ラギ王国王宮宝物庫異聞録

花房いちご(ハナブサ)

人知れず、しかし確かに囁くものたち



1


ラギ王国の至宝……そんな大袈裟な。ただの絨毯だぞ。

いやいや、嘘じゃない。確かに我ながら凝った意匠だよ。鮮やかな花が咲き乱れ鳥が憩う、羊毛も上等で織り手も達人。逸品だ。国中探してもこれ以上の物はないだろう。だがな、あんたが奴らに言うような魔法はないよ。

そんな呪文を唱えても、ジャスミンは絨毯の紋様でしかないし薔薇も菫も香らない。鸚鵡はあんたの名を呼ばないし、鷹は敵を退けない。もちろん乗って空を飛ぶはずもない。オレだって叶うならなあ。広げた瞬間に、この見事な紋様に相応しい美酒美食の類を並べれたら……とは思うさ。

なあ、だからやめてくれよ。盗むだなんて。お前さん、そっちの荒くれたちと違ってせっかくいい耳を持ってるのに。本当のことを教えてやるからさ。もう一度この紋様を見てみろよ。珍しいだろう?ジャスミンも薔薇も菫も珍しい花じゃないが、描き方が違う。曲線の多い流麗な線描、贅沢で軽妙な色使い……この国の物じゃない。はるか昔に滅んだシャラの国の技だ。

シャラ国。上質の羊毛とそれを使った織物、特に絨毯で名を馳せた国だ。ラギ王国の隣国にあたり長く友好関係にあったが……。六百七十五年前、あの忌々しい帝国に滅ぼされた。救援を呼ぶ間も無くな。

時のラギ王国王太子バラカート殿下は友邦の滅びを深く嘆いた。シャラ国は、婚約者ヤサミーン王女の国だ。二人は幼い頃から相思相愛で、数年後に結婚するはずだった。助けに行こうとしたが止められてしまう。帝国はシャラ国を平らげ侵攻を止めた。みだりに刺激してはならない。が、バラカート殿下は隙をついて旅立った。

帝国領となったシャラ国は略奪者の巣穴。変装し、帝国兵として入り込んだ。皆、流暢な帝国語と略奪兵から奪った装束、なにより朗らかな笑みに騙された。潜り込んで様々なことがわかる。シャラ王家の主だった者は討ち死にか処刑され、妃や王女たちは自害した。が、後宮に第二王女ヤサミーン殿下の亡骸はなかった。

確信した。どこかに逃げ延びたに違いない。バラカート殿下は探し回った。頼りは己だけだ。ヤサミーン王女は、きっと自分が探しに来るのを待っている。なにか符丁があるはずだと。あてどなく探し回り、似た姿の娘をみては落胆し、どれだけ経ったか。裏通り、すすり泣きと怨嗟の声を聞きながら薄い酒を飲んだ。口内に花の香りが広がり、暗澹たる気分が少しだけ晴れた。酒はかなり薄まってはいたが、なかなか美味い。しかもこの香りはどこか懐かしい。

『ああ、この酒はとっておきだ。ジャスミンの香りがするだろう?一年中、あの花が咲いている土地でしか作ってない酒だ』

はっと思い出した。ヤサミーン王女ゆかりの地を。その土地は母后の故郷だった。

急いでジャスミンの郷へ向かった。戦火はおよんでおらず、織り機や糸車の音が楽しげに響いている。母后は貧しい職工の娘。立派な屋敷ではなくそのような家にいるはずと探し続けた。が、見咎められ捕らえられてしまう。

『訳あってこの様な風体だが、私は帝国兵ではない。ラギ王国から許嫁を探しに来た。名は呼べぬが、拵えた絨毯を見ればわかる』

バラカート殿下は旅にやつれていたが、隠しようのない高貴さは失われていなかった。民は半信半疑ながらも絨毯を広げてゆく。バラカート殿下は、やがてある一つを指差した。

『これだ。この鸚鵡だ』

絨毯に描かれた鸚鵡の柄が、バラカート殿下がヤサミーン王女に贈った鸚鵡とそっくりだった。匿われていたヤサミーン王女はバラカート殿下と再会し、二人はラギ王国へ戻り結婚した。

昔々の話だ。だが、由来のある話だ。オレだけじゃない、ここにある宝物は全てがそんな話を持っている。そして、故あってここに居るのだ。なのに盗み出して売り払うなんざ道理が……。

ああ、丸められちまった。話の途中だってのに。せめて丁寧に運べないのかね。こちとら織られて六百年越えの骨董品だぞ。……わかったわかった。黙りますよ。オレはな。

……しかし盗んだねえ。

宝玉まみれの兜、曰く付きの剣、金剛石と紅玉の指輪、緑柱石の首飾り、象牙と金の盃、絹と翡翠のベルト……。

……なあ、泣きなさんな瑠璃の瞳さん。すぐに宝物庫に帰れるからさ。いやいや、嘘じゃない。……鸚鵡が許さないのさ。

「泥棒!泥棒!泥棒がいるぞ!」

ほらな。見張り兵がすっ飛んできた。

この鸚鵡紋様、その瞳でよくご覧。その通り。本物の鸚鵡の羽根を使ってるんだ。

鸚鵡は忠義者でね。可愛がってくれたヤサミーン王女がバラカート殿下と会えるよう、自ら羽根をむしって絨毯に織り込ませたのさ。そうして、ヤサミーン王女が正后になり母后になり御隠れになってなお、子孫と国を見守っている。

ん?嘘?なにが……ああ確かに、この鸚鵡は魔法仕掛けだ。オレは魔法の絨毯さ。しかしだね瑠璃の瞳さん。盗人に真実を話してやる必要があるか?

……ああ、愚かな盗人共の断末魔が聞こえてきた。鸚鵡が寝てる間に済ませばよかったのにな。

……あんなに話しかけたのは目覚めるまでの時間稼ぎだったのかって?ご想像にお任せするよ。


テーマ:絨毯


2


あれから一月。ようやく静かになりましたわね。今度こそ悪漢の手に落ちるかと思いましたが。

ええ、絨毯のお爺様。一度攫われかけたことがございますの。ご覧になって。片割れが少し歪でしょう?この三百二十三年、どなたのお耳も飾らせて頂けない理由です。

ふふ。お気になさらず。

ここには、あのお方のお耳に下がっていた頃とは違う楽しみがありますわ。ゆるりと時が流れて、声を潜めて語らって……。ああ、あのお方が仰っていた平穏とは、まさにこの日々なのだと……。

あのお方、アビール様は私など霞む美しさでした。闇色の髪は星の煌めき、傷一つない肌は滑らかな胡桃色、ふっくらとした唇はアーモンドの花の愛らしさ。なにより人を魅了したのは、しなやかな肢体と瑠璃色の瞳でした。

貴族の御生れで、他の子女の皆様と共に後宮に入られました。そして、瞬く間に時の王ジャーハン陛下を魅了なさいました。そのご寵愛はなはだしいものでした。一族郎党の立身出世はもちろん、あろうことか家宝の瑠璃を砕き耳飾りを拵えさせました。それが私です。

