Blue Ink

 「ねぇ、柿崎くんは何で周りを気にしないの?」

 自称平凡な男子高校生はプール清掃後の、プールサイドに腰をつけて尋ねる。

 尋ねられた柿崎くんは1拍置いて答えた。

 「気にする必要、あるかい?」

 柿崎くんは空のプールに投げ出した僕の足を見ている。

 「必要……?そう言われれば……」

 ない。

 僕が勝手に気にしているだけかもしれない。周りからの大した視線は感じたことも無いのに。

 「周りに合わせる必要性……それって、つまりは会社で生きていこうとする人間が学ぶべきもの。会社以外の道で生きようとするなら、別に他人の眼なんてどうでもいいと思うけど?」

 柿崎くんは僕と少し離れたところに腰を下ろす。

 しばらく僕たちは青い空を眺める。春が終わりそうで夏が到来しそうなこの時季。特別に空が澄んでいて、それでも厚い空が頭上一杯に広がっていた。

 柿崎くんは、何処か遠いところを見つめている。

 「柿崎くんは、夢って、ある?」

 「夢か……」

 柿崎くんはまだ何処かを見ている。そのまま、視線を上へとずらし、真上の空を眺めた。

 「この世界を1ミリでも良くする。」 

 他の人なら、馬鹿にしたのかもしれない。


 そんなの無理だ。

 お前に何ができる。

 そんなの他の人がやってくれる。


 と不快な言葉を浴びせたに違いない。

 しかし、柿崎くんを馬鹿にする気持ちは、湧いてこなかった。

 僕は素朴な疑問を口にする。

 「どうして?」

 柿崎くんは少し考える仕草をして、吸気をする。

 「この世界に何か貢献したい。言ってしまえば、爪痕を残したと思っている。善くても、悪くてもどっちでもいいんだ。大きくても、小さくても構わない。だから、自分に何ができるか考えたんだ。そしたら、この世界で生き辛くしている人の助けになりたい、とね思ったんだ。例えそれが、不可能でも、僕が不可能なだけで、もしかしたら僕らより後の代なら可能なのかもしれない。それなら、今後、この世界を生きていく人を育てたいと思っている。

 だから、一杯勉強して、色んなことしなきゃと思っている。この学生で無責任な時に知識と知恵を蓄える。そして、社会に出たとき、その武器で世界を変えてやりたい。」

 だから、人のことなんて、気にして過ごしていない。

 柿崎くんは、静かに語り終えたその口を閉じ、僕を見た。

 僕は何も言えなかった。

 柿崎くんは夢を持ってる。しかし、僕は持っていない。

 人生の中で僕は、僕の夢を考えてこなかった。どうせ叶いやしないと思っているからだ。


 将来の夢は、何ですか?

 

 そう聞かれる度、うんざりしていたのを思い出す。

 幼稚園。

 みんなが壮大な夢を語っていた。みんながそう言うならと思い、自分なりの壮大な夢を描いた。

 小学生。

 少し現実的な夢を皆が言っていた。しかし、何処かまだ夢心地な印象だった。が、皆に合わせるようにして僕も、少し現実的な夢を書いた。

 中学生。

 ほぼ、自分が形成されつつある小学5,6年で見た現実を参考に、皆は自分が叶えられそうな夢を言っていた。中には、小学生じみた夢を言っていた奴もいた気がする。僕も、皆と同じく叶えられそうな夢を書いた。

 僕は、そうして高校生を迎えた。幾らの夢も描いていなかった。描いても無駄だと考えている自分が何処か存在していた。

 だから、「夢は何ですか?」と聞かれても、「考え中です」とか「何になるか迷っています」とお茶を濁している。その内、それも鬱陶しくなり、いつの間にか「ないです」とはっきり言っている。

