなかったことはわかっていた。自分がいたから、母であるモニークは実家に戻ることも出来ないのだとはっきり言われたこともある。
そんなことを言われても、アリシアに何が出来たと言うのだろう。ただの幼いだけの孫娘は、ぶつけられた言葉の意味はわからなくても悪意は伝わった。
学校へ行き始めて、アリシアの母親が自分を置いて地元の街を出て行った事を知った。捨てられたのだと思った。
八歳を過ぎた頃に養女の話が出て、祖父母は多額の支度金を支払ってアリシアをマレット家へ渡したのだ。
新しい家族が出来ると思って期待と不安に小さな胸を膨らませてロンドンへやってきたアリシアは、新しい両親と会って、安堵したものだった。不動産会社を営む父と教師を務める母は、愛想良くアリシアを受け入れてくれたから。
しかし、それははじめだけの事だった。
新しい母親は次第にアリシアに冷たくなり、養女が成長すると食事さえ用意してくれなくなる。
夜しか家にいない父親とは、会話をすることも稀で、もともとこの夫婦はあまりうまく行っていなかったのだと言う事がわかってきた。
最近は、両親ともにほとんど家に帰ってこない。
誰もいない家に帰宅し、孤独な日々を過ごすうちにわかってきたのは、新しい父親にはどうやら愛人がいたらしいと言う事だった。だから夫婦関係が冷え切っていたのだと言う事も。
ただ幸いだったのは、転入した学校でアリシアの家の事情を知る者はいない。薄情になった母親も、小学校のうちだけは学校行事などに来てくれていたから。
中学に入って異性を意識する年頃になると、容姿に恵まれたアリシアはそれなりに人気があった。
親の愛情は無くても、アクランド家を出る時に送られた支度金は潤沢だったので、お金に困ったことは無い。だから身形も整っていた。
学年を追うごとに、親の出番が必要になることは減り、高校生にもなればほとんど必要なくなる。
家族とは縁遠い彼女だったが、学校ではそれなりに人目を引いて好かれていたので、生きていく場所はここだと思えた。
そのまま誰からも好かれる女生徒として高校に入学した時、誰よりも目立っていた双子が同じクラスにいたのだ。
黒髪黒目のヒカルと、金髪碧眼のミスズ。クォーターだと言う話だが、双子とは思えないかけ離れた容姿であった。
穏やかでクールなヒカルより、妹のミスズの方がより目立っていた。顔立ちだけで言えば兄のヒカルの方がはるかに整っているけれど、ミスズには見た目では推し量れないような華がある。陽気で大雑把な性格も理由の一つだろうが、他人を惹き付けてやまない何かがあるのだろう。体育の成績がダントツだと言うのに、学習面がまるで駄目だというのが、また親しみがあっていいのだ。男女問わず好かれる彼女に、はじめは近寄りたくないと思ったアリシアも、不思議に彼女には魅せられていて、気付けば普通に話せるような仲になっていったのだ。
その一方で女子の人気を博していたのは兄のヒカルだった。穏やかで冷静な彼は成績も優秀で教諭方からの評価も高い。仲でも芸術面での評価はいつも高く、絵を描かせても造形を作らせても担当の教諭を唸らせずにはおかなかった。何より女子の琴線に触れる要因は、とにもかくにも優しくて穏やかで大人っぽい所だろう。話は理路整然としていて言葉遣いも丁寧で、滅多に声をたてて笑わない彼が微笑むと、クラス中の女子がため息をつくようだった。
そんなヒカルを欲しいと思う女子はたくさんいたし、また、たくさんの女子に思われていた彼だからこそ欲しいと思った。
けれど、自分から告白して玉砕するのはまっぴらだ。
どうにかして向こうから言い寄る方向にもっていきたいのが本音だった。
告白した女子はたくさんいて、二つ返事で付き合ってもすぐに別れてしまう。付き合っても楽しくないのだと、口をそろえて皆言うから。
親しくなったミスズに色々聞いて、上手く行くよう画策していた。
そして、知ったのだ。
ミスズとヒカルはアリシアと同じく養子であること。養母は赤の他人で、ほぼアリシアと同じくらいの年からその人に育てて貰ったのだと言う事を。
自分と同じなのだと思ったら、一層親近感が湧いて、ますますヒカルと付き合いたいと思うようになった。
『ヒカルはママが大好き過ぎるのよね。多分、誰とつきあっても彼は変わらないと思うよ。悪い事は言わないから、他の奴にしときなって。アリシアなら他にいくらでもいるんだしさ。』
『だって、本当の親じゃないんでしょ?』
『うん。本当のパパとママは事故で死んじゃった。今のママは血の繋がらない他人だけど、アタシとヒカルのことをすっごく大切に育ててくれたんだ。だから、アタシもママの事は愛してるしとても感謝してる。ママは独身だから一人でパパもママもやってくれてるしね。』
『そうなんだ。・・・ママのことそんなに。』
ショックだった。
自分と同じ立場だとばかり思っていたのに、少しも同じではなかったのだ。
アリシアの両親は健在だけれどもどこにいるのかもわからない。何をしているのかも知らない。何故自分を捨てたのかも知らなかった。
