第3章 霹靂
数日後、
「無礼な!客では無い、我はコー伯爵の衛士長ルシールと申す者。この店の主に話が有って参った」
慌てたカオはルシールと、イモーサと名乗ったもうひとりの騎士を奥に通し、調理場で職人達を差配していた妓楼の主を呼びつけた。
鴇羽楼の主は名をエビーといい、カオの夫である。この辺りの花街でエビーを知らぬ者は無く、客はもちろんの事、娼妓も大事にする事から、仏のエビーと呼ばれる事も有る男だ。
「大変失礼を致しました。この店の主エビーでございます。して、お話とはいかような事にございましょう?」
丁重にエビーは尋ねた。
「単刀直入に申す。この妓楼に、ラファという娘が居ると聞く」
「ラファでございますか、確かにうちの者でございますが、何か粗相でも······?」
「されば、我が主コー伯爵におかれては、そのラファという娘を身請けしたいとの意向である」
「なんとまあ······」
エビーとカオは驚いた。
コー伯爵は貴族、それも伯爵ともなれば遠くで王の系譜とも繋がりがある。
酔狂、道楽で貴族が水揚げをする例は有るが、身請けは滅多にあるものでは無い。
「して、返答は?」
ルシールが詰め寄る。
「それは······」
思いもしなかった話に驚いたエビーだったが、身元に間違いは無い相手である。ラファに取ってもこんな良い話はあるものでは無い。また、妓楼にも箔が付くと言うものだ。
「有難い仰せにございます。謹んでお受け致します」
エビーは深々と頭下げた。
「殊勝な事よ」
ルシールは満足そうに頷くと、
「話も決まったところで、そのラファという娘をあらためたいのだが、会わせて貰えるか?」
と言い出した。
「仰せと有れば······」
と、エビーはカオに目配せをする。亭主の意を汲んだカオは、ラファの支度を整えるべくその場を辞した。
程なく、カオに伴われ応接間に現れたラファの姿を見て、ルシール達は驚かずにはいられなかった。
「ほぅ······これは······」
確かに美しい。話には聞いていたがこれ程とは······なるほど好色な主人が望む訳である。
「なるほど、間違いは無いようだ。では、邪魔をしたな······」
と、席を立とうとするルシールを、慌ててエビーが引き留める。
「お待ちになってくださいませ、このままお返ししては私共の名折れにございます。別室に一席設けておりますれば、そちらでゆるりとこれからの段取りなど······」
「むむ······だが、伯爵が吉報をお待ちであられる」
すると、これまでほとんど口を開かずに居たイモーサが、
「ならば、私が先に戻りましょう」
と申し出た。イモーサはルシールと比べるとかなり華奢な体躯で、顔立ちも騎士とは思えぬ程端正である。店から使いを走らせるから、とエビーは引き止めたが、イモーサは固辞し、すぐに妓楼を発った。
残ったルシールがエビーの案内で二階の客室に通されると、そこには既に酒と肴が用意され、カオの酌を受けながら、ルシールはエビーと今後の手筈などを確認した。
ひとしきり話が落ち着いた頃、エビーが席を立ち、
「私共では気の利いたおもてなしもできません。代わりの者を呼んでおります」
と、奥の板戸を開いた。するとそこには非の打ち所なく煌びやかに装い、艶めかしい微笑を湛えた美女が控えていた。
「当妓楼一の娘です。私共は失礼致しますので、ごゆるりと・・・」
そう言い残し、エビーはカオと共に客間を出て行った。
残された女はしずしずとルシールに近づくと、艶っぽくルシールの耳元で囁いた。
「マナミと申します。どのような事でも従いますので、どうぞ、お好きになさってくださいませ······」
伯爵屋敷へと向かうイモーサは非常に不愉快だった。
イモーサは実は女性である。あの後妓楼で何が起こるか想像できたイモーサは、言わばルシールに気を利かせ場を外したのであった。
それは別段構わない。問題はラファの事である。
(あのように可憐な娘が、また伯爵の玩具にされるのか······)
