4-10 No.4103
「……マル、さん」
《喋らないほうがいい》
座り込んだ私を抱きしめ続けていたマルさんはようやくその腕を緩め、立ち上がった。声を出さずに話しかけてくる。
《もう体力が少ない、無理すると
そう言ってマルさんは私を抱き上げる。
《目も閉じた方がいい》
私は言われた通り目を閉じ、マルさんに身を委ねた。私を車の座席に座らせ、運転席に乗り込んだマルさんは大きなエンジン音が響かせた。
車は小さな砂漠の山を何度も乗り越えて、車内をゆらゆらと揺らした。マルさんは何を話すでもなく、ただ車を三人が待つ場所へと進めた。
ひどく疲れているのに眠ることはできなかった。私が知らないだけで体の中がどこかが興奮しているのだろうか。脳裏で赤色に高揚した自分を何度も思い返してしまう。何か別のことで気を紛らわせないと、またおかしくなってしまいそうに思い怖くなった。
「……あ、……」
疲労困憊の頭で考えた結果、私はマルさんに話しかけることにした。しかし口が思うように動かず掠れた声が出ただけである。
マルさんは私に気づいただろうか。返事はない。しかしもう一度声を出そうと息を吸ったとき、マルさんの返事が聞こえた。
《なに》
マルさんは声を出さずに答えた。なぜ声を出したのかと咎める様子もなく、ただ純粋に聞き返された感情のない「なに」。揺るぎないその態度から滲む懐かしさにどこか救われた気がした。
《あの、さっきタカハシ――あの男の人が言っていた《クォーター》ってなんですか》
思念で尋ねた質問は時間差なく答えられた。
《僕たちみたいな存在を指す言葉》
《それはつまり《ハーフ》の他の言い方、ということですか?》
私の解釈にううん、と声に出してマルさんが否定を示す。
《チホみたいなヒトとは違う。ケイも、リンも、アヤも違う。《クォーター》は《ハーフ》にするために
《製造……?》
――自主性と感情をほとんど持ち合わせず、ただ《ハーフ》となるためだけに人工的に製造され、育てられ、《ハーフ》となった人間。それが《クォーター》なのだとマルさんは説明した。
通常の《ハーフ》よりも自身の思考から影響を受けずに使用できる大きな力を持つため、生身の人間からすれば危険な兵器という扱いだったそうだ。これによって大人に近づける距離に制限がかけられているのだと少年は言った。
マルさんの話から分かったこと、それは、本当のことしか口にしないのは自分で嘘をつくことがないから。感情の起伏が少ないのはそもそも感情を持ち合わせていないから、だった。
感情を持たないとはどういうことなのか、その意味を私はしっかりと理解できなかった。しかしそれを知れても知れなくても、マルさんは紛れもなくマルさんという存在として私の隣にいる。ただあの幸せな空間にいる四人の中の、私が再び会いたいと思った一人だ。
ぼんやりとそんなことを考えている間、車内には沈黙が流れていた。ゆりかごのように揺れる車内で目をつむる私はどこからか漂ってくる眠気を感じ始めていた。
しかしマルさんが再び口を開いた。
《やっとチホだったってわかったから》
《……え? わかったからって?》
突然告げられた何かの理由が何なのか、眠りかけていた意識を現実に引き戻して尋ねる。
《さっき聞かれたチホを迎えに来た理由》
「でもリンさんたちに言われたからってむぐ」
寝ぼけてしまったのか誤って声を出した私の口を今度はむんずと塞ぎ、マルさんは続けた。
《チホが出て行ってみんなが探すって言い出したから、僕はチホを探した。僕の能力を逆手に取った。チホの居場所を特定するために、砂漠一帯、一か所一か所に声を繋いで名前を呼んだ。何百の座標に呼びかけた後、あの場所からチホの声が聞こえた。みんなに会いたいって》
ああ、だから……。私は納得して浮かしかけていた背を座席に再び預けた。私はみんなが私の名前を呼ぶ声を思い出して、会いたいと願った。しかしあのとき偶然にもマルさんが音のない声で私に呼びかけており、それに返事をするような形で私の思念が届いてしまっていたのだ。