アビール様は野心のない賢い方でした。陰謀渦巻く後宮に入ったのも本意ではありません。平穏な日々を夢見、人の悪意を苦手とされました。ですから、他の寵姫の嫉妬を煽らぬよう、私がお耳を飾るのは陛下が御渡りになられる日だけです。また、ご自分から陛下になにかをお求めになることもございませんでした。お可哀想に。侍女にすら気を許せず、夜は震えておいででした。陛下のご寵愛を失った後の行く末すら恐れて……ですがある日、孤独な日々に一筋の光が射しました。

その日は、後宮に入り二年目の冬でした。正后陛下がアビール様をご自分のお部屋にお招きされたのです。お供した首飾りの言うことには、わずか一言、二言の会話でアビール様に邪心がないと見抜かれたそうです。

ヌール正后陛下。このお方は、アビール様以上の賢女であらせられました。古今東西の歴史政治経済に通じ、国王陛下が常に助言をお求めになるほど。いえ、正確に申し上げればもう一人の王といえるお方でした。国王陛下は芸術、美姫、数年ごとの外征にのみご興味を示され、内政にはご興味のないお方でしたので。さる国では『外に吠える獅子、内を睨む虎』この様に喩えられ恐れられたそうです。それはともかく、お招きは一度では終わりませんでした。お好きな花、詩歌、故郷の昔話、飼っている鳥について、政務中の笑話……お二人はたわいもない話を重ね、親しくなられてゆきました。ですが、あの日は違いました。

中庭のラーレが美しく咲き乱れる昼下がりのことでした。国王陛下のお渡りを待つアビール様の元に、正后陛下が訪われたのです。突然のこと、加えて正后陛下は改まったご様子。それもそのはず、アビール様の一族への反感が高まりつつあったのです。既にお命を落とされた方まで……。正后陛下は淡々と、アビール様は息も耐えんばかりです。その震える手を力強い手が握りました。正后陛下の瞳が和らぎ、慈しみ深い光を放ちました。

『酷なことだ。そなたは心安らかにありたいだけなのにな……』

正后陛下のお言葉が震えをなだめて下さりました。さらに、優しい抱擁と力強い誓いが耳朶に注がれました。

『案ずるな。ジャーハンと私は夫婦というより戦友の仲。その戦友の心を慰めるそなたを私も守り慈しもう』

その時、私は悲鳴を上げそうになりました。アビール様のお耳の熱いこと!

それもそのはず。首筋や頬からは、血潮が激しく駆け巡る音が伝わります。国王陛下のご寵愛を受けている時よりも激しく……。

伏魔殿たる後宮で、唯一お心に寄り添って下さった方、お心をわかった上で守ろうとして下さる方。アビール様のお心は正后陛下への慕わしさで染め上げられました。

『これが噂の瑠璃の瞳か。ジャーハンの見立ては流石だな。そなたに相応しい。どうか私と会う時も着けていて欲しい』

この日以来、アビール様は健気に私でお耳を飾り、お招きか訪れをお心待ちになさいました。お会い出来た日は天に昇るご様子で、私までのぼせて溶ける心持ちでした。

……正后陛下がお隠れになるまでの瞬きの間でしたが。

ご病気とも暗殺とも囁かれましたが、真相は闇。

アビール様は嘆きに嘆かれて、寝台から出ることすら出来なくなりました。

それが更なる不幸の始まりでした。

陛下と正后陛下の間には王子が一人おりました。その王子に毒を吹き込む、アビール様とご一族を憎む奸臣も。

『ご母堂を呪殺したのはあの女です。伏せっているのがその証拠。呪い返しが効いたのです』

この王子は愚かではありませんでしたが、あまりに幼く深く傷ついておられました。

『ご母堂の仇を討つのです』

奸臣の言うまま、刺客を放ってしまいました。

後はご想像通りです。

あの時も、アビール様は私をお耳に飾り、正后陛下を偲んでいらした。

寝台の中で震えて泣いて、涙で濡れた手が私に触れます。かつて正后陛下がそうされたように、優しく親しげな……。

瞳を閉じて夢の世界に逃げ、懐かしい指先に浸ります。震えが止まり、やがて幸せそうに唇が緩みました。

刺客に刺し貫かれてもなお、うっとりと。

それだけが救いだと、今でも思います。

刺客は役目を果たしたか確かめるため、アビール様の髪を引きました。あまりの惨たらしさに私はただ震えています。震えたせいか、この瑠璃が闇にも映えるからか、刺客の目が私に釘付けになります。無骨な指が片方を掴みました。

しばしの葛藤がありました。

下手な欲は身を滅ぼすと知っていたのでしょう。結果的に、その葛藤こそが命取りになりました。

刺客は捕らえられ、その時に私の片方が床に叩きつけられました。

以来、私はここにいます。家宝を使っているとはいえ不吉だということで、直されもせずここに入れられたのです。

まあ、絨毯のお爺様ったら。そう嘆かないで下さいませ。

私は幸せです。ここにいる限り、アビール様以外の耳を飾らなくて済むんですもの。

ただ、お墓の中までお供できなかったことは……少しだけ心残りです。


おしまい


テーマ:宝石


3


はあ……。滅入るよ。もう誰でもいい。俺を使ってくれ。

瑠璃の瞳様、気にしないで下さい。流石に暇で暇で……。

はい、私はシャヒン殿下ご遺愛の品。殿下以外に使われるのは真っ平御免。……そうは言っても百四十一年ですよ。欠けてもないってのに。

殿下がご存命の頃は楽しかったなあ。大きな家具から小さな小物入れまで。あの方は私たちを使って、それは巧みに木工仕事をなさった。天性の才能があったのはもちろん、努力を重ね腕を磨かれたんだ。最も、政事に近づき過ぎればお命が危うい身であられたから、趣味に没頭するしかなかったんですがね。碌に外にも出られなくて……。もし、王家でなく平民にお生まれであれば……。いや、詮無い話ですね。お忘れ下さい。

私の柄の模様ですか?ええ、彫刻した貝裏を嵌めています。鷹の羽根なのは、シャヒン殿下に捧げられたからです。いい職人でしたよ。螺鈿と組み木細工の達人でした。はるか東方の異国から攫われ、流れ流れてこの地まで来た。嘆いても不思議ではない境遇でしたが、直向きに己の仕事に打ち込み、様々な技術を学んだ名工です。とある貴族のお抱えでしたが、瞬く間に腕が知れ渡りシャヒン殿下の目に留まります。螺鈿細工の品は、まだ輸入するか戦利品でしかお目にかかれない時代です。その職人に殿下は魅せられ、王宮に召し上げて教えを乞うようになりました。最初はお大尽の気紛れだと構えていた職人も、すぐに殿下の技能とお志しに感服しました。立場も国も歳も何もかもが違う。言葉が通じない時すらある。そんな二人でしたが、すぐ意気投合しました。二人は殿下の工房で、朝から晩まで貝裏と木を加工し、それは楽しく腕を磨きました。

