終章 エピローグ

「行ってきまーす」


 朝の仕込みを終えると、いつものようにフックは荷車に品物を積み、街に向かう。


「行ってらっしゃい、気をつけてね」


 荷車を引いて行くフックの姿が見えなくなるまで若い女が見送っている。


 やがてフックが通りの角を曲がるのを見届けると、ヴェールを被ったその女はパン工房の中に入った。


「お姉さん、何を手伝えばいいですか?」


 女が早速仕事を手伝おうとすると、


「あ、こっちはだいたい済みそうだから大丈夫よー。じゃあ、家事のほう頼んでいい?」


 笑顔でルクが答える。


「わかりましたー」


 女は住まいの中に入り、楽しそうに家事に取り掛かった。


 ラファがここに住み始めて二ヶ月余り、最早すっかり家族の一員として溶け込んでいた。


 最初にフックがラファを連れてきた時は、さすがに驚いたルクだったが、ルクなりの見立てなのだろうか、フックの決意の強さと、ラファの気立ての良さを認めると、


「まあ、あんたらしいわね。頑張りなさい」


 と、フックを許し、ラファを受け入れた。


 はじめこそ驚いていたコメも、今ではすっかりラファになついていた。


 そしてルクも、ラファが店の仕事に慣れた頃を見計らって、どうやらゼロリスのプロポーズを受けるつもりのようだ。


 そんな日々が過ぎたある夜のこと、フックとラファがベッドに入り、そろそろ休もうとしていると、コンコン、と外から窓を叩く音がする。


 それに気づき、驚いた二人がそっと窓の外を伺うと、夜だとゆうのに何故か明るく光を放つ窓の下に、一人の女が立っていた。


 その女は美しいと形容するより、もはや神々しいと言うべき姿をしていた。


「誰だ?」


 フックが尋ねる。当然こんな時間でもあり、気味が悪い。


 すると、女は優しい笑みを浮かべながら、


「久しぶりですね、ラファ、フック、私です」


 と柔らかな声を発し、


「······え?」


 と驚く二人に、


「わからないのも当然ですね。私です。クウヤです」


 と告げた。


「······クウヤさん?」


 二人が驚いたのも当然だ。二人が知るあの老婆だったクウヤとは、まるで別人である。


 あまりのことに言葉を失っている二人に

 クウヤは続けた。


「実は······私は東の森に住む女神なのです。」


「女神さま······?」


「そうです。もう永らく東の森で娘と平和に暮らしていました。けれども数年前に人間たちが戦争をした時、傷つき倒れていた隣国の若い兵士を見つけ看病していた私の娘ミオが、その兵士といつしか恋に落ちてしまったのです」


「······」


「アルカンと言うその兵士の傷が癒える頃、隣国の敗戦が濃厚になり、アルカンは追っ手から逃げる事にしたのですが、既に恋仲となっていた二人は、反対する私の言葉も聴かず駆け落ちしてしまったのです」


「そして、最愛の娘を失い、悲しみに暮れながら彷徨う間に、私はいつしか闇に堕ち、力もほぼ失っていました」


「······なんと」


「そしてこの街にたどり着いた私に、いつも優しくしてくれたラファに感謝していましたが、あの夜、ラファの面影に良くない未来が見えましたので、そうならずに済むよう、ラファの顔に痣を作ってそれを阻んだのです」


 クウヤの話に、二人はただ驚くしかなかった。


「ですがようやく、ミオがアルカンと一緒に森に戻って来てくれて、おかげで私も力を取り戻すことが出来ました」


「······良かった」


 それを聞いたラファが、まるで我が事かのように喜んだ。


「ありがとうラファ。あなたは本当に良くしてくれました。あのような形でしか救えなかった私を許してください」


「いえ、とんでもないです。クウヤさん、

 あ······ 女神様のおかげで、今こうして幸せです」


 それを聞いて嬉しそうにクウヤが微笑む。


「フック、よくラファを救ってくれました。私からもお礼を言わせてください」


「あ、いえ、僕は自分がしたいようにしただけですよ」


「あなたは本当に正直ですね。そしてフック、あなたは人の為にこそ力を発揮できる人のようですね。あなたの為にも、あれでよかったのかも知れません」


 クウヤは嬉しそうに微笑み、次にラファに問いかけた。


「ラファ······今なら何かを信じる事ができるのではなくて?」


「······はい、できます」


 ラファはフックをみつめ微笑んだ。


 それを見てクウヤは満足そうに頷くと、


「さて、あなた達はもう大丈夫。ではラファ、本当のお礼をさせてください」


「?」


「ラファ、こちらに」


 手招きされ、ラファが近づくと、クウヤはあの時と同じように、ラファの頬に手を触れた。


 クウヤの手が神々しい光を放っている。


 そしてクウヤが手を離すと、驚く事にラファの両頬から、すっかり痣が消えていた。


「おお······」


 隣で見ているフックの驚きように、自分の手で頬を確かめたラファにも、何が起きたのか理解する事ができた。


「さて、ではお別れです。ラファ、フック、幸せに暮らしてください」


 そう言うとクウヤは微笑んで手を振りながら、闇の中に姿を消した。




 今日もフックは荷車に品物を載せ街に向かう。


 その後ろ姿が見えなくなるまで手を振って見送るのは、近頃、街で一番の美人と噂になっている最愛の妻、ラファであった。


 fin


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イブメル恋歌 @leon729

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