 柿崎くんの言葉で今の自分が無力に感じた。物理的な距離だけではなく、精神的な距離も感じた。

 「君は周りを気にし過ぎじゃないかい?」

 柿崎くんは、微笑んでいる。

 「え……?」

 「君は周りが、怖いんだろ?だから、周りに合わせてしまう。」

 「う……うん」

 「君はよく、周りに意見を合わせるよね。」

 「うん……」

 「みんなが良いと言えば、良いと言い。みんなが悪いと言えば、悪いという。そして、」

 柿崎くんは息を吸う。

 「僕を変人と言えば、君たちは僕のことを変人と言う。」

 僕は首を摘ままれたのを覚える。

 「……ごめん」

 彼は少し笑った。

 「謝ることはないさ。只、君はそんなんでいいのかい?」

 「え?そんなん?」

 「薄々、気付いているんじゃないのかい。周りに合わせてばかりいたら、自分のしたいことが見えなくなるよ?」

 柿崎くんとは距離という概念すらないのかもしれない。僕には柿崎くんが見えない。

 「どうしたら……気にせず居られる?」

 「どうしたら、いいだろうね~」

 柿崎くんは視線を、空に投げかける。

 「一つ!」

 柿崎くんはいきなりに大きな声を出した。

 「一つ?」

 僕はオウムになる。

 「他人のことは考えるな。自分のことだけ考えろ。」

 「うん」

 「二つ!他人の人生に生きるな。自分の人生に生きろ。」

 「う……うん」

 「最後に三つ!」

 そこで柿崎くんは一息おいた。

 「三つ目は?」

 そう問い掛けられ、柿崎くんは明瞭に話す。


 「好きなことは全力でやれ。中途半端にやるならやめろ。

  自分の目標に達するためなら、人に迷惑をかけてもやれ。そして、悩め、もがけ、苦しめ。」


 「かな?」

 僕は黙ってしまう。

 柿崎くんはそっと言う。

 「水口夢大くん。夢に大きいと書いて、ゆうたと読む。良い名じゃないか。両親はきっと良い人なんだろうね。」

 一息置いて。

 「そんな君が夢を抱かなくてどうする?例え、破れたってどうでもいいではないか?」

 心臓が一つ鳴ってから。

 「柿崎くんは夢が破れてもいいの?」

 僕の疑問の棘。柿崎くんには届いていない。

 「そんなことどうでもいい。」

 柿崎くんは短く言った。

 「どうして?」

 「どうして?別に、夢を叶えるために動いたんだから、別に破れたとは思えない。

  例え、破れたと認識しても、今、叶えられないだけだし。何かしら、後々に別の形で叶えてしまうかもしれない。」

 それに、新しい夢を見つけたら一緒でしょ。

 柿崎くんはペラペラとしゃべり終え、プール内の水溜りを、眩しそうに見つめている。その目は前が見えて無さそうではなかった。

 次第に細めた目を動かすのを止め、ボーっとし始めた。

 柿崎くんなら夢を叶えてしまうかもしれない。そう思うと、何故だが、ワクワクしてくる。

 「じゃあさ……絶対叶えられる?」

 「ああ、絶対に。」

 「じゃあ、約束だ。」

 彼は笑った。

 「あはは、今にしては珍しいね。いいよ。約束だ。」

 


 吉日から、月日は流れ、僕はデザイナーになっていた。

 あれから、夢を探したのだが見つからず、受験期に入ってしまった。焦った僕は柿崎くんに相談した。

 「君はデザイナーになれ。君の出来る出来ないは知らない。」

 無理矢理な口調。柿崎くんは直ぐに職員室へ行き美術の先生へ、僕が美術校を受けると言っていたことを思い出す。僕は柿崎くんを追い、焦った口調で言った。

 「出来っこないって!柿崎くん!」

 それでも、柿崎くんはこう言った。

 「いや、センスあるでしょ。」

 と。先生も「どうするの?」と問いただしてきたので、悩んだ挙句、やってみるかという期待感と唐突に現実を突きつけられた脱力感で「はい」と言った。

 それから、デッサン、色彩構成の練習が始まり、それなりには描けるようになっていった。しかし、先生から言われせれば、「五分五分」。もっと腕を伸ばせと、画塾を勧められた。

