第2話 頼れるお姉様
あれ以来毎晩のように夜寝ている間に足がつるようになってしまった。
夜中何かひどい悪夢にうなされ、脚が痛み、朝起きると体中寝汗でべっとりしている。
それが1週間続き、玲緒奈は、もしかして何かの病気なのではないか? とかなり深刻に悩むようになっていた。
脚の痛みは両方あった。右脚だけだったり、左脚だけだったり、両方だったり。日によってまちまちだったが、痛みがまったくない日はなかった。
ネットで夜中足がつる原因を調べてみた。疲労や、栄養や水分の不足、糖尿病の恐れなんていう怖い原因もあったが、疲労以外は自分には当てはまらないと思う。対処法として紹介されているマッサージやストレッチなんて毎日やっている。
原因は分からず、分からないとなるとますます不安が募った。
寝不足になり、それが大事な肌や顔に出るようになってきた。
鏡を見た玲緒奈は、
「ひょっとして、誰かに呪われてるんじゃないかしら?」
と、冗談ともつかず考えた。
玲緒奈はイベントコンパニオン派遣の事務所と契約して仕事を紹介してもらっている。
小さなイベントは直接仕事の依頼が来ることもあるが、大きな物はクライアントの方でオーディションが行われ、そこで選ばれなければ仕事はもらえない。
そうしたオーディション情報はメールで送られてきて、特に用がなければ事務所へ定期的に通うようなことはない。
けれどもそこはライバルとしのぎを削る苛烈な業界なので、誰かさんにこっそり依怙贔屓して有力な情報を流してはしないか、出来たら自分に流してほしいな、と、玲緒奈は時間があると事務所に顔を出すようにしていた。
契約しているのは中堅の事務所だが、ここから大手のモデルエージェンシーへ卒業して行った先輩もいて、なかなかあなどれない中堅なのだ。
玲緒奈には一応担当としてアドバイスしてくれたりするマネージャーがいた。
里子さんという30代の、元ナレーターコンパニオンをしていた、綺麗な人だ。
コンパニオンにもランクがあって、ショーの舞台に立ったり、ナレーション、司会進行を担当するのは、ただ単に綺麗なだけではない、スキルを持ったハイランクの人たちだ。
玲緒奈たち一般のコンパニオンがまず目指す目標は彼女たちのポジションだ。
里子さんは事務所の正社員だが、それは彼女が色々と有能で、その能力を買われて正社員に昇格したのだが、一般のコンパニオンたちは皆契約社員ということになっている。20代後半、30代までコンパニオンを続けていられる人は限られている、クライアントから必要とされる面でも、自分自身続けて行く気持ちの面でも。
だから今、玲緒奈たちはみんな必死で、真剣なのだ。
里子さんなら信頼できる、と、玲緒奈は毎夜のことを話した。
「それは困ったわねえ」
里子は玲緒奈の深刻な様子と、疲れの出た顔を見て言った。
「わたしは医者じゃないから体のことは分からないけれど、わたしも経験的に考えて、やっぱり精神的なものじゃないかしら? それとも、玲緒奈はそういうタイプじゃないかなあ?」
「わたしだって繊細な神経をしてます! それに、ぶっちゃけ、本当に何かはっきりした原因があるんじゃないかって怖いんです。……誰かに恨まれて、呪われているんじゃないか、って…………」
玲緒奈は笑われるんじゃないかと下から睨むようにしながら言ったが、里子は笑ったりせず、玲緒奈の目を見返してきて訊いた。
「そういう相手に心当たりあるの?」
「全然。コンパニオンはみんなライバルって言えばライバルだし、でもわたしなんかぜんぜん眼中にないだろうし」
「そんなことないわよお、玲緒奈は目立つわよ? 顔も綺麗だし、プロポーションもいいし」
「そうですか?」
里子に言われると玲緒奈もだらしなく顔を緩めてしまった。もちろん、顔や体には自信があった。言ってはなんだが自分より数段劣る一般人の同級生なんかに褒められても、
『当然じゃない』
と思うだけで、
『あんたたちと同じレベルで見ないでよね』
と不機嫌にさえ思ってしまう。ずいぶん嫌な女みたいだが、目指しているものが遥か高みにあるのだから、こんな下の所で自己満足なんてしてられない。
でも、里子さんに言われるなら、玲緒奈も素直に嬉しい。里子さんは自分も経験してきて業界の厳しさを知っているから、見込みのない人を勘違いさせるようなことは言わない。
玲緒奈は勝手に、里子さんがかなえられなかった夢をわたしが実現してみせる! と、彼女の妹分のように思って慕っていた。里子もどうやら芸能界入りを狙っていて、それでアナウンサーのスクールにも通っていたらしい。