コー伯爵は少し変わった性癖の持ち主であった。無類の猫好きが高じ、侍らせる女性たちにも格好や仕草など、猫の真似をさせ愛でていた。
その上少しでも逆らったり、猫らしくない、と判断されたり、飽きられた女性たちは容赦なく捨てられた。
衛士の中でも女性であり、寝所等の警護につかせられる事が多いイモーサはそのあたりの事情をよく知っており、同じ女性として伯爵の行いには不信感を募らせていた。
(ラファと言ったか······あのような類い稀な美姫が······他に道は無いのか·····)
屋敷に近づくにつれ、イモーサの足取りは重くなってゆく。
ここ鴇羽楼では、翌日から慌ただしい騒ぎとなっていた。急ぎ身請けしたい、とのコー伯爵の意向を受け、身請けの手筈、衣装や道具の支度など、大忙しである。
だが、当の本人であるラファは、あまりの事に驚きつつもひとり塞ぎ込んでいた。
必ず会いに来る、と約束してくれた菓子職人のフック。優しく、誠実そうな人柄が好ましく感じられ、ふと気づくとラファの中で、気になる存在となっていた。
そんなフックにも会えること無く、このまま身請けされて行くのかと思うと、つくづく思い通りにならぬ我が身を嘆いていた。
そんなラファがある時窓辺に腰掛け、物思いにふけりながら通りを眺めていると、道に立ってこちらを見上げている女がいた。クウヤだ。
自分がこの妓楼を出たら、もうこの人にパンをあげる事もできなくなってしまう、と身請けの段取りで他の者達が忙しくしている隙を伺い、ラファは店の外に出た。
妓楼の外に出たラファはクウヤに歩み寄ると、
「クウヤさん、ごめんなさい。私、ここから居なくなってしまうの······」
と自身の境遇が変わることを告げた。
クウヤは何も言わず、ラファを見つめたまま話を聞いている。
「ごめんね······もうパンをあげれないの······あ、そうだ」
「······?」
「そう!フックさん、この前お菓子をくれた人。あの人ならきっと、私の代わりに······」
と、続けようとするラファを
「大丈夫よラファ」
クウヤが遮った。
「クウヤさん······でも······」
いつしかラファの目には涙が浮かんでいる。
それに気づいたのか、クウヤは両手を上げて、そっとラファの頬を撫でた。
「さようなら・・・ラファ」
愛おしそうにラファの頬を撫でながらそう呟くと、踵をかえしたクウヤはそのまま路地の奥へと歩きさってしまった。
「クウヤさん······」
クウヤの後ろ姿を見送っていたラファは、零れた涙を拭おうと、頬に手を当てる。
その時ようやく、異変に気づいた。
「············え?」
酔客とゆうものは、とかく他人の中傷が好きなものらしい。
「鴇羽楼のラファと言う娘がコー伯爵に身請けされるそうな」
「なんでも、たいそうな美人だそうじゃないか」
「じゃが······噂では、その伯爵様は幾分変わった趣味をお持ちらしぃのぅ」
「おいおい、それ以上は言わないほうが······」
「おっと······剣呑剣呑」
これ以上聞きたくも無い噂話を背に、パブのカウンターでフックは痛飲していた。
「もうやめとけ、飲みすぎだ」
と、このパブの亭主ゼロリスがフックからグラスを取り上げる。
このゼロリスとゆう男は、フックの兄ヒロとはかつての戦友であり、また幼なじみでもあった。フックも子供の頃は、兄のヒロと一緒に毎日遊んでもらったものだ。
「いいじゃないですかぁ、ゼロさぁん······」
もう一杯だけ!とフックが手を合わせる仕草をする。
「らしくもない、お前いつもは滅多に飲まないじゃないか」
「大丈夫ですよぉ······あ、金? 金なら結構有りますよ······使い道の無い金がね······あはは」
その言葉を聞いた途端、ゼロリスの目つきが厳しくなる。
ゼロリスはカウンターから出ると、テーブルで飲んでいる客達に向かい、
「おーい、スマンな、今日はもう閉店だ、出てってくれ」
と言い放った。
当然、口々に文句を言う客達に向かってゼロリスは、
「今すぐ出て行けば、金は要らねえ、全部俺の奢りだ。どうだ、文句ねぇだろ?」
と、一人残らず追い払ってしまった。 残ったのはフックひとりである。ゼロリスはカウンターに近づくと、フックを睨みつけながら、
「お前の兄貴はなぁ、俺の目の前で、ルクとコメを頼む、と言って死んだ······」
と、押し殺した声で言った。
ヒロは乱戦の中、敵の矢を胸に受け、同郷ゆえ同じ小隊だったゼロリスの腕の中で息を引き取った。それはフックも聞かされていた事である。
「でもな」
ゼロリスが続ける。
「ヒロがずっと心配してたのは、お前のことなんだぜ」
「えっ?」
「やっぱり、今のお前は見てらんねぇ」
と、ゼロリスはフックの前に立ち、
「これは、ヒロからだと思え」
やおら、フックの頬に拳を見舞った。
「うぐっ······痛ってえええ」
熾烈を極めた戦争を戦い抜いて、生還したゼロリスの拳は重かった。
ゼロリスは倒れ呻いているフックの前に屈みこみ、語りかける。
「なぁフック、お前、何がしたいの?」
「何って······」
「ヒロは言ってたぞ。弟は俺より才能が有る、なのに周りに遠慮して、それを活かそうとしない、ってな」
「兄さんが······」
「でも、ここんとこのお前、頑張ってたじゃん。ルクも喜んでたぞ······なのに、なんでいきなりそんなヤケになってんだよ」
「······だって」
「なぁフック、俺はルクの事、ずっと前から好きなんだわ」
「······知ってます」
「······だよな。で、ヒロが死んじまって、ルクがひとりになった時、結構悩んだのよ」
「······?」
「自分の親友を大好きだった女に、ヒロが居なくなってひとりになったからって、じゃ次俺で、とかさ。都合良くね?ってな」
「······あぁ」
「でもさ、ある時思ったのよ」
「ルクがヒロの事を好きでいる限り、ヒロはまだ死んでないんじゃね?ってな」
「え?」
「少なくともルクの中でヒロは生きてるって事じゃん?ってさ」
「あぁ······なるほど」
「そう、だったらさ」
「······?」
「昔できなかったヒロとの勝負、挑んでやろうってな」
「······」
「てことで、ルクに結婚申し込む事にしたわ」
「ゼロさん······」
「ま、偉そうな事言ってるけど、俺もな、昔はヒロに遠慮して挑まなかったんだよ。でもな、その後ずっと後悔してた」
「······」
「ま、今度もまたヒロに勝てねぇかもしんねーけどさ。挑んでダメならスッキリもするじゃん?」
「······うん」
「で、お前はどうなのよ?」
「え?」
「だいたいの話は聞いた。惚れた女の身請けが決まったんだってな。 で? それがどーした?」
「どうしたって······人のモノに······」
「まだ話が決まっただけだろーが」
「············」
「フック君さぁ、ナメんなよ? 俺なんて、ルクが他の奴と結婚しようが、そいつの子供ができようが、ずっと好きだったんだぞ?」
「ゼロさん······」
「何?お前、指咥えて見てんのかよ」
「······嫌だ」
「お前の本気ってそんなもんだった訳?」
「······違う」
「······ほう」
ゼロリスは気づいた。覇気を失っていたフックの瞳に生気が戻っている。
「違う!」
「そっか、まぁ、ゆっくり考えてみな」
ゼロリスは酒の並んだ棚からブランデーを一本つかむと、
「殴って悪かったな。詫びだ、家で飲んでくれ」
と、フックに差し出した。
だが、フックはそれを受け取ろうとはせず、
「ありがと、でも酒はもういいや」
と、静かに立ち上がった。
「お? そうか」
「ゼロさん······ありがとう。なんか、スッキリした」
ゼロリスはそれを聞くと嬉しそうに微笑み、
「ま、
背中を叩いてフックを送り出した。
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