 画塾に通い始めれば、周りにつられ、みるみる描ける様になっていた。同じ学校を受けようとする人と友達になり、励まし合いながら頑張った。

 結果、志望校に合格し、真っ先に柿崎くんに報告した。

 「やったよ!柿崎くん!やった!」

 電話口で興奮している僕と相反するように柿崎くんはいつも通り。

 「やったじゃん。」

 「もうちょっと、喜んでくれたっていいじゃないか?」

 僕は怪しんだ。

 「いや、嬉しいよ。」

 「え、それだけ?」

 「それだけさ。頑張れよ。」

 「一緒に喜んでくれないのか?」

 「一緒に喜ぶことが僕ができることかい?そんなの他の人の方がいい。」

 冷たい柿崎くんで、僕の熱い心が急速に冷めていく。

 「なんで?柿崎くんが薦めてくれて、嬉しかったんだよ?辛い時も軽く応援してくれただけで、励みになったんだ。君にも喜ばしい事だと思うんだけど?」

 「だから、嬉しいと言ってるじゃないか。」

 「だったら、もうちょっと素直になってくれよ!」

 突沸した僕は電話口で叫んだ。

 「そんな大声出さないでくれよ。喧嘩したくない。」

 一息おいて、柿崎くんは言う。

 「前にも言ったよね?僕は人の人生に生きるつもりは全くないと。しかし、僕の影ながらの応援が功を奏していたとするならば、君の報告に感謝し、歓喜する。

 だけど、僕だって僕の人生がある。人の喜びにそんなぬくぬくと浸っているつもりはないよ。」

 「だけど……」

 返す言葉がなかった。僕の感情的な言葉では、彼の哲学を壊せまい。

 「改めて、おめでとう。僕は君の頑張りを糧に受験を頑張るよ。じゃ、もう切ってもいいかい?勉強しなきゃなんないから。」

 うん、と電話を切ったと思う。

 熱くなった口と、冷たい指の虚しさが僕を包んだ。

 今思えば、自分勝手だったと思う。自分の喜びを共感して欲しいなんて、そんな烏滸がましいことをよく要求したな。と、深く反省している。

 そんなこんなで現在。

 デザイナーの仕事で忙しい中、久しぶりに高校の連中と会う機会が設けられた。

 会場は、我々には少し背伸びしたなと思う、ホテルであった。高校名と「同窓会」とが看板に肩を並べていた。

 看板の後ろには大会場があり、先に付いた人らが酒を料理を飲み食いしている。あいさつまで、時間があった。

 僕はフロントで受付を済ませ、中へ入ろうすると、その場で引き留められた。

 「水口様でしょうか。」

 フロントとは違うホテルマンが立っている。

 「はい。そうですが」

 二つ返事の後に、フロントが下から一通の手紙を取り出す。それを目の前のホテルマンに手渡す。

 「水口夢大様。名前はお間違いないですか。」

 と手紙を差し出した。

 それは縁がトリコロールであしらわれた国際便だった。

 「間違いないです」

 返事をしながら受け取る。裏返せば、差出人は英名で「T, Kakizaki」と記されている。

 「それでは、失礼します。」

 丁寧にお辞儀し、ホテルマンは去っていく。

 人がまばらに行き交う廊下の中で、柿崎くんからの手紙を開く。


 

拝啓 水口夢太さん

 久し振り。お元気ですか。私は一応元気です。

 まず初めに、申し訳ありません。同窓会に行けなくて。今、私はアフガニスタンにいます。実は、そこで教育者として働いています。

 何がなんだがわからないと思います。あの電話以来、私たちは疎遠になりました。あのとき、もっと素直に喜んでいればな、と猛省しています。今、水口君と友達のままで居たなら私の今の考えもきっと違っていたのかな、と時折もの思いに更けることがあります。溢れる言葉はいつも「ごめん」でした。

 ずっと謝ってばかりですね。読み手も、書き手も退屈してしまいます。順に私の電話以来の話を簡単にしますね。

 水口くんが合格してから、僕は受験をしました。一応、何か所か調べてみても、どれも自分のしたいこととしっくりしませんでした。

 先生と進路の相談をしている途中、自分の夢を話す機会がありました。先生と話し込んでいるうちに、国際科で勉強して、留学して、それから仕事とか頑張ればいいんじゃないか、と結論が出て、最後に国際科で有名な学校を受験しました。

 結果、合格して留学しました。その中でUNISEFの人と会うことがあり、自分の夢について語ってみたら、

 「あーあ、だとしたら、アフガニスタンで先生してみたら?」

 と言われて、その時、私の夢と上手く合致したんだ。

 ほら、言っただろ?私は『1ミリでも、この世界を良くする』とね。

 そんな簡単に出来るんだ、と驚きが半分と、よし今すぐやろう、という衝動が半分だった。

 勢いで大学に連絡を取ってから、アフガニスタンに飛んだんだ。その頃から就職を考えてたから、自分的には良かったんだと思う。

 そして、現在に至る。

 まぁ、こんな感じかな。

 アフガニスタンについてもうちょっと詳細に書きたいけど、それは直接会ったときの土産話として取っておこうかな。それに、入国してから直ぐに忙しくなったから散策してないんだ。ごめん、これを機にちょっと散策してみよう思う。

 見返して見れば言葉遣いがあの頃に戻っていた。おかしいことだね。会ってもいないのにまるであっているような感覚でしゃっべていた。

 楽しかった。君とのあの日々が。それと、今君へ言葉を紡いでいることが。ありがとう、そしてこれからもよろしく。会うことは少ないだろうけど。

 それではお元気で。


                                                          敬具 柿崎 照也


 便箋を畳んで封筒にしまおうとすると、もう一つ便箋が入っていた。

 

 

追記

 申し訳ない。一緒に書けばよかったと思うが、そのときは書くか迷って書くのを逃してしまった。だから、少し小さな便箋に記そうと思う。

 

 単刀直入に何故、あのとき喜んでいなかったのかを話したい。

 君は周りに合わせてばかりいた。ということは、君が人に合わせてもらいたいと思っているんじゃないかと思ったんだ。あのとき、私が喜んでしまえば君の満足感が埋まってしまうのではないかと危惧したんだ。

 せっかく見つけた自分の頑張れること。私はそれを恒久的にはしたくなかった。なぜなら、君の楽しそうな顔が見られたからだ。

 その顔は誰よりも活力が沸いていたと思う。

 私はそんな君を君自身が失って欲しくなかった。やっと君が人生を生きているように感じたら。

 でも、今になって喜んでも君はまた元の君に戻るかと言われれば、それはわからない。一緒に喜んでやったらよかったという思いも湧いてくる。本当に悔しいものが込み上げてくる。

 すまない、最後に湿っぽくなってしまって。

 本当にこれで最後だ。元気でな


 夢太。

                                                                柿崎



 湿っぽい手紙たちを封筒に戻す。

 まるで、会ったかのように心が弾む。

 僕も書こうか。手紙。

 丁度、僕のデザインした万年筆が売っていることだし。

 封筒の裏にはこう記してある。


 やるじゃん。万年筆、かっこいいぞ。

 

 青いインクが心の中まで広がっている。

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