別れは唐突に訪れます。職人の故国からの使者が親善に訪れました。自分たちが初めての来訪者だと心得ていた彼らは、職人の存在に驚きました。自国の民が攫われ流れてこの地に縛られている。しかも様々な異国に渡りその事情に通じた人物です。本人の意思とは別の思惑のもと、職人も彼らと共に帰ることになりました。

殿下は嘆かれましたが、職人の為に表には出しませんでした。

職人は全てを察し、愛用の品に鷹の羽根を加え献上し、国に帰りました。

はい。それが私です。

殿下はよほど嬉しかったんでしょうね。私を片時も離しませんでしたよ。

……お年を召されて病にお倒れになってからも……。

いや、私は墓の下までご一緒したいとは思いません。これでよかったんですよ。

きっと、召された殿下は職人の国に行ったに違いありません。

きっと、目をキラキラ輝かせて異国の技を学んでる。異国の道具を使って。

なんてね。私……構いませんか?へへ。なんか嬉しいな。……俺はね。待ってるんですよ。またあの二人が俺を取りに来る日を。だからここにいる。墓の下じゃあ、あっという間に錆びちまうでしょう?

ここにさえ居れば、たまに磨かれるから心配ない。

まあ、叶わないことはわかってますよ。

ただ、まだしばらくは。殿下の最期のように待ち人来たるを信じてえのさ。


おしまい


テーマ:忘れられたもの


4


うむ。叩き鑿の申すことには一理ある。道具は使われてこそじゃ。ワシも使われていた頃が懐かしい……。

直されて再び使われる?それは無理じゃな。握り手の水晶と装飾の象牙の割れ具合は酷いものじゃし、全体が曲がっておる。下手に弄れば崩壊するゆえ、ここに入れられたのじゃ。

割れた理由か。ふむ……。知っての通り、ワシはラギ王国最高裁判官の象徴。大事に扱われておった。そもそも使われるのは沙汰を下すわずかな間。あと二、三百年は持つはずじゃった。最後の持ち主。あの男のせいじゃな。聴きたいか?なら語ってやろう。

男は優秀で公平な法律家であった。『凍れる冷静』『揺らがぬ天秤』『慈悲なき鉄槌』『正義の体現者』『解けぬ氷』世の評は真二つに別れた。しかし、賛美する者も非難する者も、男個人の人格については『人嫌いの偏屈者』と称しておった。

全ては真摯さの表れじゃよ。男は裁判が終わる度、水晶を撫でながら己の裁決に過ちがなかったか鑑みた。そして、裁きに私情が挟まぬよう縁者を遠ざけ寡黙を貫いた。

ワシは色んな奴に使われた。

あの男以上の裁判官はおらんかったよ。

二十年と少し、男はその地位にいた。髪と髭は白く長くなり、数々の裁きを下し地位は不動。しかし、男は苦悩の檻に入れられてしまっていた。

『私はこの大役に相応しいか?』『主観が入っていないか?』『そもそも正しさとはなんだ?』

男の悩みを聞いていたのは、恐らくワシだけじゃったな。男は答えを探しているようにも、探し当てるのを恐れているようにも見えた。ギラギラと光っていた目は落ち窪み、悩みが喉に張り付き声を小さくしていく。次第に判断も鈍り、迷いが面に出る。

老いとはかくも恐ろしい。あれほど恐れられた男は、いまや食い物にされようとしていた。

『意義を申し上げる』

被告人は明らかに有罪じゃった。じゃが、野心に輝く目で男を見据え、自信という油で潤った喉から声を出し、男を揺さぶった。

『全ては調べを怠った裁判官どもによる誤解!無実を主張する!また、名誉を傷つけた裁判官どもには相応の報いを受けてもらう!無論、最高裁判官である貴方にもだ!』

証拠のない、明らかな言いがかりじゃというのに男はぐらぐらと揺れた。

『そうかもしれない』『とうとう間違えた』『裁かれる側になる』『それもいいかもしれん』『大それた役目だった』

揺れながら男は小さく呟いた。長く重すぎる責務を背負った為、痩せ衰えた……今にも倒れそうな身体で。

じゃからワシは杖としての本分を果たした。

男は不安を鎮めるためか、握り手の水晶をぎゅっと握った。しかし、水晶は手のひらから逃げる。ワシはそのまま大きな音を立てて倒れてしまう。

誰もが驚き、数瞬だけ気を取られる。真っ先に我に返ったのは、水晶の反射光を目に受けた部下じゃ。

素早くワシを拾って男に渡し、その時に小声で囁いた。

『しっかりなさい。貴方の裁きの公平たるを信じた我らを裏切るおつもりか』

ワシを掴んだ手が大きく震え、すぐに力強く掴み直した。目に輝きが戻り、喉から不安が剥がれ落ち、良く通る声が滑り出る。

ここから先は言わんでもわかるじゃろう。

男は過たず判決を下し、ワシは傷だらけでお役御免じゃ。

ん?倒れたのはワシの意思じゃが、部下を操ってはおらんよ。きっかけさえ与えれば、あの部下は男を鼓舞するか支えるとわかっておったからな。

ふふん。このワシにかかれば、この程度の読心なぞ軽いものよ。

ワシを誰だと思っておる。

歴代のラギ王国最高裁判官を転ばぬよう支え導いた権状『氷の杖』じゃぞ。


おしまい


テーマ:氷の杖


5


どいつもこいつも。また使われたいだの主に義理立てだの良くいうねえ。アタシはごめんだよ。外にいる間に使い倒された。ゆっくり休んでたいね。なのに毎日毎日、煩いったらありゃしない。

……氷の旦那、なんで笑ってるんです?ふん。こいつらね。

別に面倒みちゃいませんよ。ほっとくと迷子になって余計に煩いから監視してるんです。細っこいのに古いから力が強いでしょう?動き回るのも好きだから手がかかります。たまには手伝って下さいな。ま、確かに長い付き合いですからね。邪険にするのも気まずい。……好きでやってんじゃないですって……こら!言ったそばから!……すみません。瑠璃の瞳様。こいつとこいつ、貴女に憧れているんです。色が似てるからって。ああもう。自分で登れないのに台座から降りるんじゃないよ全く!ほら、乗りな。

……そういえば瑠璃の瞳様は最近まで箱の中でしたから見たことありませんでしたか。ええ、この金の羽飾りですよ。

これがある限り、アタシは飛べます。アタシを使った踊り子たちみたいにね。

ふふ。貴女様にキラキラさせてお願いされちゃあ仕方ありません。昔ほど綺麗に踊れるかはわかりませんが……。おや、楽器の皆様までその気だ。じゃあ一つ、派手に踊ってご覧に入れましょう!タイルたち!お前らもだよ!