いや、そうだとしても。
《それと「やっとチホだったってわかった」というのはどう関係があるんですか?》
《……チホを見つけたとき、僕に届いたチホの声はごちゃごちゃしてた。でもその中にある数字があった》
タカハシに体の自由を奪われ、色に振り回されて欲望に塗れながら地に伏していたときのことだろう。確かに意識を失う直前、私の思考回路は混沌を極めていた。そんな状況下で出てきた数字と言えば――
《01。その数字はチホのもので正式にはコードNo. 01。コードは戦時中の名前みたいなものだった。《クォーター》なんかはその数字さえ呼んで命令すれば必ず従うようプログラムされてる》
数字が名前とは何とも味気ないが、戦場でいちいち名前を呼び合うとなると効率が良くなかったのだろうかと思う一方、今の説明で納得した点もあった。あのときマルさんが言った「コードを思い出される前に」の意味だ。もし男がマルさんのコードを思い出して何か命令をしていたなら、マルさんは男の思惑通りに操作されていたのだろう。そうなれば私は今ここにはいなかったかもしれない。
《《ハーフ》になったら数字が正式な名前で、今僕ら五人が呼び合ってるみたいな名前はほぼ使わなかった。だからチホが僕の知っている《ハーフ》だとは、コードを聞くまではわからなかった》
マルさんが話を続ける中、私は体が動かなくなってきていることに気づいた。これまで
《続き話していい?》
《は、はい、もちろん》
私が今の状況を飲み込むまで待ってくれていたようだ。頷けない代わりに思念で答える。
《ある日僕が運搬で戦場に出て突然敵に奇襲されたことがあった。そのとき、一人のハーフに助けられた。その人は僕を突き飛ばして攻撃から守った代わりに自分の左腕を吹き飛ばしてた》
《ひえ……》
そんな自己犠牲の精神を持った人間がいたのか。戦争中であるのに自分以外のことを気にかけることができるなんてすごい――
《それがNo. 01、チホだった。僕は一度だけ、チホと戦場で会ったことがある》
そう言ってマルさんは車を停めた。
「僕がチホを探して迎えにきたのは、あのときチホにこう言われたから」
なぜマルさんが車を停めたのかわからず、しかし体を動かすこともできない私は心の中でおろおろと慌てた。私の焦り様に気づいているはずなのに、マルさんは何も言わない。
言葉を発する代わりに彼は私の額を指で強くなぞった。すると私の開かないまぶたの裏に景色が映った。
*
荒れ狂う戦場に慌ただしく走り回る人、人、人。しかし一人の少女が目の前に立ち、こちらをじっと覗き込んでいた。
「君の青い瞳、すっごい綺麗……」
そううっとりと溢す少女の左肩から先にあるはずの腕はなく、よろよろとバランスを崩しながら立ち、こちら見つめている。そのじっと一点を見つめる顔には見覚えがあった。
「No. 01、腕が」
マルさんの声で私はそう呟いた。今、私は彼の視点でポニーテールを風に揺らす少女を見上げている。
こちらを仰視するその少女の顔は、鏡で見た私自身の顔と同じだった。つまり今、マルさんが私と出会ったときの記憶を見ているのだ。
「大丈夫大丈夫、綺麗に切断されてるからくっつければ済むし! あなたはえっと、4103番さん……?」
少女は残った右手で私の――いや、マルさんの着ている服の襟を裏返して数字を呟いた。
「初めまして、私はNo. 01。これは私がしたくてしたことだから全くあなたの不注意じゃないよ。報告でも私が悪いって言うしさ」
「でも」
少女は屈託のない笑顔で《クォーター》の少年に手を差し伸べ、立ち上がるのを手伝った。
「4103……ヨンイチザロサン……ヨンイチマルサン? じゃあ名前はマルさんなんてどうかな」
そうだそれがいい、と少女は嬉しそうに頷いた。そして碧眼の少年にこう言ったのだった。
「ね、マルさん。次は私がピンチの時に助けてね」
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