第7話 正体発見

 芙蓉さんに悪かったかしら?

 と思ったのは、朝、アラームを止め、気分爽快に目覚めてからだった。

 半身起こし、ぐるっと腰をひねって後ろの壁のお札を見て、

「悪霊を退散できたのって、このお札のお陰なのかしら?」

 と、今ひとつ疑問に思いながらも、罰を当てられたら困ると思い、

「昨夜はありがとうございました。お陰さまで気分爽快の目覚めでございます」

 と、ありがたくお礼を言った。

 まあ、芙蓉さんには、紅倉美姫っていうすごい霊能師の先生がいるんだし、ま、平気よね?

 うーん……、と伸びをし、白い朝の光の溢れる部屋で、本当に久しぶりに気分爽快の目覚めだった。

 これでもうあの蛇に悩まされることはない、と、霊能力者でもないのに確かな確信があった。

 それにしても、と、はたと思ったことがあった。

 自分は当たり前のようにあの蛇が生きている人間の怨念だと思っていたけれど、普通は死んだ人間の幽霊を想像するんじゃないかしら?

 何故だろう? と思ったが、考えても分からず、すぐに、

 ま、いいや。

 と、持ち前のポジティブ思考で切り替えた。

 ともかく、終わった。

 よかった、よかった。



 今日は1限から講義があり、遅刻しないように大学に向かった。

 スクールバスを降り、集団で正門をくぐり、エントリーコートを歩いていくと、また芙蓉が一人で横手のメインコートからやってきた。

「芙蓉さーん」

 玲緒奈は手を挙げて呼び止め、集団から駆け足で抜け出して彼女の下へ向かった。

「おはようございます」

「おはよう。芙蓉さんはバス通学じゃないの?」

「わたしは自動車です」

「あっそ。いいわねえ、車を持ってるなんて」

 1年のくせに生意気な。どこのお嬢様よ?

「先生の車です。わたしは運転手で。先生はご自身では運転できないので、ご用のない時は使っていいことになっているんです。早く運転に慣れるようにと。まだ若葉マークですから」

「へー」

 金持ちは先生様か。どうせろくな商売してないんだわ。

 車1台で理不尽に決めつけて、玲緒奈は紅倉美姫に一方的に反感を抱いた。

 それで気が楽になって、芙蓉美貴をしっかり観察した。

 目の下に隈ができていたり、肌が荒れたりということはなく、元気なようだ。

 じっくり見ていると芙蓉の方もじいっと玲緒奈を見ていて、玲緒奈は慌てて愛想笑いを浮かべた。

「芙蓉さんは朝型?」

「はい。でも先生が夜型なので、お付き合いして寝不足になることも多くて」

 と、芙蓉は苦笑した。そういえば玲緒奈が芙蓉が笑ったのを見たのはこれが初めてだった。

「弟子って、住み込みでやってるの?」

「はい」

「へー、落語家みたい。ねえ?何か意地悪な命令されたりしないの?」

「しませんよ。まあ、わがままなこと言って困らされることはありますけど……子供みたいなものです。先生のお世話を出来るのは幸せです」

 嬉しそうににっこり笑う芙蓉を見て、

 あーあ、こりゃあ、完全に教祖様に洗脳されてるわ、

 と呆れた。

「おっと、教室に行かなくちゃ。それじゃあ芙蓉さん、またね」

「はい。失礼します」

 芙蓉と別れて歩き出して、

 蛇は行かなかったのかなあ?

 と首を傾げた。なんだか絶好調って感じじゃない?

 昨日はわたしの脚で満足して、今夜から彼女の所へ通うんじゃないかしら?

 これからどうなるか、ちょっと楽しみかもー。

 玲緒奈は悪趣味にそう思って、ルンルン気分で1限の講堂へ向かった。



 1週間後、マリンスポーツイベントのキャスティングオーディションが開かれた。

 会場は商業施設に連結するビルの貸し会議室だった。

 指定の時間30分前にフロアに行くと、廊下には思い思いの勝負服に身を包んだ綺麗どころの女の子がずらりと並んでいた。

 受付でチェックを受け、ナンバーバッジを受け取り、列に混じって自分のグループの番を待った。

 ちらりと列を眺め、さすがにいつもに増してレベルの高い子が多いが、わたしだって負けてないわよ、と思った。

 あれ以来夜中蛇が現れることはなく、ぐっすり眠ることが出来て、ピチピチのお肌が復活している。

 講義にも真面目に出席して賢く顔を引き締めて、仕上がりは完璧だ。

 このオーディションに合格して、シンデレラの階段を上るのだ!