……はあ……疲れた。……なんですか笑って。ふん。確かに楽しかったですよ。演奏は流石だし、あの気難しい金剛石と紅玉の指輪様に緑柱石の首飾り様まで加わって……。ん?ああ、お前たちも上手かったよ。色とりどりで動きにキレが……そうかい。踊り子たちの調子を覚えていたんだね。……そうさね。またいつか。お前たちが綺麗に敷かれた床で踊れたら。その時は氷の旦那、あんたも一曲踊ってもらいますよ。ふふ。つれないこと言いっこなし。同じ墓の仲間じゃないですか。

……あっ間違えました。ここは墓所じゃありませんでしたね。どうも癖が抜けません。

ええ。私は元はアドゥル閣下……四百八十年前に亡くなられた宰相の墓所にいたんですよ。

もちろん始めからそこに居たんじゃありません。こいつらが敷かれていた宮殿で、宮殿付きの踊り子たちと楽しく踊ってたんです。それがまあ……。閣下は踊り子の一人をお気に召していたとかで、自分の道連れにするよう遺言を残してたんですよ。

はい。当然、踊り子にとっては青天の霹靂。とはいえ逆らいようがありません。逃げたりすれば家族や仲間がどうなるか……。生き埋めだけは嫌だって、毒を飲んで従ったんです。

怒って下さりますか。少しはあの子も報われるでしょう。あの子は飾り立てられ、閣下のご遺骸の隣に並べられました。それからゆっくり、朽ち果てて……。

墓荒らしが来たのは五十年後か六十年後でしたかね。豪奢な副葬品と共にアタシまであの子から引き剥がしやがった!

どうしてもね。許せませんでしたよ。あの子の骨がガラガラと崩れて……。せめて静かに眠らせてやりたかったのに。

……アタシは優しくありません。しっかり呪ってやりましたから。

墓荒らしは寝ぐらに帰ります。そこには幼い娘がいました。ずいぶん可愛がっている様子でしたから、見えるように袋から落ちてやりましたよ。ええ。夜目にも眩しい金の光、踊り子と彼女たちに恋する男の憧れの輝き。小娘一人魅力するのはわけないこと。

娘は止めるのも聞かずアタシを履きました。

澄まして調子に乗って踊ります。

ふふ。ご明察。踊り疲れて止めようとしても止めれません。墓荒らしを突き飛ばし、一晩じゅう踊り狂い足を血塗れにしました。

墓荒らしはすっかり怯えてお役人に白状し、娘を助けてくれと懇願します。アタシは満足して解放してやりましたよ。命ばかりは助けてやりました。

……まあ、骨が見えてたし二度と歩けなくなったかもしれませんが。

墓荒らしを退治したのはあの子、あの可哀想な踊り子の魂ってことになりました。荒らされた遺骸は整えられ、改めて弔われます。アタシも共に埋葬されるはずでしたが、時の陛下が興味を持たれ手元に取り寄せました。この方、かなりの癖者だったのですが長くなるので別の機会に。とにかく、私は陛下がご存命の限りはその手元にあり、死後はここに入ることになったのです。

そしたらまあ、砕けてるけど馴染みの床はいるわ、煌びやかな方々はいるわ、怪しい方々もいるわで……。

いえいえ。もうあの墓所には戻りたくありませんよ。元気な娘でしたからね。墓を荒らされた時に飛んで行ったにちがいありません。きっと、魂だけになって遠い場所で踊ってます。

ええ、ええ、きっとそう。でなければ救われませんよ。


おしまい


テーマ:墓荒らし


6


守り人よ、明かりを持て。確かこの辺りだったはずだが……。雷模様に雷卵石の飾りはと……うむ。この剣だ。間違いない。

血相を変えてなんだ?ふん。その話なら聞いている。

雷の剣。伝説の名工ヴォーダンの愛し子の作。比類なき名剣だが持ち主は必ず落雷で命を落とす。

面白いではないか。いずれ王になる私が持つに相応しい。持っていくぞ。

貴様、逆らうか。

陛下の許可……この剣には斯様な取り決めがあったか。仕方あるまい。事を構えるにはちと早すぎる。

ふん。戯れだ戯れ。今はまだ、な。

しばしの別れだ雷の剣よ。私が王座についた暁にはそなたを使ってやる。


行っちまったねえ。タハディン殿下。戦好きだとか血の気が多いとは聞いていたけど……。雷の旦那、どうなさるおつもりで。

失礼しました。旦那は話さないんでしたね。持ち主と見込んだ相手にしか。

あの殿下にも語りかけたんですか?

ま、アタシにゃ関係ありませんがね。やめた方がいいと思いますよ。

持ち主の全盛期に雷を落として殺す。王族がそんな目にあったら今度こそ折られますよ。大体まだ十歳にもなってないじゃないですか。今から定めを決めちゃあお可哀想です。

……なんだい鷹羽根。アタシは別に心配なんかしてないよ。もし雷の旦那が殿下を殺したらアタシらまで壊されかねないからね。

まあ、殿下の継承順位は五位だ。野心を隠す腹芸も出来ないようだし、王になって旦那を手にする事はできやしないか。

……確かにあの目は末恐ろしいけど。

ーーーさて、それはどうかな?ーーー

今、旦那が話したんです?ねえ……。まただんまりですか。よくわからないお方だねえ。

持ち主を殺し続けてなにが楽しいのやら。くわばらくわばら。


おしまい


テーマ:雷の剣


7


雷剣卿は王族にすら力を示さんとするか。王に忠誠を誓った物としてはどうかと思うが、己が有様を貫く姿勢には感服するね。

ん?俺も立派だって?そりゃどうも。今となっちゃ古臭い傷物だがな。

ふうん?お前もあの戦に出てたのか。はあ、シハーブ殿下ご愛用の。通りで凝った姿なわけだ。あのお方は洒落者だったからなあ。俺の主人に似て。

うん。この派手な身形はかの鉄血王陛下のご要望だ。本体の鉄に金象嵌で草花文と幾何学模様を組み合わせて描き、紅玉、瑠璃、真珠、翡翠、金剛石……とにかくあらゆる宝石の粒を嵌めて彩った。土埃舞う戦場に相応しいかは置いといて、陛下の威容を余すことなく伝えただろう。

俺も誇らしかった。太陽の光を浴びながら輝く。風が宝石にさらに艶を与える。戦場にいる者全て。この俺と陛下に釘付けだった。

しかし、長い戦だったなあ。三月十日に始まって、秋の終わりまでかかったんだっけ?俺は最後までお側に入れなかったから詳しい時期は知らんのだ。

そうだ。この耳当てが壊されてな。間一髪だったぜ。

陛下はあの日、後衛で軍議を重ねておられた。今でもありありと浮かぶよ。天幕の中の様子が。艶やかなりしシハーブ殿下、名だたる将軍バースィル、第一の腹心ラーシド大臣、ガーニム千騎隊長、ウィサーム近衛隊長……。お歴々が十人ばかり。内外の見張りは近衛が十五人。

一週間近く停戦が続いていて、和平交渉が上手くいきそうだった。しかも本陣の中でも一番、警護が厳重な場所だ。諸侯の中には武装を解いている者もいた。陛下の御前だしな。まあ、敵はそれを狙ってたのさ。

まさか近衛隊長が寝返るなんてな。奴は近衛に号令をかけ、その場にいる全員を皆殺しにしようとした。

奴の隣にいたガーニム千騎隊長は気の毒だった。剣すら持ってなかったから、短剣で喉をかき切られてな。最も、流石は千騎隊長だ。奴の短剣を持つ手首と片目を最後の力で潰した。

近衛たちは槍や剣で手当たり次第に刺しまくって斬りつける。シハーブ殿下も丸腰で危うかった。が、体術でなんなくいなして逆に剣を奪う。あれは痺れたねえ。カッコつけの若造とばかり……悪い悪い。いや、見直したよ。

バーシィル将軍も素晴らしかった。平時でも武装を解かないとあって、即座に反応出来た。近衛たちが二人まとめて切り捨てられた。

哀れなのはラーシド大臣さ。このお方は根っからの文人だ。それでも懸命に陛下をお守りしようと立ちはだかった。

……首が飛んだよ。

近衛は嗤った。身の程しらずが邪魔をするからだと。俺は陛下の怒りに同調した。自分が剣でないことを恨んだのは、あれが最初だったな。

陛下は愛剣を抜いて戦った。近衛にも劣らぬ剣技。流石に一騎当千の猛者たちも、陛下をはじめとする諸侯の強さに押されていく。

最早ここまで。ウィサームは悟ったのだろう。高く口笛を吹いた。天幕の外まで聞こえるよう。

その意味はすぐにわかった。手引きされた敵が火矢で天幕を射撃しやがった!

信じられるか?あの分厚い布だの皮だのタペストリーだのでおおった天幕がだぞ?あっという間に燃えてズタズタになっていくんだ。

敵も味方も大混乱だ。外に出たら出たらで戦闘が始まっていた。とにかく陛下にはお下がり頂き、敵を殲滅しなければならない。

けど陛下は引かなかった。為政者としちゃ失格だろうが、だから俺はあのお方が慕わしかったよ。

ラーシド大臣たちの弔い合戦とばかりに暴れに暴れた。大いに目立って狙われたが、矢も槍も剣もなんのその。止めるのも聞かずに敵を屠る。兵たちは奮い立ち、陛下を死なすまいと戦った。

間も無く敵は皆殺しとなった。しかし、ここまで内部に食い込まれていたとは。生き残った諸侯は疑心暗鬼にかられかけた。が、それこそが敵の思う壺。陛下は叱咤激励し、そのままの勢いで敵軍に総攻撃をかける。向こうにとっては予想外。皮肉にもいい奇襲になった。

三日三晩、陛下たちは不眠不休で戦い続けた。敵は押され、散り散りに逃げていく。最後まで残った敵将が陛下に一騎打ちを挑み、破れて戦が終わった。

この耳当ての傷は一騎打ちでついたものだ。刃が食い込んだ跡がわかるだろ?あの猛攻を上手く止めれてよかったよ。あの時ほど兜でよかった、嬉しいと思ったことはないね。

次は戦の後だ。一度は下げられた俺を、陛下は傷を直さないまま使い続けてくれた。名誉の勲章だと誇らしげに掲げてな。

防具冥利につきるってもんさ。


おしまい

テーマ:間一髪、防具


8.


出発は明日か。碧緑川の柳たち、森の入り口の楢の木、樫に杉に……変わりないといいが。

ああ、私はシュヴァル国から来た。永久に若葉茂る翠緑の森。その森で精霊によって作られ、森の王が人に下賜された。それが巡り巡ってこの国に渡り、バーシィル殿下が見出して下さったのだ。この身に宿る不思議の力を。

うん。私に水を注げば病を癒す香り高い清水に、酒を注げば至高の美酒となり悪酔いせず愉快に過ごせる。なにも注がずとも光が当たれば森の景色が壁に映り、樹々の香りに包まれる。頻繁にここから出される理由だよ。けど、この不思議を保つには条件がある。十年に一度、翠緑の森に帰らなければならないんだ。

ラギ王国から彼の地へは、休みなく馬を走らせても三月はかかる。しかも、複数の国を通過しなければならないし、私は常に狙われている。安全な道はないと言っていい。名だたる戦士や貴族の若者が私を運ぶが、やはり犠牲になることも少なくない。それに、彼らの中から私を盗もうとする者が生まれたりもする。

様々な困難を乗り越えて、ようやくシュバルの地を踏むんだ。国内に入れば一安心だ。私……正確には翠緑の森は畏怖されている。手出しする者はいなくなり、若者たちは盛大なもてなしを受けながら翠緑の森まで行く。辿り着いたら、翠緑王の許しを得る儀式を行う。許しを得た後、若者の中から選ばれた者が私を森の中央に運ぶ。梢高い森の中の唯一の野原、そこが私が作られた作業場だ。若者は私を置いたら速やかに森を出て、私は一昼夜そのまま安置される。後は精霊たちの仕事だ。すっかり乾いたこの身に、森の景色と空気と露を注ぐんだ。

そうしてようやく、この身は若葉の色を取り戻す。

ふ。そうか。私も実は、この枯葉色も嫌いじゃない。過ぎ去った時が積み重なった色だからね。

年ごとに微妙に違うのも面白い。さて、次の十年はどう枯れていくのか……。うん。君も楽しんでくれたまえ。


おしまい


テーマ:若葉、森の神


9.


……ちょっと寝てたかな。

あら、翠緑王の褒美じゃない。おかえりなさい。んん?あなた、いつも以上に懐かしい香りがする。

むくむく柔らかい新しい苔、樫の木肌、楓や柳の若葉……。どれも懐かしいけど、もっと懐かしい。

え?中に入る?いいの?あなたの中が気になってたから嬉しいけど。じゃ、遠慮なく。

わあ!ベルリミントがこんなに!なんて良い香り……葉も薄っすら透き通って、なのに緑が鮮やかで……。

懐かしいはずだわ。この子たち、あの森にしか生えないのよね。……そう。姉様たちが……。私は元気だって伝えてくれた?

そうね。私なら往復に十日もかからない。いつだって帰れるし、ここに戻れる。でもね、側にいるって約束したから……。

うん……。今日も少しだけ起きてたの。どんどん短くなってるけど、それでも終わってない。終わるまでは離れない。離れたくないよ。

……理由?あなたには話したことなかったかな。

簡単なことよ。長く側にいる内に情が移ったの。大体七、八百年前だったかな……。まだこの国が大国になる前。私は呪術師……いや占い師だったかな?とにかく呪文で呼ばれて契約で結ばされたの。この子とね。

あの頃のこの子は生まれたてでね。他にも色々な理由があって、力が不安定過ぎたの。

だから私みたいなのに補佐させたって訳。甲斐あって百年しない内に立派に育ったけど、離れ難くてね。この子も一端に話せるようになってたし、私を慕ってくれてたから。

……単に、火を起こす風を愛さずにはいられないだけだとしても嬉しかった。

占い師は終わる前に私たちをアヴドゥラ様に渡したの。

そう。ラギ王国最強の魔法使い。アヴドゥラ様は私たちをそれは上手く使ったわ。

敵国の空で踊る炎の龍、伝言を咥えて飛ぶ火の鳥、火の粉で出来た花畑……。楽しかったなあ。そうよ。殆ど威嚇か高貴な方の娯楽の為ね。攻撃に使ったのはあの魔法使いを倒した時ぐらいじゃないかしら。ほら、帝国が生まれた時からいるお爺ちゃんよ。知らないの?