「里子さんも現役時代他の子から嫉妬を受けるようなことはあったんですか? あ、里子さんなら当然ありましたよね?」
どうかな?と里子は苦笑した。
「ライバルはいたわよ。でも、嫉妬というのはどうかしら? わたしはあなたみたいに目立つタイプじゃなかったから。お陰で企業受けはよかったかしら?」
「そうですかあ?」
玲緒奈は疑わしげに里子を見た。今はストレートのショートカットにして、ビシッとスーツを着込んで、いかにも出来そうなキャリアウーマンの出で立ちをしているが、胸が大きくて、若い頃にはかなりのフェロモン系美女だったに違いないと玲緒奈は睨んでいる。
そんな里子さんでさえけっきょく夢を叶えることは出来なかったのか、と思うと自信がなくなってしまう。
勝手に妄想して勝手に沈んでいると、
「ほら、元気出しなさいよ。あなたは明るい顔がいいんだから」
と、いたずらっぽく両方の人差し指を伸ばして玲緒奈の頬をグリグリする仕草をして笑わせてくれた。
「それにしても困ったわねえ。本当に呪いなんかかけられていたら、わたしたちみたいな素人にはどうしようもないわね」
里子が真面目に考え込んでいるので玲緒奈は怖くなってしまった。
「あのう、自分で言っておいてなんですけど、呪いなんて、信じてます?」
「あら、芸能業界は信心深いのよ? 歌舞伎や映画で『お岩さん』を演るときは必ずお墓参りするでしょう? しないと必ず事故が起きる、って言うじゃない? まあ、コンパニオン派遣業がそこまで信心深いとは思わないけど」
里子はちょっと寂しそうに笑った。
「わたしは信じるわ。人の思い込みって怖い物だもの」
里子の実感のこもった言葉に玲緒奈はぞっとした。ジロリ、と、里子のくっきりした大きな目が玲緒奈を見た。
「男、じゃないでしょうね?」
「違いますよお」
玲緒奈は大きく手を振って否定した。
「少なくともわたし自身にはまったく心当たりありません!」
玲緒奈は美人だから、当然男にもてた。高校時代のことだから男子にと言うべきか。
玲緒奈は地方出身で、大学進学で東京に出てきた。東京に出る為に東京の大学を受けたのだ。それも念を入れて男との接触の少ない女子大を。
玲緒奈には中学の頃からはっきりと将来は芸能人になりたいという思いがあった。だからスキャンダルの種になる男子とのおつきあいは自主的に御法度だった。ちょっとかっこいい男子がいて、同級生から「○○君、玲緒奈に気があるみたいだよ?」なんてそそのかされても、あの程度、東京に行けばうじゃうじゃ腐るほどいるわよ、と、まったく関心を持たないようにした。
それだけ確固とした決意があったから、東京に出てきてからも浮かれることなく、男関係には更に警戒して、合コンなんかの誘いも全て断るようにしていた。一般女子から見ればもったいない、灰色の青春かもしれないが、ストイックに夢に懸けているのだ。悔いはない、つもりだ。
男関係と言えば、ストーカーも怖い。イベント会場で、高級一眼レフを構えるカメラ小僧たちにも、自分のサポーターになってくれるのはありがたく、笑顔でポーズをサービスするが、決して特定の人間に媚びることなく、皆に平等に接し、決して勘違いさせないように気をつけている。まあ、それも相手の気持ち次第で、予防措置も万全ではあり得ないが。
残念ながら、カメラ小僧たちの人気も玲緒奈は突出して高い方ではなかった。他に彼らの群がるスターコンパニオンが何人もいる。
ちょっと男に対して構え過ぎかしら? いっそ少し遊んでるくらいが……
と考えていたら、里子の怖い目で睨まれていた。
「ありません、ありません。断じて、ありません!」
慌てて再否定して、
「ならいいけど」
と、里子も信じたようで、玲緒奈はほっとした。里子は見るからにだらしのない子は嫌いな感じで、現在一番頼れる味方である彼女には絶対嫌われたくない。
「それじゃあ、わたしが神社でお札をもらってきてあげる。ちゃんと多めにお賽銭上げて神様にお願いしてくるから、安心して。そうね、あさってにでもまた来てくれる?」
「はい! ありがとうございます!」
玲緒奈は元気にお礼を言った。呪い撃退のめどが立ったのもほっとしたが、何より里子が自分に親身になって相談を受けてくれたのが嬉しかった。
自分は里子さんに見込まれているのかな? と、ちょっと得意にもなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます