4-8 迫る脅威

「――い、おい、そろそろ起きたまえ」


 重いまぶた――左目のみのまぶたを上げるとタカハシが私を覗き込んでいた。


「異常状態にあるときは燃費が悪いのも変わりないな」

「……」


 私は砂漠で仰向きに寝ていた。裸の左眼が映す灰色の空を見上げている。どうやらしばらく気を失っていた……、ていたらしい。


 瞬きをしても色が変わらないことから、異常な着色がなされた世界から解放され本来の白黒世界を取り戻したことを悟った。


 そういえば、と私は目だけを動かして足元を見た。どうやら下肢に異常はない。手も腕も重いが動かそうと思えば動く。まだタカハシに体の中身をいじられたり奪われたりはされていなさそうだ。


「了承もなく奪うのはよくないと思ってね、君が目を覚ますまで待っていたんだよ。君を殺したりはしない、ただ君の中の部品をいくつか頂戴したい。それだけなんだ、どうだろう?」


 ……誰が体の中身を他人に渡すことを許すと思っているのだろう。私自身体の中がどのように構成されているのかは知らないが、そのうちのたった一つが欠けてもいいことがないという事くらいはわかる。


 それよりも。今のこの状況だ。男に捕まったのも同然の中、体の中身が欲しいと言われているこの状況。どうすれば脱せるのだろう。敵意を全く見せず、微笑みながらタカハシは私の返事を待っている。


 やはり私は人とかかわってはならないんだ。他人と触れ合うことでろくなことな事が起きない、それが何よりの証拠。それは人を傷つけるだけでなく、自らを追いつめる事もあると知った。


 わがままは言わない、旅の目的も自分で探す。だからただ、ただ旅に戻らせて欲しい。その一心だった。


「……あなたに、旅の目的を思い出す手伝いをしてもらおうとした私が、厚かましく、図々しかったのだと、思います……。あなたの希望には添えません、どうかここから立ち去っていただけませんか。私は、旅に戻りたいんです……」


 角を立てずに言葉を紡いだつもりだったのだが、これを聞いたタカハシは悲しそうな顔をして顔を俯かせた。しかし彼が再び顔を上げたその表情に私は戦慄した。本能が今すぐ逃げろと言わんばかりの笑顔を携え、男は頭を横に振った。


「違う、違うんだよ。僕が欲しいのはそんな一歩引いた言葉や感情ではない。もっと、もっと欲にまみれた、人間らしい君だ、No.ナンバー 01」


 数字で私を呼び、男は手を伸ばしてきた。先ほど私から無理やり奪い、無理やり返してきたゴーグルを再び手に取り、私に装着する。理解が追い付かない私を気にせず、ぐりぐりとダイヤルを回す。私の視界に映る色が目を抉るような勢いで移り変わってゆく。


「や、やめ……」

「君の異常状態を誘発するのはこの色だろう? 目に映るものへの強い殺意と破壊衝動……」


 そう言いながらタカハシが私のそばから離れたとき、それまで目に映っていた灰色の空はおどろおどろしい、黒みがかった赤色に染まっていた。


 その色を認識した途端、私は動かなかったはずの体をゆらりと起こした。我を忘れ、男の首をへし折るべく飛び出す。距離を詰め、右脚を男の首に狙いを定めて振り上げた。次の瞬間――


 ガキィィン、と高い音が砂漠一体に響く。


 確かに私の脚は狙った位置まで上がった。しかし私が捉えたのは男の頭ではなく、細く長い刃だった。


「刀……?!」


 邪魔が入ったことに気を取られた私だったが、その刀身と脚の力比べをもちかけてきた人物がタカハシではないことに驚く。


 それは新たに現れた少年だった。ケイさんとあまり変わらない背丈、生気のない目に固く結んだ口。ふわりと吹いた風で浮いた前髪の下には真横に伸びる隙間が見えた。


「《ハーフ》……!」


 驚いた私の脚を少年は容赦なく押し返す。バランスを崩しそうになった私はステップバックして距離をとった。


 新たな人物。刀を持っている。彼はどこから出てきた? こいつもこの殺意に任せて殺していいのか?