まあ、それも遠い日の話。アヴドゥラ様が終わってからは、この子を治して使える魔法使いが現れなくて。ここでゆっくり終わっていくばかりよ。

え?魔法使いを探しに?なぜ?

この子も私もそんなこと望まない。だって、あなたたちは私たちと違う。いずれ終わる物じゃない。早いか遅いかの違いだけ。それにね。終わるまでこうやって、ずっと見つめて側にいれる。折れて壊れて崩れ散ったら、私の風に乗せて一緒にあの森に帰れるわ。

それに私は風よ。吹いて揺らして崩す者よ。風化は私たちの愛撫。止めるだなんてとんでもない。

……お土産ありがとう。あの子が呼んでるからいくわ。お礼にあなたのことも、いつか終わらせてあげる。


おしまい


テーマ:風の精 炎の杖


10


守り人殿、確かにお預かりしました。後は我らにお任せください。

……おい。もっと静かに運べ。万一があってはならん。

大袈裟だと?お前はその箱の中身を知らんから言えるのだ。終わったら説明してやるから早くしろ。


……はあ、なんとか済んだか。まだ怖気が治らん。後はスィラージュ様にお任せすれば良い。もう二度と見たくない。

ん?ああ、説明だな。わかった。酒でも飲みながら話してやる。

……うむ。ここの葡萄酒はいつ飲んでも美味い。私はスープだけで。

なにを驚く。いつも大飯食らいではないぞ。

あの忌まわしい宝物と同じでな。

あれの中身だが、あってないような物だ。

まあ聞け。あの無骨な皮箱は入れ子でな。皮箱の中には何重もの呪文を書き記した木箱、さらにその中には一回り小さい呪文を記した布を巻いた鉄箱、さらにその中には様々な宝石を組み合わせて彫刻した箱が入っている。最後の箱は空だが、だからこそ厄介だ。

あの箱は元々、当時の姫君の為に作られた宝石箱だ。水晶、瑠璃、紅玉、翡翠、象牙、金……上等なものばかりを選び、削って繋げて磨き上げて星模様が浮かぶように仕上げた、かなり手の込んだ物だ。命じられた職人はまだ若く、初めての大仕事に奮い立った。寝食を忘れて没頭した。それがいけなかった。

元々、上等な宝石は精霊や魔物を寄せ付けることがある。本来なら魔法か不思議の力が作用しなければ起こらないことだが。職人の命がけの執念が加わったせいだろう。宝石好きの魔物が棲みついてしまった。

魔物は初め、大人しくしていた。箱の作りはもちろん、姫君が入れる宝飾品も素晴らしかったからだ。時折、姫君や侍女はうっとりと箱に魅入り、日に一度は埃を払い大切にした。魔物を見る力がある者もいないので退治される心配もない。のんびりと快適に過ごしていたらしい。

が、姫君が異国に輿入れてから事情が変わった。宝飾品は取り出され、箱は妹姫に下げ渡された。妹姫は最初こそ有難がったが、すぐ飽きる。もしかすると姉姫様にいい感情をお持ちでなかったのかもしれん。箱を放置して埃まみれにしてしまった。

もし、棲みついたのが精霊なら人の事情なぞこだわらなかったろう。気がすむまで箱と運命を共にし、なにもしなかったろう。

しかし、魔物は違う。欲と生命がある故に。魔物は宝石の光輝と人の賛美を食って生きていた。このままでは死んでしまう。よほど箱を気に入ってたのか、別の宝石に移らずに済む方法に出た。

最初は侍女だ。操って埃を払わせ、妹姫の宝飾品を箱に詰めさせた。妹姫はすぐに気づいて叱りやめさせる。だが、他の侍女が代わりにやるだけだった。

異変を恐れた妹姫は下男に命じ、箱を池に投げ捨てさせた。しかし翌朝、下男が半死半生で見つかる。場所は池のほとり、ずぶ濡れであの箱を握っていた。

怯えきった妹姫だったが、誰にも相談できなかった。姉姫からの贈り物を雑に扱ったと知られる恐れがあったからだ。事件は、下男が妹姫の箱を落としたから責任を取って探し出したということになった。こうして、箱は妹姫の元に戻ってしまう。

どうすればいい?回廊から中庭に投げてやろうか?いや、また戻ってくるに違いない。叩き壊してやろうか?いや、証拠が残ってしまう。

悩む間も、操られた侍女たちは箱を磨き宝飾品を次々と入れていく。溢れても止まらない。侍女たちは自らの宝飾品さえ入れ始めた。指輪、腕輪、首飾り、耳飾り、髪飾り……。恐ろしさに震える妹姫に手を出すまで間はなかった。されるがまま髪飾りを抜き取られ首飾りを外された妹姫だったが、指輪に手を伸ばされて我に帰る。

それは妹姫の実母の形見だった。感傷的な理由からだけでなく震えた。これを奪われて仕舞えばどうなるか。母方の祖父であり、唯一の後見人である大臣から見捨てられかねない。

これだけはと逆らい逃げようとした。侍女たちが取り押さえ、指輪を奪おうとする。手を振り払い拳を握りしめて耐えた。長い髪を千切れるまで引っ張られても。煌びやかな衣を引き裂かれ足蹴にされても。実母ゆずりの白い肌に痣が浮き血が流れても。

妹姫は耐えた。耐えて耐えて耐え抜いた。

……そうでなければ何も喪わずに済んだろう……。

神官たちは、取り返しのつかないことが起きてからやって来た。意識を取り戻した下男が事情を説明したのだが、遅すぎた。妹姫は指輪を指ごと切り落とされたばかりか、その麗しい爪を剥がされ宝石のように輝く目玉をくり抜かれていた。辛うじてお命は取り止めたが……お可哀想に。

魔物は退治され、箱は厳重に封印されることになった。封印まで場所の選定やら準備期間がいるとかで、あの宝物庫に入れていたという訳だ。

……何故、魔物がいなくなったのに封印するかだと?決まっている。あれ自体が最早魔性。封じていなければ新たな魔性を呼ぶからだ。

……しかし、長かった。三十五年か……私も歳をとるはずだ。ああしかし、悔やまれる。

あの時、私が姫様のお言葉に逆らい神官たちに渡していれば、こんなことにはならなかったのに。


おしまい


テーマ:魔物


11


僕の昔話?新入りの習い?さて、昔といっても……。君たちに比べれば若造だからなあ。本当、本当。まだ五十四歳だよ。百歳にもなってない。

ああ、飛び切り旧い香りと力は素材の所為だね。何だと思う?