現在の両親だってアリシアを愛してくれているわけではない。彼らは祖父母から寄越した支度金が欲しかっただけなのだ。
自分は、ミスズのように親を愛しているなんてとても言葉に出来ない。そんな当然のことのように言えない。勿論感謝だってしていない。するわけもなかった。
だから許せなかったのだ。
自分を相手にしてくれなかったヒカルが。誰からも愛されるミスズが。
『・・・悔しかったのよ。なんで、貴方たちはそんなにも恵まれているのかって。だから、困らせてやりたかった。とり澄ましたヒカルが青くなって、いつも笑顔のミスズが焦っている様子を見られればそれでよかったのよ。ただ、それだけのこと。本当は・・・侯爵家がどうとか、ヒカルが母親とどうこうだとか、そんなことはどうだってよかった。悔しくて。貴方たちはそんなにも愛されていて恵まれていて、どうしてわたしはそうじゃないのかって、ただそれだけよ!』
吐き出すように叫んだアリシア。
愛らしい容姿にはそぐわない激しい叫びに、ヒカルは少し怯んで手を放してしまった。恐らくは廊下で聞いているミスズもきっと同じだろう。彼女はアリシアが犯人だったことに酷く衝撃を受けていたから。
彼女の言う事は単なる言いがかりに過ぎない。恨まれるには筋違いだ。彼女が恨むべきはヒカル達ではなく彼女を捨てた両親や、愛情をかけてくれなかった養父母だろう。
それでも何故か、ふざけるなと怒鳴り返す気持ちにはならなかった。
両親を失った辛さは、ヒカルにもミスズにも理解できる。ましてアリシアには最初からいなかったのだから、きっと双子には想像もつかない辛さがあるのだろう。
『夏の終わりにリーズへ呼び出されて何年かぶりに祖父母と会ったわ。その時に知らされた。・・・まさか先生がわたしの母親だなんて夢にも思わなかった。知っても嬉しくはなかったし、むしろ知りたくなかったくらいよ。でも在学している学校にいるのなら知っておいた方がいいだろうって言われた。男子生徒に手を出しまくってるビッチ教師が、よりにもよって母親だったなんて知りたくなかった。』
侮蔑に満ちた視線が先生へ向けられる。
実の娘にそんな言葉を投げつけられても、先生は涼しい顔だ。
『・・・フン。自分がヒカルに相手にされなかったからってひがんでるんでしょう。』
『なんですって!?』
『実際そうでしょう。ひがんでいるからこんな馬鹿げた脅迫を思いついたんじゃないの。それなりに面白かったからいいけど。』
『あんたって女は・・・!』
誰のせいだと思っているんだ。
アリシアがこうなってしまったそもそもの元凶はこの女ではないか。この女が母親としての責務を放棄してアリシアを捨てて行ったから、他人の家庭を羨んで、妬んでーーーー。
こんな馬鹿げたことを始めてしまったのだ。
小柄な影が先生に躍りかかった。彼女よりも背の高いモニーク先生の襟を手で掴んで殴ろうと手を上げる。
さすがに見ていられなくてヒカルが止めに入ろうとするが、モニーク先生は目線でそれを制した。止めるな、ということか。
『あんたなんか、あんたなんかぁ!』
甲高い音が美術準備室に響いた。
打たれたせいで体勢を崩した先生が尻もちをつく。そんな彼女に、アリシアは馬乗りになって狂ったように両手を叩きつけた。聞くに堪えないような悪口雑言が少女の唇から繰り返し放たれる。呼吸さえも忘れたように続く激しい剣幕に、一度は制止されたヒカルが動いた。
『アリシア、アリシア・・・!もう止せ、もういいだろう、十分だ。』
背後から抑えられた彼女は、一瞬我に返ったようにヒカルの方を振りむいた。
大きな瞳からは大粒の涙が浮かんで、ぽろりと零れる。
少しの間ヒカルの黒い瞳を凝視して、それから顔を伏せる。
あの黒い瞳は、好きだった。光線の加減で、時折青く色を変える不思議な瞳。一人の女の子としてときめかなかったわけじゃない。彼にのぼせていたその他大勢の女子と同じように、彼に惹かれなかったわけじゃないのだ。
ヒカルは、いつも優しかった。彼にしてみれば、普通に接していただけの事なのだろう。けれども、他の子供っぽさの抜けない男子と比較すると、他人に対しちょっとした配慮を見せるヒカルはとても大人っぽく紳士的で優しく映ったのだ。
今だってそうだ。ヒカルを脅迫した犯人である先生とアリシアの喧嘩など高みの見物をしていればいいのに。
見ていられなくて止めてくれるなんて。
零れた涙を袖で拭って、ヒカルの手を振り払ったアリシアは立ち上がる。そのまま駆け足で準備室を出て行ってしまった。
『ミスズ!アリシアを頼む!』
廊下で待機しているはずの妹に怒鳴ると、遠ざかる声で了解、と聞こえた。
彼女の事は妹に任せるのがいいだろう。
やられ放題に殴られたモニーク先生はぐったりと床に倒れている。やられ放題に殴られたとは言っても、あんな小柄な少女の腕だ、そこまで重症のはずはない。
はずはないけれども。
『・・・先生、大丈夫ですか?』
尋ねた彼の声に、先生は長いため息で答えた。
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