流浪傭兵エイハブの乱入

何者ナニモンだ、てめぇ!?」


 男の姿を認めるや飛び退り、怒声をあげて身構える盗賊団の男たち。いつでも飛びかかれるように腰を落とし、仲間カルロを一刀のもとに斬り捨てた傭兵風の男を警戒している。

 男は足元に転がる下半身カルロを横に蹴り飛ばして盗賊たちを牽制するように見回すと、倒れたマリィを覗き込むように見下ろした。

 骨折の痛みに朦朧とするマリィの視線と、傭兵の視線が交差する。カルロが蹴り飛ばされた拍子にこぼれたのだろう。血の匂いが先ほどよりも色濃くマリィの嗅覚を塗りつぶす。


「……何者って言われてもな。旅の途中の傭兵だ、って答えれば良いのか?」


 鋭さよりも重さで肉を断つ重量武器を、棒きれでも扱うかのように軽々と肩に担いだ傭兵風の男は、上半身を起こしたマリィから盗賊団の男たちへと再び視線を向けると親しげな笑みを愉快そうに浮かべた。


「なぁ、兄弟ブラザー。歩き旅ってのは良いもんだよな」

「……は? 何を言ってやがる?」


 盗賊たちが鼻白む。マリィですら一瞬腕の痛みを忘れて、黒ずくめの傭兵の言葉に疑問符を浮かべていた。だが、黒ずくめの傭兵は彼らの戸惑いを意に介さずに言葉を続ける。


「あのクソッタレな灰と、この砂埃を除けば……平原の風ってのは、肌で感じると気持ちいいンだ。旅をしているって気分になる。分かるだろ? この赤砂平原は景色は単調だが――それはそれで味わいがある。風を感じながら歩くには、ちょうど良い。ああ、断っておくが、決して駅馬車ライナー切符代カネが無くて泣く泣く徒歩で旅しているわけじゃないンだ。そこは誤解するなよ?」


 聞いてもいないことを語り始める黒ずくめの傭兵。

 確かに、水薬ひとつ使うのもためらう懐事情の寂しい駆け出し冒険者のマリィから見ても、くたびれたジャケットにボロボロの外套姿の彼は、金を持ってるようには見えない風体だ。似たような身なりの先輩冒険者をギルドの酒場で何度も見かけたことがある。

 もちろん、この広い赤砂平原を駅馬車を使わずに徒歩で渡る人間が居ないわけではないが、そのような連中の大多数は金を持ってない。それどころか、懐の金よりも借金の額が多いこともざらである。

 言動からして彼が、金もあるのに歩き旅を選ぶ『奇特』な人間の可能性は非常に高いが――彼の身なりを見る限り、マリィには大多数に区分される人物に思えた。

 若く見えるが三十代と言ったところだろうか。防灰マスク代わりに巻いたボロ布じみた外套マントを除けば、旅塵で薄汚れたジャケットもズボンも黒。髪も前髪の一房――まるで流星が流れたかのように、そこだけが銀色だ――を除けば、全て黒い。無精ヒゲの生えた肌も日焼けによるものか浅黒く、刃のように鋭い目つきも瞳は黒い。

 彼は自分の目元を指差して苦笑いした。


「しかし、視力が良いのも考えものだよな。景色を眺めながら歩いてたら――粗末で汚えモノをブラ下げてるヤツが眼に入ったわけだ。分かるか? 良い気分で歩き旅ってところに、何が悲しくて野郎の祖チンを見なきゃなんねえンだ」

「「「「はぁ!?」」」」


 傭兵以外の全員が、同じ声を上げた。中でもマリィの声量が一番大きかった。貞操と命の危険の瀬戸際にあったのだ。間抜けな声を出してでも聞き返したくもなる。


「ちょ、ちょっと、あのっ! そこは普通、『女性が襲われてるので助けに入った』とかじゃないンですか!? というか、そんな馬鹿デカいで一人斬り殺してから話しかけるとか、イカれてるにも程があるでしょ!? いや、実際助かったンですけど!」