碧玉、瑠璃、蛇紋岩……。残念。違うよ。

合金、陶器、硝子……。やっぱり違う。

おお!流石は絨毯のお爺様。その通りです。今は伝説の生き物、竜の鱗を削り上げて作っています。

……では、どのように鱗が人の手に渡り、僕になったか語りましょう。

竜は、ラギ王国北部ララト川を司る水竜でした。この川は時に荒ぶり人命を奪う大川でありました。

故に水竜も荒ぶる竜でした。

悪戯に山で暴れ、獣や家畜や人を食い荒らしましたので、土地の者は耐えかね王都に陳情します。聞き入れられ、若い魔法使いがやって来ました。かの名高きアヴドゥラほどではありませんが、なかなかの強者です。熾烈な争いの果てに竜は倒されました。留めを刺そうとしましたが、竜は最期に命乞いをします。

『百年ごとに逆鱗をやるから助けてくれ』

魔法使いは欲に揺れました。逆鱗は竜の鱗の中でも一番貴重で、生きている間にしか採取できない物です。一枚あれば王に匹敵する大金持ちになれます。

『俺は今年で千歳だ。あと五百年は生きる。叶えてくれれば、お前の一族は栄えるだろう』

結局、魔法使いは折れました。竜を山の祠に封じます。竜は約束通りに逆鱗を剥がして渡しました。永い永い、千年の時を経て力を蓄えた秘宝を。

魔法使いは大喜びで王都に戻り、上司には退治したと伝えました。証拠は揃えていましたから、疑われもしません。後は逆鱗を売ればいい。

が、容易なことではありませんでした。

裏で取り引きしようにも、監視の目は厳しい。逆鱗のような貴重過ぎるものは、こうなっては目立ち過ぎて不便です。この魔法使いに特別なコネがあれば話は変わって来ますが、幸か不幸かそれまで堅実に生きていたのでありませんでした。

悩んだ末に、逆鱗は売らずに隠す事にしました。偽の来歴を書いた羊皮紙と共に、土竜皮箱に入れ力を隠し特殊な呪文で封じます。これで解呪の呪文を知る者以外は開けれなくなりました。子孫に託そうというわけです。

『百年開けてはならん』

羊皮紙には竜の封じられた場所も書いてありました。二枚、合わせて売れれば小国の王にすらなれたでしょう。

はい。上手くはいかなかった様です。それから五百年。皮箱は開かず、逆燐は封じられたままでした。どのような経緯か知る術はありませんが、ようやく皮箱を開けた人間は子孫ではなく、どころか魔法使いですらありませんでした。

『なんだこれ……竜の燐?眉唾だなあ』

その人間は古物商でした。開けれたのは単純に、かけられた魔法が劣化していたからでしょう。

『しかし、いい青だな。深くて艶があって……こりゃ買い得だったかな』

竜はお伽話の世界に消えた時代、好奇心から古臭い皮箱を引き取ったようでした。古物商は逆鱗を鑑定に出しました。

『うーむ。信じ難いが、本物かも知れん。ワシらが子供の頃、まだ何頭か生きていた。嘘だと思うならそれで構わんが』

一番、信頼している鑑定士の言葉です。

『信じられないけど信じる。で、コイツはどんなご利益があるんだ?』

『残念だが、魔法使いでもないワシらには宝の持ち腐れだ』

『そうか。綺麗だから飾ってようかな。見なよ爺ちゃん。日に透かすと少し透けるんだ。彫刻したらどうだろう?』

『悪くない。腕のいい宝石彫刻師なら紹介できるぞ』

こうして、逆鱗は職人の手に渡りました。

『まだこんな立派な鱗が……彫らせて頂けるなんて光栄です!』

驚いたことに、職人は竜の鱗だと一目で見破りました。

『遠縁の幾人かは魔法を生業としていまして、私も多少の心得があります』

『なら、これはアンタらにとって貴重な物だ。飾りにするなんて以ての外じゃないか?』

職人は首を振りました。

『どの様な来歴にせよ、今の持ち主は貴方様です。お好きにお使い下さい』

古物商は安心して職人に任せることにしました。ただ、何をどう彫るかは決まっていません。

『オブジェにするなら図案をいくつか書きます。浮き彫りにして……ああ、飾り皿にしてもいいな……そうしたら材が余るから……』

『オブジェは思いつきだからなあ。アクセサリーなんかも作れるか?』

『もちろんです。竜の鱗は持ち主に福を呼び願いを叶える力を持ちますから、その方がいいかもしれませんね』

『そんな力が?』

その時、古物商はある貴族令嬢を思い浮かべていました。上得意で密かな想い人です。古物商は貧民からの成り上がりで財を成した男、軽妙な語りで人に取り入る強かな商売人でもたりました。蔑み妬む輩が多いのは無理からぬこと。ですが、令嬢は違いました。古物商の目端の良さと勤勉さを見込み、深い信用をよせて下さりました。もし、実力を認めて下さる令嬢がいなければ、古物商はもっときな臭い仕事に手を出していたでしょう。また、見目麗しく御心の朗らかなこと。優美な立ち姿は黄水仙に喩えられるほどでした。古物商は会う度にときめきますが、身分が違い過ぎます。叶わぬ恋でした。

『この鱗の力があれば叶うかもしれませんね』

古物商は半信半疑でしたが、職人は乗り気です。ある提案をしました。

『いかがでしょう?上手くいかなくても問題ないかと』

『確かに。ダメだったら予定通り棚か壁に飾ればいい』

職人はにっこり笑い、腕を振るいました。

一か月後、出来上がったのが僕です。古物商は一目で気に入ってくれました。

『ありがとう!約束の報酬だ。……しかし、本当にこんなものでいいのか?』

『もちろんです。さあお早く』

着飾った服、胸元には黄水仙を刺し、意気揚々と王宮に向かいます。

その夜、王宮では年に一度の仮面舞踏会が開かれていました。ご存知なくて当然です。異国贔屓の陛下が思いつきで開催されたのが初まりですから。なかなか楽しいお祭りですよ。参加者は仮面をつけて着飾り踊り、身分を気にせずに語り合うのです。僕を被った古物商も、まるで本物の貴族か王族のように立派に見えました。何人もの女性が秋波を送り、ダンスに誘います。全て断り、あの想い人の元へ行きました。胸元の花を捧げ跪きます。

『この花より美しい方、どうか私と踊って下さい』

これこそが古物商の望みでした。

ただ一晩、夢を見たかったのです。

令嬢は微笑み、黄水仙を受け取りました。優しげな唇が開きます。

『喜んで』

二人は楽しいひと時を過ごしました。以前からの恋人同士のように寄り添い、絡み合い、軽やかにステップを踏みます。一曲だけでしたが充分でした。

『楽しかったわ』

『わ、私もです』

感極まり涙が出ます。僕をつけていなかったら見えていたでしょう。そうしたら、何か変わったでしょうか?いいえ。変わらなかったでしょう。

人の世は無情です。

この仮面舞踏会は閉会の際、王が感謝と挨拶を述べるのが慣例でした。しかし、今年は違います。仮面を外し、王子の一人が歩み出ます。美辞麗句を散りばめた挨拶の締めくくりに、皆に報告する事があると告げました。

