正義のいじめ

とある中学でいじめ自殺の事件が起きた。

早速マスコミは現地に赴き執拗に取材をする。ネットでは学校や生徒の身元特定がされては炎上が止まない。


いつまでも蔓延るいじめ問題。決まっていじめられた側は同情され、いじめた側には憎悪の矛先が向けられる。「いじめられる側は悪くない。いじめる側が100%悪い」いたどこで誰が提言した言葉なのか、実の根拠も無いまま暗黙の了解としてスローガンを掲げながら、ワイドショーやSNSで話が展開されていく。


取材が進むにつれて、いじめの内容が分かってきた。いじめられた被害者は、中学に入った頃からクラスメートから無視されてきた。被害者はクラスメートに近づくたびに「臭い」と言われて避けられたようだ。

教材や筆記具なども盗まれ、殴る蹴るなどの暴力、「いじめ」という言葉さえ無ければ「犯罪」とみなされる行為も行われてきたという。いじめ主犯格の少年は、いじめ被害者に激しい敵意を示していた、故意で悪質な様子だったという。


文面だけ見れば、典型的な凄惨ないじめだった。案の定ワイドショーやSNSで怒りのコメントが発された。いじめ主犯格の身元を特定して殺害予告を出したことで逮捕された者も出た。相変わらず行き過ぎた正義は恐ろしい。


しかし、とある記者は引っかかるものを感じた。その記者はフリーだが、己の正義を掲げるようなことはしない真っ当な記者だった。

今回の事件で行われた学校生徒へのアンケートでは、自殺した被害者を悼むような言葉は一切無かった。たとえ学校から何かしらの隠蔽を押し付けられていたとしても、性善説を推しているわけではないが、ある程度の良識があれば、真実を書くものが何人かいてもいいはずだ。ところが、誰も被害者側に寄り添う書き込みは無かった。

記者は独自に調査を行った。事件が起きた学校に赴き生徒一人一人に聞き込みをした。探偵に金を掴ませて多少なりとも汚い方法で真相を探ったりもした。そして妙な事実が分かった。


いじめが行われていたことは事実だ。だが、いじめた当事者には一切の悪気はなかった。いや、決して悪ふざけやじゃれあいの延長などではなく、被害者への明確な敵意を示していたが、いじめているという、世間的には悪とみなされているその行為に後ろめたさを感じてはいなかった。


いじめがあったクラスの生徒から話を聞くことができた。確かに集団で無視はしていた。しかしそれは、無視をしなければならなかった状態だった。いじめ被害者は配慮が非常に欠けた人間で、しばしばグループやクラスの和を乱していたそうだ。あるクラスメートが親を病で亡くした時にはそれを酷く嘲笑することもあったそうだ。

そんな話を聞いた記者は若干青ざめた。だが、証言している生徒が嘘をついているとは思えない。非常に真摯な顔で話していた。というかこれが嘘なら本当に恐い。

話は続いていく。マスコミの報道では、「臭い」と言われて避けられていたそうだが、実際に臭かったようだ。まともに風呂に入ってないのか、洗濯物が生乾きのままなのか、そういうのが入り混じった不快な臭いを常に醸し出していたという。席が近かった生徒は、授業や給食の時は決まって悲痛な思いをしていたそうだ。


迷惑行為も口で言って止めてくれるならそれで良かった。いじめが起こる前には、クラスメートが被害者に何度も注意をしていたらしい。しかし、その被害者は聞き入れなかった、いや、聞き入れようとしなかったのだろうか、配慮を欠いた行動は続いた。クラスメートは次第に被害者を疎んじるようになったという。当然といえば当然だ。記者は大いに共感した。


被害者の少年は孤立した。因果応報だ。しかしその孤立によって、他人から拒絶される恐怖など持つ必要がなくなったのだろうか、被害者の迷惑行為はさらにエスカレートしていったという。クラスメートの多くは、被害者には学校に来てほしくないと思った。不登校にさせるのが行き過ぎているならば、せめて日頃の配慮に欠けた行いを自重させたい。言葉で言ってわからないのなら、武力行使に走ることになる。そうして「いじめ」とみなされる行為が始まった。

はじめはクラスメートから距離を置かせるところから、嫌な臭いの被害者が近づいてくると不快なので、どついたり押し出したりと多少強引ながらも力づくで被害者を遠ざけた。物理的に近づけないならと、今度は被害者は自分のノートや筆記具といった所持品をクラスメートに投げつけて嫌がらせをした。投げられた物を返したら、また投げ返される。投げつけてきたものは一時的に没収することにした。後から盗み扱いになった。


被害者には鬱憤が溜まっていった。その鬱憤を学校では晴らすことができないので、別のところへ矛先を向けた。夜な夜な公園に足を運んでは、ゴミを散らかしたり、蛇口を開けっぱなしにしたりと明らかな不法行為を行なってきたそうだ。被害者は誰にも気づかれないように、少なくとも教師や警察には知られないように用意周到にこれらの行為を行なっていたので、その悪質な行為は生徒たちの噂として広がっても、大人が止めさせることは無かった。


ある時、被害者は公園に集まっていた猫たちを虐げていたそうだ。いや、虐げていたならまだしも数匹かは殺害にまで及んだらしい。そして悲しい偶然か、その中の一匹は、被害者のクラスメートの少年が外飼いしていた猫だったという。確たる証拠が無いので、警察もなかなか動かなかったが、愛猫を殺された少年はいじめの主犯格となった。


主犯格の少年は、愛猫を殺した被害者に激しい憎悪を向けて殴る蹴るなどの暴行をした。自分の子を殺された親が、殺した犯人を殺したくなると思えば自然な道理だ。主犯格の少年の友人も、その少年の境遇に同情していじめに加担した。クラスメートは皆いじめを止めることはなかった。それどころか助長する空気であった。クラスの和を乱し、それどころか他人に危害を与えるあの被害者を野放しにしてはいけない。大人が裁けないのならば、我々の手で。そうした正義のいじめは功をなし、最終的に被害者を自殺に至らしめた。


これが、いじめ事件の隠された真相だった。話を聞き終えた記者は、話をくれた生徒に謝礼し、真実を報道してもらえるように努めた。それ相応の時間を経て、いじめ事件の真実が徐々に各メディアで取り沙汰されてきたが、それに対する世間の反応は「いじめる側を擁護する気か」や「いじめられる側が悪いのか」といった感情に流されるままの評価だった。真相を追求した記者は、とある週刊誌で今回の事件に関してのコラムを書く機会が与えられた。そのコラムに綴った内容はこうだった。

「正義も悪も立場や状況によって異なるものであり、絶対的なものなど存在しない。今回のいじめも、善悪を決めつけることにそもそも意味はない。強いて原因を探るとすれば、加害者と被害者が同じ教室に居合わせたことだろう。分かり合えない者同士が同じ場所に居合わせるだけで諍いは起こる。戦争もいじめも結局のところ根本的なところは同じだ。」

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