 マリィの抗議に男は心外だと言わんばかりに眉を寄せ、ややして得心が行ったとばかりにポンと手のひらを打った。


「――ああ、そうか。お嬢ちゃん、合意の上だったのか」


 そして噴飯モノの勘違いを披露した。


「悪い事したな。だが外での行為ってのはオッサン的に感心しないぞ。砂が入ると痛いってもんじゃない。あと個人の性癖にも依るんだろうが、被虐的なのはよろしくないぞ。そういうのが興奮する、って言われると俺も分からないでもないンだが……」

「ンなわけあるか――――ッ!!」


 的外れな忠告を述べ始めた男に、マリィは傷の痛みも忘れて思わず怒鳴っていた。直後、文字通り思い出したように砕けた右肘の痛みに息が詰まる。脂汗をにじませながら、マリィは無事な左腕で盗賊たちを指差して喘いだ。


「違うッ! そ、そいつら……キャラバン隊を襲った……盗賊、なのっ!!」


 激痛を堪え、マリィは途切れ途切れに叫ぶ。その姿が滑稽に見えたのか、傭兵の真正面にいた盗賊が防灰マスクの中で低く嗤った。盗賊たちは威圧的に肩を揺らしながら、しかし用心深く傭兵を囲むように摺り足で移動している。複数人での人狩りマンハントに手慣れている動きだ。


「ああ、そうだぜ。オレたちは泣く子も黙るブート&ガントレット盗賊団さ。聞いた事ぐらいあンだろ? 大陸全土で指名手配された血も涙もない極悪非道の盗賊団の噂ぐらいよォ?」

「なぁ、傭兵さん。情けねえ事に、アンタがブッ殺してくれたカルロも、オレたちの仲間なんだよ。一番の下っ端だけどな」

「下っ端とは言え仲間は仲間。仲間の仇は取らなきゃイケねえ。それが盗賊団オレたちのルールだ。ここまで言えば分かるよなァ?」


 剣呑な雰囲気を漂わせて笑う盗賊たちの前で、黒ずくめの傭兵は苦笑しつつ肩をすくめた。


「……察しは悪くないつもりだぜ?」

「どこがッ!? 人を野外行為愛好家の変態と勘違いしておいてッ!?」


 ほぼ反射的に、マリィは傷の痛みも忘れて反論していた。マリィ自身、冒険者稼業を始めたばかりの新米ではあるが、かと言って女性としての自尊心プライドを捨てたつもりは無い。外でヤるにしたって、こんな場所より、もう少しロマンチックな場所があるはずだし、抱かれるなら知性と教養と品性と財産があって借金の無い色男の方が良いに決まっている。そもそも、あんな盗賊に犯されるくらいなら、もろともに自爆する覚悟もあった。

 傭兵は猛然としたマリィの抗議に意外そうな――意外? なんで!? 私って、そんな阿婆擦アバズれに見えるの!?――顔で、羞恥と屈辱と苦痛に顔を赤らめたマリィを一瞥した。


「そりゃ悪かった」


 謝罪の言葉を投げた直後、予備動作もなく黒ずくめの傭兵が動いた。丸めた紙くずでもゴミ箱に投げつけるかのごとく無造作に、板斧剣プランク・アックスを正面の盗賊めがけて投げつける。

 北方の蛮族が使う板斧剣プランク・アックスは、その一本で成人男性一人分の重さと同等だと言われている。マリィも北方の蛮族領出身の冒険者たちが板斧剣プランク・アックスを背負っているのを見たことがあったが、その誰もが丸太のような筋肉質の腕だった。あの重さの鉄塊を振り回すには、それ相応の膂力を要するのは子どもでも分かる話だし、それほどの重量の物体が人体に当たればどうなるかは、想像するに容易い。