「ちょっとごめんなさい」

 後から来た子が自分のバッジのナンバーを見て、玲緒奈ととなりの子の間に入ってきた。同じグループで面接を受けるライバルだ。

 ストレートの黒髪を両サイド真っ白なジャケットの胸に垂らして、いかにもいい女風の子だ。

 玲緒奈は、フン、マリンスポーツには似合わないわね、と切り捨てたが。

「ねえ、知ってる?」

 と、その子は玲緒奈に囁きかけてきた。

「このイベントのオーディション、大手のモデルエージェンシーのオーディションも兼ねているんですって」

 こっそり内緒話の声だったが、周りの女の子たちもぴくりと反応したのが分かった。

「ふうーん、そうなの?」

 玲緒奈はとぼけて興味のないふりを装ったが、内心では、やっぱり噂は広まってるのね、と、レベルの高いライバルたちを思った。

「そうなんだって」

 と、女はまだ話を続けた。

「だから楽しみにして来たんだあ、綺麗な子が多いんだろうなあって。うふふ」

 なんなのこいつ? と、玲緒奈は女を気味悪く思った。

「ね、あなた」

 呼びかけられて顔を見て、玲緒奈はぎょっとした。

 うふふ、と女は真っ白な肌に真っ赤な唇をつり上げた。

「この間のイベントでもお会いしたわよね?」

 玲緒奈はこっくりと、まるで蛇に睨まれたカエルのようにうなずいた。

 この目、

 確かに覚えている。

 まつげが真っ黒にやたら濃くて、瞳がやたら薄くて、金色みたいだ。カラーコンタクトなんじゃないかと疑うが、ごく自然に見える。

 この目は、まるで蛇みたいだ。

 ぞくりと背中の産毛が逆立った。

 この目だ、この目を意識の底に覚えていたから、あれが死んだ人間じゃなく、生きた人間だと分かったんだ。


 この女が、蛇だ!


 女は玲緒奈の恐れなどまるで気付かないように親しげに話し続けた。

「セクシーな脚してるなあってうらやましく思って見ていたの。ダンスとかやってる?」

 玲緒奈も平静を装っておしゃべりした。

「ううん。高校時代は陸上部で幅跳びをやってたから、それでかな? あと、寝る前のストレッチは欠かさずにやってるわ。あなたこそ、肌、真っ白で綺麗ね? 美容液とか何使ってるの?」

「わたしはちょっと特殊な美容法をしてるんだ。

 肉は、食用蛙しか食べない」

 カエル!?

「鶏肉みたいにヘルシーなんだよ? それと、

 夜寝る前にね、生卵を3個、飲むんだ」

 玲緒奈は気持ち悪さに思わず肩を震え上がらせた。

 女は真っ赤な唇から舌を覗かせて真っ白な前歯を舐め、妙に湿り気のある声で言った。

「わたし、綺麗な女の子って大好きなんだあ。見てるとうっとりしちゃうよねえ? 仲良くなって近くでいっしょにいたいなあって思うんだけど、あんまり仲良くしてくれる人っていないんだよねえ。みんな表でお客様相手にはニコニコ笑顔のくせにさ、休憩時間にほっと一息ついて、お友達として話しかけると、つーんと無視されちゃうんだよねえー?」

 女は玲緒奈の顔を覗き込んで意味深に笑った。

「そ、そうなんだ。まあ、仕方ないよ、みんなお互いをライバルだと思ってるから…………」

 玲緒奈は上ずった声でやっとやっと言った。女はニイッと笑った。

「わたし、宇賀神妙子。よろしくね?」

「よろしく。わたしは玲緒奈」

「レオナちゃんかあ、いかにもモデルって感じね?」

 妙子は蛇の目を細めて玲緒奈をねめ回し、

「オーディション合格して、新しい事務所で一緒になれるといいわね、ライバルさん?」

 と笑い、ふいっと、前を向いた。

 玲緒奈はドキドキしてじっとり嫌な汗をかいてしまった。

 妙子がそれっきり話しかけてこないのに安心しながら、最後の笑顔が気になった。

 ひどく酷薄で、もうすっかり玲緒奈なんか見限ったような嘲りに感じたのだ。



 オーディションは、さんざんだった。

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