第42話 一つくらいきいてやっても
あと二週間で新年となる金曜日、モニーク先生の呼び出しがかかった。彼女の言う期限が近い。
ヒカルは学校近くの画材店へ足を運んだ。初めてアリシアと出くわしたあの時のように、呼び出された時刻までの暇つぶしだった。
そして、探していた。きっと来ている筈だった。この画材店ではなくても、必ず近くにいる。
「店内にはいないみたいだ、ミスズ。」
端末で連絡を取り、探している影が見当たらないことを告げる。
「じゃあ校内かしらね。アタシとアイクで探してみるわ。」
双子の妹はまだ学校にいるはずだ。兄妹で二手に分かれていた。17時を回って外はすっかり暗い。
画材店を出て、赤い屋根のカフェへ足を向けた。
先生に呼び出された日のヒカルの足取りはいつも同じだ。放課後に学校を一旦出て、画材店へ足を運び、あのカフェでコーヒーを飲みながら時間を潰す。時刻になったら再び登校し美術準備室へ向かってモニーク先生に会うのだ。
自宅にあった盗聴器の類を見て、組織的な犯罪の線はないだろうとアイザックが判断した。自宅に侵入した形跡を辿っても、プロの手口ではないと言う。だから防犯カメラを確認すれば自ずと犯人は見つかるだろうと言って、ミスズが気が遠くなるような時間をかけて見てくれたのだ。
カフェに入ると奥の席に、アリシアの姿が見えた。小柄で愛らしい彼女は、来店したヒカルに気付き、親し気に手を上げる。
嬉しそうに笑って手招きをする彼女と、何度かここで一緒にお茶を飲んだ。
ヒカルは笑顔を作ってアリシアの方へ近寄った。
『ハイ、アリシア。一緒に、いいかい?』
『いいわよ。また呼び出し食らってるの?貴方がここに来るときっていつもそうよね。コーヒーでいい?』
『ありがとう。お邪魔するよ。』
緊張を表に出さないように、出来るだけ愛想良く振る舞った。
今夜も帰宅は遅くなってしまうだろう。すでに愛子に連絡は入れた。彼女はいつものように大丈夫だからと言ってくれた。
昨夜も、一昨日も、その前も、夜遅くまで愛し合った。彼女の嬌声が今も耳に残っているようで、思い出すだけでもぞくりとする。ヒカルが抱きたいと言えば、疲れていても眠くても付き合ってくれる。情熱的に応えてくれる。彼女は、ヒカルを思ってくれている。新参のジムのトレーナーくらい恐れるに足らずだ。ヒカルと愛子には10年以上も一緒に居た歴史もあるのだから。
『アリシア、今日、時間あるかい?』
運ばれてきたコーヒーカップに手を伸ばしたヒカルが尋ねた。
大きな目を丸くしたアリシアは、期待のこもった目で同級生を見つめ返す。一度も自分からは誘ってくれなかったヒカルが、アリシアの予定を訊いてきたのだ。
『う、うん。大丈夫だけど。』
『本当?それはよかった。これ飲んだら、僕にちょっと付き合ってくれるかな。』
もう一度愛想良く笑いかけて彼女の方を見る。
同級生は嬉しそうに頷いた。
『・・・付き合って欲しいって、学校なの?ヒカル』
デートで無かった事にはさほど落胆しなかった。付き合っていた彼女さえ自分から誘わなかったと言うヒカルだ、彼女でもないアリシアと簡単にデートしてくれるはずがない。それはわかっていたことだ。
廊下を歩きながら話しかけると、彼はまたにっこりと笑った。
『うん、そうなんだ。知ってるでしょ?僕がモニーク先生に呼び出されていること。』
しかし一度下校した学校に再び一緒に行くことになるとは思わなかったのだろう。アリシアはなんとなく腰が引けているように見える。
『わたしが一緒じゃマズくない?』
『知ってるくせに、よく言うね、アリシア。』
『・・・え』
隣りを歩いていたヒカルから、思わず身構えて離れようとするアリシアの腕を、彼はぐっと掴んだ。
『さあ、美術準備室についたよ。一緒に来てくれるね。』
有無を言わさぬ力で彼女の腕を引いて、準備室のドアをノックした。
『入って。』
の返答が聞こえると同時にドアを開く。
広い準備室の室内は、暖房で温められていた。窓際の作業台で一服しているモニーク先生が入室者の方を向く。
気怠そうな先生の表情がわずかに動いた。
動揺を覆い隠すように、先生の顔が元の表情に戻っていく。その変化を、ヒカルは見逃さなかった。ヒカルが単身で訪れなかった事実よりも、連れてきた相手を見て狼狽しているのがわかる。彼女の紫色の目がちらちらと動いてアリシアを見ているからだ。
『こんばんは、ヒカル。今日は一人じゃないのね。』
『ええ。一人では心細くてね。付き合って頂きました。』
『まあどうして?貴方の秘密を知られちゃってもいいのかしら?』
先生は口角を上げて笑っている。
『アリシアは既に知っているでしょう?だって秘密を先生に教えたのは彼女なんだから。』
防犯カメラの映像から同級生の姿を見つけたミスズは、長くため息をついた。
『アリシアが・・・どうして・・・。』
青い眼を細めて表情を曇らせるミスズ。