 だが、マリィは悲鳴を上げた。


「だめよっ! そいつら『飛礫防御風霊陣』ミサイルプロテクションを使ってるッ!」


 風の防御。それは陣地に向かって放たれた弓矢、放られた石礫を弾く絶対の防衛陣。もちろん、それは投擲された鉄塊――板斧剣プランク・アックスも例外ではない。

 例外ではない――と、マリィのみならず投げつけられた盗賊も思っていたはずだ。板斧剣プランク・アックスが身体に突き刺さるまでは。


「えっ? あ、あばっ、あっ、あ、あれ、れ、れれ、な、なんで――?」


 幅広い板斧剣プランク・アックスに顔面と胸を押し貫かれた盗賊が、間抜けな声を上げて後ろに倒れた。残った二人の盗賊は、倒れた仲間に気を取られるあまり、猛スピードで接近する黒い風に気付かない。


「馬鹿なッ!? 『飛礫防御風霊陣』ミサイルプロテクションを解除した覚えはねえぞッ!?」

「――そうかい。風向きが悪いンじゃねえの?」


 一瞬で間合いを詰めた傭兵は、おののく盗賊たちの間を駆け抜け、墓標のように死体に突き立った板斧剣プランク・アックスの柄をつかんで引き抜いた。


『形状変更:長柄槍斧』モード:ハルバード!」


 傭兵が叫ぶと同時に、巨大な鉄塊が生き物めいて蠕動する。板斧剣プランク・アックスは金属とは思えない粘性をもってうごめき、粘体の生物を想起させる動きで形を変えた。

 その変化は一秒とかからなかっただろう。傭兵が手にしていたのは板斧剣プランク・アックスではなく、身の丈よりも長い棒の先端に斧頭の穂先を携えた長柄槍斧ハルバードへと姿を変えていた。


魔道具マジックアイテムだとッ!?」

「――まぁ、そんなところだな」


 驚愕する盗賊へ律儀に返しつつ、傭兵は長柄槍斧ハルバードを近くにいた盗賊の脳天めがけて振り下ろした。狙われた盗賊は飛び退き、致命的な一撃を回避する。長柄槍斧ハルバードは勢い余って地面に突き刺さるかに見えたが、刺さる寸前で傭兵は手首を返し、盗賊の足下を薙ぎ払った。

 金属同士の噛み合う硬い音が響く。鎧袖一触の勢いで足首を刈るかに思えた傭兵の長柄槍斧ハルバードの斧刃の一撃を、盗賊のグリーブが受け止めている。


「ビビらせんじゃねえぜッ!」


 もう片方の足で長柄槍斧ハルバードを蹴り上げ、怒声を吐いて盗賊が間合いを詰めた。間合いの広い長柄武器ポールウェポンを持った相手を仕留めるのに、相手の懐に入るのは定石だが並大抵の事では無い。ためらわずに懐に飛び込んだ盗賊が、どれだけの修羅場をくぐってきたのかマリィには想像しようもなかった。

 あの盗賊たちは無手だが、それが彼らを恐れぬ理由にはならないことをマリィは身をもって知っている。彼らが徒手空拳でミルトンの鉄兜を砕いて殺す様をマリィは見たが、傭兵はそれを見ていない。


「がは――――ッ!?」


 数刻前の仲間が無残に死ぬ姿と重なるように、傭兵が殴り殺される光景がマリィの脳裏をよぎる。だが、響いた悲鳴は盗賊のものだ。間合いを詰めていたはずの苦鳴を上げて盗賊が真横に吹っ飛んでいた。彼は蹴り上げられた反動を利用して長柄槍斧ハルバードを回転させ、自身もまた回転する事で遠心力を加えて加速した一撃を真横から叩きつけていた。

