私刑

 都心で大地震が起こった。未曾有の大災害となった。


 家々の多くは全壊し、周辺の避難所には想定以上に人が溢れ、備蓄していた水も食料も十分とはいえない量だった。災害対策本部は、避難者に配給する食料を少なくすることで避難者全員に均等に分配しようとしたが、やはり避難者の腹は満たされず、栄養失調に陥る者も出てきた。

 災害発生から程なくして、軍隊が、といっても今やこうした災害時の救助活動が本業となりかけている部隊が被災地へ訪れた。軍隊の仕事は、倒壊した家屋に生き埋めになっている可能性のある人々を救出することだった。


 隊員の青年は、軍には入って間もないが、正義感の強い若者であった。必ずや今回の大災害で被害に遭った多くの人たちを救ってみせると意気込んでいた。倒壊した家屋に埋もれた人間がいないか辺りを見回し声を上げて救助活動に励んだ。

 大規模な災害ゆえにほとんどの家屋は倒壊していたので、軍隊も散り散りになって救助活動を行なっていた。隊員の青年の周りに、他の軍隊の人は無く、もし青年が救助を待つ人を見逃せばもはや助からないといってもよい状況だった。それだけに青年はいっそう責任感を持って取り組んだ。

 ふと青年は倒壊した家屋から一人の歩く人影を見つけた。逃げ遅れた人だろうか、青年は走って近づくと一人の男が大袋を担いで挙動不審に歩いていた。隊員の青年は直感的に感じ取った。

「泥棒だ。」

 青年が泥棒とみなした男は、顔をマスクなどで隠してはいなかったが、険しい顔つきをしていた。この未曾有の大災害では誰しも険しい顔つきにならざるを得ないとおもうが、そういうのとは違う、いわゆる目がつり上がり他人を信じていないような悪人の顔つきだった。

「そこのお前、何をしている?」

 青年が問いかけると、険しい顔の男は逃げも怯みもせず、存外冷静な口ぶりで応えた。

「食料を漁っているんだ。食えなければ死んでしまうからな。」

 青年はさらに詰問する。

「そこはお前の家ではないはずだ。お前のやっていることは窃盗だ。」

 泥棒は開き直った様子で応えた。

「うるさい!こっちは腹が減っているんだ。こうでもしなきゃ死んでしまう。放って置いたらこの食べ物は腐ってしまうし丁度いいじゃないか。他にもやっている奴らはいるぜ。」

 そう言い捨てて泥棒はその場から逃げ出そうとした。


 青年は逃げる泥棒を追いかけた。重い大袋を担ぎながら瓦礫が散乱して足場の悪い道を走る男の逃げ足はそれほど速くはなく、軍で日頃訓練を重ねている青年にとって追いつくのにそれほど苦労はしなさそうだった。

 青年は警察官ではないが、この泥棒はプロの泥棒ではないと何となく察した。このような大災害がなければ、少なくともこのような犯罪行為はしなかったのだろうと内心思った。

 青年は泥棒を追い詰めた。この泥棒の処遇をどうしようか。

 捕まえて警察に引き渡すのが自然な流れなのだろう。もっとも現在のこの被災した状況は自然な流れなどではない。警察も交通整備や治安維持で多忙を極めている。そんな中でこんな泥棒を引き渡して仕事をさらに増やしていいのだろうか。青年は緊迫とした状況の中、妙に頭が働いた。


 青年の思考は続く。そもそもこの泥棒を警察に引き渡した後はどうなる。殺されることはないだろう。犯罪とはいえその罪状は窃盗なので、死刑になることはまずなく留置所送りだ。泥棒は留置所の中で少なくとも死ぬことはないだろう。雨風も防げるし、生きるのに最低限の水や食料も与えられる。この泥棒を捕まえることは、この泥棒を生かすことに繋がりかねない。何も罪を犯していない他の被災者が苦しい生活を送り、死と隣り合わせかもしれないのに、罪を犯したこの泥棒は捕まることで生命が保証される。そんなことがあってたまるか。


 泥棒を逃すわけにはいかない。しかし、捕まえて引き渡せば他の被災者を差し置いてこの泥棒を生かすことになってしまう。青年が躊躇した隙を伺い、泥棒は逃げ出そうとした。

 それに気づいた青年は咄嗟に持っていた護身用の銃をかかげ、銃口を泥棒に向けた。すぐに銃声を鳴らし、銃弾は泥棒の頭を直撃した。泥棒は程なくして死んだ。

 青年は泥棒の死体処理もせず、その場を後にして救助活動を再開した。泥棒の死体は数日後に見つかったが、災害時ゆえ死体検証もろくに行われず災害によって死んだものとして扱われた。


 泥棒を殺した青年はその後何の支障もなく被災地での任務に取り組んだ。次の任務は災害によって野放しにされて住宅街に迷い込んだ動物を始末することだった。人間という獣を一度始末した彼にとってはわけない任務だった。

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