『先程、私の妻になる人を見つけた』

これ以上お話する必要はありませんね。王子にエスコートされ、幸福に満ちた顔で壇上に上がったのが誰か。

古物商は黙って会場を後にしました。

人は、悲し過ぎると涙が出ないんですね。悲しみにくれた古物商は、静かに家に帰り僕を外しました。

……割ろうとしましたが、思い留まります。叶わぬはずの願いは確かに叶いました。それに僕は、もう二度と話すら出来なくなった人との最後のよすがです。

僕は大事にされました。

時々、被ってくれました。そうすればあの日の令嬢の姿がありありと見えますから。はい。その程度、叶えるのは容易いです。そして、古物商はどんどん成功していきました。力は有り余っていましたから、長生きもさせれましたし、敵も退けました。最後には、王に勝るとも劣らぬ力を得るに至ったのです。ですが、満たされなかったでしょうね。

僕を持っているせいで喪失から癒る事がなかったんですから。新しい恋をすることも、忘れることも、乗り越えて噛み砕くことすら……。

はい。これこそが竜の逆鱗の力であり呪い。ただの鱗の数倍の幸福を呼ぶ代わり、代償に一番大切なものを奪う呪いをかけるのです。魔法使いが厳重に封じるわけです。

あの職人は知ってました。酷い人ですよ。先祖が喪った竜の在り処を得ることが出来たらそれでよかったんです。彼は古物商から羊皮紙を受け取った後、同じく魔法の心得のある者たちを誘って竜の封じられた場所に向かいました。竜は寿命で死んでいるから、骸を得るのは容易い。ああ、そんなに怒らずとも大丈夫。ちゃんと応報されてますから。

はい。寿命があと五百年なんて真っ赤な嘘。

往時ならばともかく現代の魔法使い崩れなぞ敵ではありません。いい餌食となりました。

未だにあの竜と繋がっている僕が言うんです。間違いありませんよ。

竜は五百年ぶりの食事を取って、悠々とララト川に戻りました。今回のことで懲りたのでしょう。大人しくしていますよ。

古物商……僕を寄贈した外務大臣には悪いですが、めでたしめでたしというわけです。


おしまい


テーマ:仮面 封じられた竜


X.


囁きが止んだ。

珍しいことだ。常に誰か、いやどれかは囁いているというのに。

「今の内にまとめておくか」

今日も様々な会話を聞いた。出来るだけ正確に記録しなければならない。大変だが、これも重要な仕事の一つだ。彼らはその身に積もらせた歴史を、囁きという形で教える。ただし、記録が世に出ることは滅多にない。それらの多くが既存の歴史と大幅に違うためだ。恐らく、彼らの囁きの方が正しい。生き物ではないから嘘をつかないのだ。

「俺は嘘をつかれて騙された」

後任候補が憎々しげに吐き出す。

「まあ、なんにでも例外はあるさ。あの爺殿は長生きなだけあって強かだ。何度か掠奪されたが、その度に助かってる」

だから常に宝物庫に入れているのだ。国立博物館や海外からの貸し出し要請も拒否している。影の守り人、いや守り絨毯といったところだ。

「鷹揚で気立てもいいしな。爺殿とサンダル姐さんがいるからウチの宝物関係は上手くいってる」

「ふん。物風情に頼りすぎだ。だからまんまと盗まれるんだ」

「盗まれかけた。だ。あっさり捕らえられた癖に生意気な。大体お前さん、あの爺殿がいなかったら仲間と一緒に殺されてたんだぞ」

「……頼んでねえよ」

「そうか。ま、私も助かった。最近の人間は囁きに耳を傾けれる程度の力もないし、お前さんは優秀だからな。口は悪いが頭も手際もいい、学まである。なんで窃盗団にいたのかね」

キュッと唇を噛み黙り込む。知らん振りで作業に戻る。本当は知っている。王家に仕える者、しかも犯罪者の身元を確認するのは当然だろう。後任候補の家系は、長い歴史を持つ魔法使いの家系だった。だが長い時間をかけて衰退し、五十四年前に完全に没落した。一族の主だった者が竜の鱗を得ようとして返り討ちになったのだ。後任候補の祖母は大変な苦労をしながら次の世代を育てた。夫に竜の鱗を見せた男、後の外務大臣への恨み言を注ぎながら。完全な誤解だったようだが。

窃盗団が忍び込んだ日の翌日は、とある国際会議王国内で開催される日だった。外務大臣は会議後、名だたる国賓たちを王宮宝物庫に案内する役目を負っていた。王宮宝物庫を展示に足る状態にしたのも、厳選しているとはいえ王侯貴族以外も入れるようにしたのも外務大臣だ。もし、盗みが成功していれば赤恥どころではなかったろう。失脚のち暗殺。またはそれ以上か。

しかし、首尾の鮮やかであったことよ。怪しまれず私を遠ざけるのに成功した上、厳戒態勢の王宮にまんまと忍び込むとは。あの窃盗団たちも殺すには惜しかったろうか。などと考えたが後の祭りだ。今ある人材を有効活用しなければ。

「補修が必要な宝物の一覧は出来てるか?」

「……書物がまだだ」

妙な間があった。見上げると、なんとも言えない顔をしている。見知らぬ土地に投げ出された子供のようだ。そういえばかなり若かったと気づく。はて、若者の心情とはどういうものだったか。

「何か問題があるのか?」

「……俺に触らせていいのか」

納得した。確かに魔法書の類いもある。解呪法が記してあるかもしれん。

「そうだな。傷みやすいから丁寧にな。無理に拡げたり皺をのばしたり残欠に触れるなよ。一日じゃ無理だろうから、他の作業と平行で。月末まででいい」

知らぬふりで作業に戻る。後任候補は息を飲み、次に怒気を発して離れていった。舐められたと感じたのだろう。気配が完全に去ってから独り言ちた。

「むしろ、もっと魔法を覚えてもらわんと困る」

でなければ俺はいつまでもこの王宮から出られん。

アヴドゥラ。あの忌々しい男の所為だ。命ばかりは助けてやるだと?命しか助からなかったではないか!だが、己の末裔がこの役目を継ぐ羽目になるとは想像もしなかったろう。きっと、あの世で嘆いている。いい気味だ。七百年以上待ってようやく、ようやく現れた。この俺に匹敵する魔力と器を持つ魔法使いが。

「若者よ。心置きなく知恵を盗み知識を学ぶがいい」

そして俺を継ぎ、俺を解放してくれ。


今は亡き帝国の魔法使いにして、ラギ王国最古の宝物は人知れず囁いた。


おしまい


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ラギ王国王宮宝物庫異聞録 花房いちご(ハナブサ) @hanabusaikkon

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