 地面に叩きつけられた盗賊に向かって傭兵は追撃するが、彼の意識が逸れた瞬間を狙っていたのか、もう一人の盗賊が無言で地を蹴った。

 ただの盗賊とは思えない矢弾めいた速度にマリィは戦慄する。援護しようにも戦術魔導スペルスクリプトを使えるような状態では無い。出来るのは声を上げる事だけだ。


「避けて!」

「避けるまでもないさ」


 マリィの悲鳴じみた声を傭兵は聞き流す。死角から襲ってきた盗賊の貫手が傭兵の背中に迫る寸前、長柄槍斧ハルバードの柄がギュルリと捻れたかと思うや否や、飛びかかった盗賊の背中から銀色の刃が突き出ていた。


『形状変更:片手剣』モード:ロングソード――」


 長柄槍斧ハルバードは、一瞬で逆手に構えた片手剣へと変化していた。まるで拒馬杭に突き刺さった騎兵か、モズのはやにえのごとく胸を刺し貫かれた盗賊は防灰マスクの中に吐血する。傭兵は剣を手放すと旋風めいた速さで振り返り、盗賊の腹に蹴りを叩き込んで剣を引き抜いた。

 傷口から噴き出した赤砂とは異なる鮮やかなあかが大地に降りかかる。瀕死の盗賊は、血で汚れた防灰マスクの中でくぐもった雄叫びを上げて傭兵の喉を狙って掴みかかるが、失血で精彩を欠いた動きでは彼を捉える事は出来ない。

 傭兵は身を沈ませて突き出された両腕を避けると、地を這うほどの低い姿勢にも関わらず、盗賊の足首を蹴り払った。グリーブに包まれた盗賊の両足が真横に跳ね上がり、盗賊の身体は宙に投げ出される。傭兵は蹴り足の勢いのままに身体を回転させて竜巻めいて立ち上がり、落下中の無防備な盗賊の胴体をすれ違いざまに両断する。土砂降りを思わせるがごとく血と臓物が撒き散らされた。


「……なるほどな。胴体や頭は普通に刃が通る。俺の剣が通らないのは、その妙な気配を漂わせてるガントレットとグリーブだけか」


 返り血に濡れる剣先を最後に残った一人に向け、彼は血まみれの顔を笑みの形にゆがめた。


「――で、どうする? 極悪非道の盗賊団サマ。その妙なガントレットとグリーブを置いていくなら見逃してやってもいいンだぜ。逃げ帰って、お前らのお頭にでも泣きつけよ。怖いオジサンにイジメられましたぁ~って」

「舐めンじゃねえぞ、この傭兵野郎ッ!!」

「――――ッ!」


 仲間を屠られた盗賊が怒罵を吐き散らしながら、傭兵に向かってガントレットに包まれた両手をデタラメに振り回した。まるで癇癪を起こした子どものような行動だが、傭兵は何かを察して真横に跳んでいた。

 刹那、数秒前まで傭兵のいた場所を突風が吹き抜け、真後ろに落ちていた死体の上半身が三つに裂ける。自然現象では無い。間違いなく戦術魔導スペルスクリプトだ。骨折の痛みを忘れるほどの怖気が、マリィの背筋を撫で下ろした。


「今度は触媒も詠唱も無しに『風斬撃』ウィンドエッジを!?」


 戦術魔導において風や大気を操る『飛礫防御風霊陣』ミサイルプロテクション『風斬撃』ウィンドエッジが上級の術式と呼ばれる所以は、大気の精霊との仮契約インポートの難しさから来ている。

 大地は足下に広がるが故に、仮契約インポートのための魔力を大量に消費するのと同様、大気は陸上で暮らす人間の周囲に必ずあるが故に、下手に仮契約インポートしようものなら、一瞬で魔力切れを起こしかねない。そのため、『飛礫防御風霊陣』ミサイルプロテクションなどは沸騰させた湯から立ち上る蒸気を触媒にして起動するのが殆どであり、『風斬撃』ウィンドエッジについても革袋や小瓶に揮発しやすい気体を吹き込み、それを開けて触媒とするのが一般的だ。