確か、彼女は以前ヒカルに片思いしていたはずだ。けれど、ヒカルが誰とも付き合う気が無い事を伝えるときっぱり諦めると言っていた。だから、ストーカーと化した、というのは無理があると思う。実際その後アリシアが彼に思いを残しているような様子は無かったのだ。
そこで彼女の事を調べることにした。
最初は手間取ったが、アイザックや先輩SP達に手伝ってもらうとあっという間にアリシアの身元は割れた。
アリシア・マレット。シティから少し郊外に出たブレントウッドから通う女子生徒で、父親のイーサンは不動産屋を営み母親のジュディットは教師だ。一人娘で、兄弟はない。地元の小学校を卒業し、同じく地元の中学から現在の高校へ入学している。問題を起こしたり、犯罪に巻き込まれたような事もない。これと言って特筆すべきことのない調書だった。ところが、小学校以前の経歴を調べると出てこない。ブレントウッドの小学校も、10歳から転入したことになっていた。
それ以前の身元を調べるには、ミスズだけでどうにもならなくて先輩方が協力してくれた。
アリシアは9歳でマレットの家に養子で入っている。
旧姓はアクランド。リーズ市の資産家から養子に入ったらしい。
地元の小学校に最初はいたらしいのだが、転校すると同時にマレット家の養子となった。誰かが彼女をロンドン市内へ呼び寄せたのだと考えるのが妥当だった。
彼女が養子としてマレット家に入った年に、イーサンの銀行口座に多額の現金振込があったこともわかった。
そして、イーサン・マレットはアクランド家の親戚で、モニーク・アクランドのはとこにあたる。マレット家とモニーク・アクランドとの間に交流があるのは随分昔からのようだ。
防犯カメラの映像だけでも証拠としては十分だった。
ただ、アリシアとモニーク先生は脅迫したとは言っても、復縁をせまっただけで金品の要求をしたわけではない。警察に突き出す必要はないのだ。
だがミスズとヒカルはどうしても理由が知りたかった。
アリシアが伝えた情報をたてにモニーク・アクランドがヒカルとの復縁を迫ると言うのはどうにも意味が分からない。そんなことをしても何の益にもならないとしか思えなかった。
『モニーク先生が結婚して実家に連れ帰った赤ん坊が、アリシア、君なんだろう。それはわかる。』
蒼白になった同級生は、ヒカルに掴まれた腕がどう頑張っても放してもらえない時点で、観念したようだ。
『けれど、どうしてこんなことをしているのかわからない。君たちにとって、僕らが侯爵家と所縁がある関係だってことはそれほど有益な事なのかい?仮にそうだとして、君たちの強請ゆすりに、果たして侯爵家が応じるだろうか?』
『・・・母親との感心できない関係については、十分にネタになり得ると思えるけど?』
ふうっと煙を吐き出したモニーク先生が言った。
『別に。・・・僕たちは血の繋がった親子ではない。養子縁組を解消しさえすればなんの問題もないことさ。』
『スキャンダラスな情報を、お貴族様は嫌うんじゃないかってね?』
『僕の父親が現侯爵の腹違いの兄だってこと?そんなガセネタ、潰そうと思えばいくらでも潰せる。そういう手口には慣れているだろうからね。』
眉を上げて、紫の目を丸くしてからモニーク先生は両肩をすくめた。お手あげ、とでも言うように。
くわえていた煙草を、作業台の上に乗っていた筆洗に突っ込んで火を消すと、立ち上がってアリシアの方を見た。
この美術講師は最初から妙だったのだ。
いつも気怠そうな顔をして、脅迫らしいことを言っている割には関心がないみたいに。復縁を要求しておきながら、どっちでもいいんだけど、と言っているようで。
元々つかみどころのない女性ではあったが、今回の事は一層、彼女には似合わなくて解せない。
ヒカルと関係があった頃も、そういう所があった。来るものを拒まず、去るものを追わず。誘って応じない相手をしつこく追い回すような真似はしない。言ってみれば享楽主義らしいような所があった。生徒をつまみ食いしては食い散らかしていたにも関わらず、彼女を恨んでいる人間がいると聞かないのは、そのせいなんだろう。
『・・・まあ、ねぇ。面白そうかなって思ったから乗ったんだけどね。正直わたしは侯爵家なんてどうでもいいし、ヒカルにその気がないなら無理に付き合おうとか思わないの。そういうのって面倒臭いから。ちょっと揶揄ってるような気分で楽しかっただけよ?クールなヒカルの顔色が変わる所が見られたのは快感だったわ。』
『マ・・・っ!!』
『アリシアがどうしても乗ってくれって言うから乗っただけなの。・・・一応、実の娘の言う事だから、一つくらいは聞いてやらなくちゃって思ってね。』
『くやしかったのよっ!!』
ヒカルに腕を掴まれたまま、アリシアが髪を振り乱して怒鳴った。
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