 そんな疑問を考える間も与えず、少年は再び襲いかかってくる。迫りくる刃と赤黒い空が私に降らせる殺意の雨に焦りを感じながら、私は身を低く構えて蹴りを繰り出した。


 しかし少年への足払いは外れ、代わりに私の足元がすくわれる。いつの間にか現れた犬が私の足へ体当たりを仕掛けてきたのだ。上体を支えきれなくなった私は少年の足にまともに胴を蹴り飛ばされた。


 地面に転がり咳き込む私の左手に少年は刀を突き立てた。鋭い痛みが私を貫く。


「あぁ!! い、いぃ……痛、い!」


 以前教えられたように、《ハーフ》も手の触覚は普通の人間と同じように持っている。それを今まさに体感していた。目が割れた時に目の奥に感じたもの以上の痛み。


「私の犬も《ハーフ》も優秀だろう? 私に危険が及びそうになれば護り、反撃もする。言わばボディーガードというわけだ」


 聞いてもいないことをぺらぺらと話すタカハシはどこか嬉しそうだ。そんな声もズキズキと疼く左手のせいで耳の右から左へと流れるだけだった。


 しかし、唯一の救いはこの痛みで殺意が少し薄れたことだ。しかし未だ思考の大半は少年とタカハシを討ち倒す策ばかりを立てようと働いてしまう。


「少し、すこーしだけだ。君のほんの一部分が欲しいだけなんだ。殺しはしないと言っているだろうに」


 砂漠に視線を落としたまま、男の言葉を聞く。手が痛い。暴れた時に薄っすらと感じる快感が気持ち悪い。


 早く一人になりたい。放っておいてほしい。旅に戻りたい。それを叶えるには男に大人しく従った方がさっさと引くのではないか。


 黙ったまま俯き、働かない頭で懸命に判断をしようとしている私の返事を待てないのか、タカハシは追加情報を口にした。


「殺しはしない、約束するよ。ああ、でもなんらかの副作用は残るかもしれない、例えば上手く歩けなくなるだとか」


 ――いや、だめじゃないか。普通にだめだ。何のために私が今生きていると思っているんだ。四人から出来る限り離れ、旅の目的を見つけ、達するためなのに。


「しかし01、その代わりに君は旅の呪縛から解き放たれるんだ。魅力的じゃないか。好きなだけここにある物を壊し、ここを通る人を好きなだけ殺めればいい。衝動に身を委ねるときくらいは歩くことなど難なく出来るだろう」


 胸の奥で蠢く衝動が大きく揺れ動いた。好きなだけ殺していいのなら、それもいいーー


 そこまで考えた私は左手に感じる痛みに意識を向け、なんとか愚考を振り払う。しかし同時に刀に反射する茜色は私の理性を飲み込もうとする。


「チホ」


 ついに幻聴まで聞こえてきた。マルさんの声だ。一度会いたいと思ったら何度も思い出すものなのだろうか、それとも自分を律するために捏造した声なのだろうか。


「チホ。聞こえてないの?」


 違う、幻聴などではない。確かに今、私の背後にその声を発するマルさんがいるのだ。


「新たな《ハーフ》か、まだ生き残りがいたとは。やはり世界は捨てたものではないなぁ!」


 タカハシが私を無視して話し始めたことでその存在が確証に変わる。


 反射的に振り返ろうとした私はギリギリのところで思い止まった。見てしまえば終わり、彼に襲いかかってしまうだろう。


「なんでマルさんが、ここに……うッ?!」


 少年が私の手から刀を勢いよく引き抜いた。タカハシの元まで下がり、マルさんに切っ先を向け警戒しているのだろう。


 しかしそれに身構えたり応戦したりする様子もないマルさんは淡々と答える。


「チホを迎えにきた。こっちに来て、一緒に帰ろう」

「何……言ってるんですか?」


 ザクザクと近づいてくる砂を踏む音。


「僕はこれ以上そこにいる男には近づけないから、チホがこっちに来て。みんなチホを待ってる」

「嘘、言わないでください、みんなあんな顔してたのに……! それに今、マルさんを見たら私はきっと――」


 きっと手が、足が、体がマルさんを殺そうとしてしまう。そう続けようとしたはずが、それをタカハシの声がかき消した。


「待て、今近づけないと言ったな? もしや君は《ハーフ》ではなくて《クォーター》なのではないか?!」


 その叫び声は聞いた者全てが身震いをしてしまうほどに狂気に満ちた喜びと興奮を帯びていた。

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