 あの盗賊のように、腕を振り回すだけで『風斬撃』ウィンドエッジを三発も操るなど、マリィが今までに出会ってきた戦術魔導師の誰にも真似の出来ない所業だった。


「形勢逆転だな、傭兵野郎ッ!!」


 勝ち誇った盗賊が右腕を横薙ぎに払った。風を巻き上げ、大気の刃が疾駆する。傭兵は肩から横っ飛びに跳んで避け、砂まみれになりながらも盗賊に向かって走り出す。新たな『風斬撃』ウィンドエッジの刃が撃ち込まれるが、彼は足を止めることなく進路を変えて風の刃を躱し続ける。


「ひゃははははは! どうしたどうした、傭兵野郎ッ!! さっきまでの勢いはどうしたァ!! 逃げ回ってるだけか、オラァッ!」


 走る傭兵を追い回すように、盗賊は無数の大気の刃を繰り出した。一発に狙いつけるのではなく、乱れ撃ちで追い込むつもりだ。自分を狙う『風斬撃』ウィンドエッジを予測して避ける事も出来るが、デタラメに繰り出される刃を避けるのは至難の業だ。

 狙いをつけずにバラ撒かれた『風斬撃』ウィンドエッジが、まばらに生えた赤砂平原の草木を斬り裂いた。岩すらも難なく裂いて、鮮やかな断面を晒している。躱し損ねた刃が傭兵の肩や腕、太ももを斬り裂いて血をにじませるが、彼は怪我の痛みをまったく感じていないのか、さらに速度を上げて走り続けた。


「クソッ! なんで止まらねえ!」


 苛立ちを隠そうともせず盗賊は、さらに無数の『風斬撃』ウィンドエッジを繰り出した。狙いを外した刃が地面を抉り、もうもうと砂埃が舞い上がる。


「……そうか! 分かったぞ、てめえ! 魔力たま切れを狙ってやがンだなッ! だが、お生憎だ! オレたちに魔力たま切れはあり得ねえんだよッ!」


 浅はかだと言わんばかりに嘲りを含んだ笑い声を上げて、三度、盗賊は無数の『風斬撃』ウィンドエッジを繰り出す。

 迫る風の斬撃。

 傭兵が、足を止めた。


「そいつは見当違いだ」


 一直線。盗賊と傭兵の間には草木も岩も無く、ただ砂埃が風の前に舞うのみ――


「言っただろ。俺は視力は良いってな――よぉく見えるぜ。刃の軌道が、なッ!」


 水面を跳ねる鯉魚のごとく、彼は盗賊に向かって飛び込んだ。

 迫り来る無数の大気の刃――立ちこめる砂埃によって斬撃の軌道がハッキリと見える――の間隙を、まるで曲芸団の獅子が演じる火の輪くぐりよろしく飛び越え、傭兵は一足跳びで盗賊との間合いを詰めるッ!


「ば、ばかな――ッ!?」


 盗賊は半狂乱になって『風斬撃』ウィンドエッジを放つが、撃てば撃つほど風で舞い上がる砂埃が不可視の斬撃を露わにするだけだ。見えている刃を避ける事など、彼には造作も無い事なのだろう。


『形状変更:重大剣』モード:ヘビィブレード!」


 盗賊が絶叫した。傭兵の振り上げた片手剣が板斧剣プランク・アックスに一瞬で変化する。頭めがけて叩きつけられる重量のある鉄塊。避けきれないと悟った人間は反射的に腕で頭をかばうものだが、あの盗賊もその点では同じようだ。両腕のガントレットで頭をかばう――よりも速く、傭兵の板斧剣プランク・アックスが振り下ろされた。盗賊は頭を叩き潰され、そのまま股間まで一気に斬断された。



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「……『形状変更:短剣』モード:ダガー


 傭兵は板斧剣プランク・アックスを短剣に変えると、足下に転がる死体のズボンで血糊を拭った。汚れを落とした短剣をジャケットのナイフホルダーにしまうと、彼はマリィの元にゆっくりと歩み寄る。


