4-9 衝動と、コードと、《クォーター》
私はタカハシが狂気じみるほどに興奮しているのをどうにか無視して、視界から赤色を消すべくゴーグルのダイヤルを回していた。しかしどれだけダイヤルを合わせても一向に赤色だけが消えなかった。外す手順を踏まずに顔からむしり取られたせいか、ゴーグルそのものの機能が狂ってしまっているらしい。
重いため息で顔の近くにあった砂を吹き飛ばし、私はゆっくりと立ち上がった。顔は夕焼け空が視界に入らぬよう地面に落とすが、足元の砂も空の色に染まりかけているような色だった。
おぼつかない足でゆっくりと一歩を踏み出す。ゆっくりなのは体の動きが鈍いせいもあるが、歩くという行為に全意識を向けるためでもあった。足を動かすことに集中していないと理性が吹っ飛んでしまいそうに感じた。早くタカハシから逃げ去り、マルさんを傷つけてしまう前に彼から離れたい。それだけを力の源に足を運ぶ。
右からタカハシの声が聞こえる。マルさんが《クォーター》であると言ってからああでもないこうでもないと数字を呟いている。
頭の中で私を呼ぶマルさんの声が聞こえる。先ほど本人が言っていた通り対角線上にいるタカハシとの距離を保つために私に近づくことなく、無声で何度も呼びかけてくる。
《チホ、その男が僕のコードを思い出す前に、僕のところまで来て。一度でもコードを呼ばれたら僕は――》
マルさんの声が聞こえる度に何とか抑え込んでいる殺意が顔を出しそうになる。私は首を振ってマルさんのもとへ行けないことを伝えた。
《どうして。早くこっちに来て、みんな待ってる》
音ではない声が脳内に響く。その無感情な声に感じる懐かしさは沸き起こる破壊衝動に書き消える。激情に揺さぶられながら、私は返事した。
《私、見た人全てを壊したいと思ってしまうんです。アヤちゃんにしてしまったのと同じように――》
《うん、チホの声、聞こえる。殺したい、壊したいって》
この返事に私は目を見開いた。マルさんに聞こえるのは思念、頭の中に描いた言葉だ。私の感情が彼に聞こえるのは当たり前なのだが、私の中に渦巻く欲望があまりに筒抜けであったことに恥ずかしさを覚え、激情に駆られてしまった。薄く赤色に染まった地面に叫ぶように思考を放つ。
《分かってるならどうしてなんて聞かないでください! というか帰ってください! もう私はマルさんたち四人に迷惑はかけたくないんです、何のためにみなさんから離れたと思ってるんですか?!》
《でもチホがみんなに会いたいって言ってたの、聞こえた》
そんなことは今、一切感じていない。思ってもいない。そう弱音を吐いたのはマルさんがここに来るずっと前だ。なのになぜ?
