スープ缶
食卓に定期的に食器の音が響くのは、数年ぶりのことだ。工場内の床に積み上がったスープ缶の残骸は一掃され、以前フレッドが使っていた小さな陶器のスープ皿は綺麗に磨かれた状態でテーブルに並んでいた。
工場内の居住スペースが使われた事さえ久しい中、フレッドは足を踏み入れた際の整然とした様子を思い返す。記録上のインテリアと、寸分違わないのだ。
丁寧に掃除はされているが、壁際に掛けられたアナログ時計は記録時点から故障したまま取り替えられていない。
その空間だけ、時間が止まっているようだった。
「やっぱり、朝はこれだね」
「そうだろう? お前がいつ帰ってきてもいいように、買い貯めておいたんだ。おかげで、少し飽きてしまったよ……」
瑞々しいコーンがパッケージに描かれたコーン・スープ缶は、以前のフレッドにとっての好物だった。彼は適度に父親と会話しながら、一心不乱にスープを口に運んでいたのだ。
フレッドも、それを再現する。本来活動に食事の摂取は必要としないが、父親が望むなら食すまでだ。食道を模した補給管にトロリとした熱い液体を注ぎ込みながら、彼は父親との会話を続けた。
「父さん、あれから色々あったんだ。お前が急に姿を見せなくなってから、仕事も手につかなくてな。従業員はみんな辞めていったよ。だから、私はお前をたった一人で造ったんだ。空を飛ぶロボットは、また来年だな……!」
以前のフレッドが交通事故死した事を、今のフレッドは工場内の情報収集で理解していた。父親が目を離していた期間、旅行先での不慮の事故だという。無残に損壊した亡骸だけが帰ってきたのだ。
父親の当時の日記には、「いつか取り戻す」と確かな筆跡で書かれていた。今は、その願いを叶えている最中なのだろう。
ちょうど食事を終えた頃、フレッドの聴覚センサは微かな違和感を捉える。バタバタと工場の周囲を走り回る足音と、騒ぎ立てるような声だ。
「父さん、お客さんかな?」
「……静かにしていろ」
ガラスの破砕音と、湧き立つような声。父親は立ち上がり、険しい表情で壊された窓へ向かう。
「おい、気付かれたぞ!」
「いつもあんな睨んでたか?」
「撤収だ、お前ら!!」
割れたガラスを慣れた手つきで拾い集め、父親は険しい表情のままで再び食卓に座る。フレッドの顔を見ると、大きく溜め息を吐いた。
「街の不良共だよ。ここを幽霊屋敷だとでも思っているらしい。親の教育がなっていないんだよ……」
「それ、どうにもならないの?」
「街の連中もここに関わる気はないらしい。まぁ、私も関わる気はないがね……」
飲み終えたスープ皿をシンクに放り込み、フレッドは父親が窓を修繕する様子を黙って見つめていた。広い工場内に風が吹き込み、隅に溜まった埃を巻き上げさせる。もうじき冬が始まるのだ。
「……ここは、誰にも渡さんよ」
父親は絞り出すように呟いた。かつては賑やかだったこの工場も、今は二人が暮らすだけの居住地だ。廃墟や幽霊屋敷と噂されようと、父にとっては思い出の詰まった楽園なのだ。
「フレッド、新しい玩具を作ってやろう。久しぶりに、機械を動かしたいんだ」
「ありがとう。それ使って外で遊んでいい?」
「それはダメだ。外は危ないからな…….」
また不良が現れるかもしれない、と父親は言う。フレッドはその声色にある“恐れ”に勘付いた。
「あの人たち、怖いの……?」
「あんな親不孝者達、何が怖いものか。大人に反抗する事だけが能の連中だぞ? フレッドは、あんな奴らには影響されないよな?」
フレッドは頷いた。相手が最も必要とする返事はそれだろう、と判断したからだ。彼はラーニングを繰り返すことにより、ある程度の判断基準を自らに実装するまでになっていた。
「事故だって、もう怖くないんだ。お前の身体は、もうトラックの衝突くらいでは平気な程に頑丈だろう?」
父親は自らに言い聞かせるように、フレッドを諭した。それでもなお、彼の心には未だ事故の記憶が消えないのだ。恐れは、そこから生まれていた。
「家の中でもちゃんと遊べるようなものを作るよ。だから、私の目の届く範囲にいてくれ……」
フレッドは再び頷いた。もとより、外に出ることなど考えていない。彼の中での世界はこの敷地内であり、そこを離れることは彼にとってあり得ない選択肢だった。
父にとって、フレッドは何にも代えがたい宝だった。それを守るためなら、命さえ賭けてもいい。そう考えていたのだ。
だが、それがアンドロイドまで及ぶとは限らないのである。
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