「大丈夫かい、冒険者の嬢ちゃん」

「あの……助、かり……まし……ぅッ!」


 マリィも立ち上がろうと足に力を込めたが無理だった。大岩を触媒に『地霊柱撃衝』サイズミックインパクトを撃ったことで魔力切れを起こしているのと、折れた右腕をかばっているせいか上手く立てない。


「無理すんなよ、嬢ちゃん。腕が折れてるンだ。見たとこ戦術魔導師のようだが、治療術は使えるか?」

「今は、無、理……で……す……」


 戦術魔導スペルスクリプトには外傷を治療する術式も存在する。だが、その魔力消費量は攻性術式以上に生半可な物では無い。膝を擦りむいた程度の怪我でも治療術式で治そうとすれば、『地霊衝撃弾』サイズミックブラストと同程度の魔力を失う。余程の大怪我――それこそ今のマリィのような複雑骨折でもなければ、治療術で治すよりも薬師の調合した薬草に頼るのが一般的だ。

 だが、この骨折を自力で綺麗さっぱり元に戻そうと考えたら、どれだけの魔力が必要になるか想像もつかない。あのゲロ不味い水薬で腹をダボダボにでもすれば癒やせるだろうが、右肘が治る前に味覚したが死ぬ。


「そうか。なら冒険者ギルドで治療術師を手配してもらうといい。ここから近いのはエスカロンだが、あれくらいの大きな街ならギルドの支部があるだろう?」

「む、無理ですよ……そんな、お金、あるように……見え、ますか?」


 肩をすくめる傭兵にマリィは首を横に振った。確かに、彼の言うように冒険者ギルドは不測の事態に備えて治療術師を控えさせている。だが、問題はその利用価格だ。価格の相場は傷の再生難易度によって上がり、またギルドへの貢献が大きいほど値引きされる。青三角ブルースリー最上位ヴァイオレットならいざ知らず、駆け出し冒険者レッドラインのマリィが肘の骨折の治療を依頼するならば、少なく見積もってもファラミィ金貨で二百枚は要求されるだろう。冒険者から債務者へジョブチェンジだ。


(……それでも、あんな風に死ぬよりマシ)


 マリィは唇を強く噛んだ。

 アンバーとミルトン、あの二人の最後は呆気なかった。いつか未発見の遺跡を踏破するのが夢だ――と麦酒の注がれたジョッキを片手に語っていた二人の冒険者。自分よりも年上なのに、子どものように目を輝かせて夢を語る彼ら。

 夢に指先をかけることすらなく、ブート&ガントレット盗賊団によって虫ケラのように殺された彼ら。

 その盗賊団も、この黒ずくめの傭兵によって死んだ。


(あ、そう言えば、私、この人の名前、聞いてない……)


 ふと、マリィは助けてもらった相手の名前も聞いていない事に気が付いた。

 切羽詰まっていたとは言え、流石に礼を失する行為だろう。たとえ相手が、こちらの事を変態行為愛好家だと誤認識するような無礼な奴だとしても、助けてもらったのは事実だ。礼を欠くべきではない。


「助けて、いただいて、ありがとう……ございます。あの……」

「まだ名乗ってなかったな。俺はエイハブ――エイハブ・ロウだ。気ままに旅をしながら傭兵稼業をやってる。嬢ちゃんは?」

「わ、私――ぁ……」


 そこがマリィの限界だった。上半身がぐらりと揺れ、右腕をかばって顔から地面に突っ伏した。

 大量の体内魔力の消費。未だに続く骨折の痛み。そして追っ手から逃れたことで緊張の糸が切れたのだろう。マリィの意識はロウソクの炎を吹き消すかのごとく、ふわりと暖かい闇に落ちていく。


(エイハブ・ロウ……エイハブ・ロウ、って確か――)


 意識を手放す寸前、マリィは学生時代に聞いた覚えのある彼の名を、記憶の底から引き揚げた。


 エイハブ・ロウ。

 その名は『銀腕』の二つ名を持つ凄腕の傭兵で――そして、凄腕の戦術魔導師殺しコードブレイカーの名だった。

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