ある吟遊詩人の話

 中世ヨーロッパの吟遊詩人は、各地を転々としながら、作った詩曲を楽器で奏でながら歌う人々だった。民衆は、吟遊詩人の歌や音楽を聴いて日々の心の疲れをいやしていた。


 ある吟遊詩人がいた。この吟遊詩人も例に漏れず、各地を渡り歩きながら詩曲を作り人々の前で歌っていた。吟遊詩人が歌を公演する理由は単純かつ明解に、自分の作った詩曲を多くの人々に聞いて楽しんでもらうことに尽きる。自分の歌を聴かせるのにお金をとるようなことはしなかった。吟遊詩人は老若男女、貴賎にかかわらず、より多くの人に自分の歌を聴いてもらいたいので、お金なんて徴収したら歌を聴いてくれる人が減ってしまうと考えていた。


 その吟遊詩人は、これまでの貯蓄や旅先での日雇いの仕事で生活費を稼いでいたので、金に執着することはなかった。各地を放浪する身で、楽器さえあれば歌を披露できるので、生きる分に最低限のお金があればそれで良かった。歌を公演した時に、時々その吟遊詩人を気に入った富裕層からおひねりとしてお金をもらうことはあったが、毎回使いどころに困っていたほどだった。


 ある日、いつものように歌を公演していた吟遊詩人のもとに、ここら一帯を治めている有力貴族が訪れた。その有力貴族は吟遊詩人にこう話した。

「市井での君の評判はよく耳にしたよ。実際に聴いてみたが実に素晴らしい。私に君の活動を手伝わせてほしい。私には富も権力もある。きっと君の望む音楽活動ができるだろう。」

吟遊詩人は快諾した。吟遊詩人は自分の歌をより多くの人に聴いてもらいたかったが、吟遊詩人一人の力でできることには限界があった。そこに有力貴族の後ろ盾があればとても心強いと思った。

有力貴族はその吟遊詩人の要望に応えるように早速行動を起こした。まず馬車を用意して各地の移動をより迅速に行えるようにした。次に人を使わせて吟遊詩人の寝食の世話をさせるようにした。そうして浮いた時間で吟遊詩人は詩曲を作り、それを披露する機会を増やしていった。有力貴族が取り計った行動はそれだけではなかった。吟遊詩人が町に赴き歌の公演をするにあたって、その町中に吟遊詩人の広報を行なっていった。結果として、吟遊詩人はより多くの町で、より多くの人々に自分の歌を聴いて楽しんでもらうことができるようになった。この上ない喜びだった。


 しかし、吟遊詩人にとって気にかかることが一つあった。吟遊詩人の歌を聴く人々から、有力貴族が鑑賞料金をとっていたのだった。音楽活動の支援にはお金がかかるのだろう。旅費や人件費、広報にかかる代金はかなりのものだから、有力貴族とはいえある程度の徴収は仕方のないことなのだろう。公演の後には毎回報酬として大金を貰いながら吟遊詩人詩人なりに納得しようとした。


 観賞料金をとるようになっても、吟遊詩人の人気は絶えなかった。次第に公演の内容は豪華になり、広報も大規模に行われるようになり、かかる費用も増大した。そのため、鑑賞料金も日に日に増えていったが、吟遊詩人の人気がそれを上回り、歌を聴く人は増えていった。しかし、以前聴いていた子どもたちや貧しい人たちは殆ど見かけなくなった。


 そしてとうとう、吟遊詩人の歌を聴いてくれる人が少なくなったことに気づく日がきた。それは決して、吟遊詩人の人気が無くなったことに原因があるわけではなかった。むしろ吟遊詩人の歌を聴きたがる人はまだまだたくさんいた中でのことだった。鑑賞料金があまりにも高くなりすぎて、もはや貴族や豪商といった富裕層でなければ吟遊詩人の歌を聴くことができない状態になってしまったのだ。


 吟遊詩人の望みは、自分の歌をより多くの人に聴いて楽しんでもらうことであった。しかし、このまま高い鑑賞料金をとり続けたら歌を聴いてくれる人が次第に少なくなってしまう。吟遊詩人は支援している貴族に鑑賞料の徴収を止めるように嘆願した。しかし、有力貴族は聞き入れてくれなかった。吟遊詩人の歌の価値をおとしめてはいけないとか、徴収した金は世の中に貢献していると言っていたが、建前だということに吟遊詩人は薄々と勘づいていた。富裕者が財宝や芸術品を独占して、貧しい庶民に分け与えることを惜しむように、吟遊詩人の歌も独占の対象となって、歌を聴く感動を貧しい庶民に共有させることを良しと思っていないのだろう。吟遊詩人は支援してくれている有力貴族に対して当初は恩義を感じていたが、実態を知ってしまった今は辟易して止まなかった。


 ある時、吟遊詩人は無断で町に足を運んで歌を公演した。聴衆からお金をとるようなことは勿論しなかった。最近歌を聴かせてあげることができなかった、子どもや貧しい人たちもたくさん聴きに来てくれた。久々の感覚で幸せを感じ取り、しばらくは忍んで公演していたがそれも長く続かず、噂を聞きつけた有力貴族は人を使って吟遊詩人を監視させ、有力貴族の許可無しに講演するのを固く禁じた。吟遊詩人は有力貴族に支援はもういらないから自由の身にしてほしいと言っても、やはり聞き入れてもらえなかった。


 吟遊詩人の苦難は続く。富裕層相手しか歌を聴かせられない状態になってから、当初はお金が無くて歌を聴けないのを惜しんでいた民衆も徐々に態度を変えるようになり、「あの吟遊詩人は金持ちしか相手にしない」と事実となってしまったがあらぬ噂を立てられてしまっていた。金だけはいつも多く貰っていたので生活には困らなくなったが、それは嫉妬の感情を呼び起こす種になり、特にかつての吟遊詩人の仲間から憎まれ口を言われた時には酷く落ち込んだ。


 耐えかねた吟遊詩人は逃げ出した。この地域ではもう自由に歌える場所はないと思い、東へ、東へと長い旅路に出た。砂漠のとある大きな町に行き着いた吟遊詩人は、そこに腰を落ち着けて再び歌の公演を始めた。今までと同じ歌を歌ったが、見向きをする人は2、3人程度だった。吟遊詩人は思った。

「これも文化の違いだろうか。それでは、新しい詩曲を作るとしよう。実に下らないことで多くのお金が動いた話でも。」

吟遊詩人はまた別の意味で人気を得たそうな。

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