私は思わず振り返り、マルさんに尋ねた。
「どうしてそれを――」
振り返った私は目に映る景色に感覚の全てを奪われた。塗りたくったように真っ赤な空を背に立つマルさんがいた。彼は今までと変わらず無表情だ。一方で私はその顔を蹴りとばす方法を瞬時に考え始めていた。
未だぶつぶつと何かを呟くタカハシはこちらに一ミリたりとも注意を向けない。今なら彼にに気づかれることなく動ける……暴れられる、殺れる、とマルさんのもとへと進む足がじわじわ早まる。
「チホ」
「――ッ?!」
肉声で名前を呼ばれ、私は半分我に返った。ああ、ついに振り向いてしまった。マルさんがいる場所へと進む足が、目の前のものを壊せることへの悦びが止まらない。体の奥底に湧き、理性に攻め入る殺意が私の思考を奪い始める中、マルさんは再び口を開いた。
「チホ、そのままこっちに来て。帰ろう」
私が彼にとびかかろうと近づいているのにも関わらず、悠長に話すマルさんに私は必死に叫んだ。
「危な、いから……! 早く、どこか、に逃げて!」
私の警告は聞こえているはずなのに、マルさんは無表情だった顔をきょとんとさせた。そんな呆けた顔をされたら殺したくてたまらなくなる、傷つけたくないのに、ぐちゃぐちゃに壊したい。とめどなく沸き起こる衝動はもう止められない。
「大丈夫、僕なら受け止められる」
しかし私の葛藤を読み取るように、あるいは読み取って、マルさんは言った。
「大丈夫。あの男が言ったみたいに、僕は《クォーター》だから」
その言葉の直後、今の私には見えないはずの青色がマルさんの瞳に宿ったような気がした。濃く深い青は混沌とした私の脳内を一縷の矢となって貫き、弾けて消えた。
突然の不思議な現象に呆けていた私だったが、夕焼け色の空が再び殺戮衝動を掻き立て始めた。脳内で何度も繰り返される攻撃のシミュレーションにもうこれ以上は欲望の抑制が効かないことを悟る。
「マルさ、ん……!」
辛うじて口からこぼした名前を最後に、私は走り出した。思考を放棄し、唸るような咆哮をあげながら、私を見つめて突っ立っているマルさんの元へと駆ける。
あと3メートル。考えるよりも先に弓を引くが如く右手を振りかぶりながら大きく一歩を踏み出した。力を込めた渾身の一撃を――
突き出せなかった。私の腕は、体は、私が標的にしていた少年の腕に抱きしめられて動きを封じられてしまったのだ。
その腕の中で私はもがき、声にならない声を喚き散らす。しかしどれだけ暴れても拘束は解けない。
「受け止めたでしょ、チホ。僕は《クォーター》で力持ちだから」
「……!」
名前を呼ばれてようやく自分の意識を取り戻す。私を見つめていた少年――マルさんに抱かれてながら肩で息をしていた。またやってしまった。我を忘れ、目の前に立つ人物が誰なのかを忘れ、襲ってしまったのだ。
「私……また……」
「でも、誰も傷つけてない」
私の心中を読んだ返事が返ってきた。私は顔を上げ、マルさんの表情を窺った。今までと変わらない、なんの感情も見せない顔。
再び顔をマルさんの胸に埋めて、呟くように尋ねた。
「どうしてですか。わざわざこんなところまで来て、暴れる私をとめるなんて……」
「みんながチホを探して連れ戻すって言ってたから」
淡々と答えるマルさんは私を抱いたまま動かない。そのおかげで目に映る色が遮断され、少しずつ冷静さを取り戻してゆく。
そして私は思い出した。いつだったか、リンさんが言っていたことだ。マルさんは言われたことは必ずやる。そして嘘は言わない、と。
「私、みんなの元に帰っても……いいんですね」
「みんな寂しがってた。色にさえ気をつければ暴れることもないし、何かあっても僕が止められる」
カチカチとダイヤルを回す音がしてゴーグルが頭から離れた。マルさんが取り外したのだ。目に映るものに敏感になり気を張っていた私は砂嵐のみが映る視界にようやく弛緩したのか、マルさんの腕をすり抜けてその場にヘナヘナと座り込んだ。
「ああ、《クォーター》のコードを思い出す前にそちらに落ち着いてしまったか。残念だったなあ……。しかし仕方ない。僕らも帰ろう」
タカハシは私たちにも聞こえるようにそう呟いた。チン、と刀をしまう音とともにタカハシが刀使いの少年の肩を叩く音がする。
「もう君を止めはしないよ、No. 01。好きなところへ行きたまえ。しかし君はきっと僕の元に帰ってくるだろうね」
そう言い残し、二人と一匹の砂を踏む音が遠ざかってゆく。タカハシと刀使いの少年、そして犬が私たちの前から去ってゆく中、マルさんは再び私を抱きしめた。その足音が砂漠の彼方に消えるまで、彼は動かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます