「今日は果物の砂糖漬けをお持ちしました。あとこちらが薬です」

 執事は留守にしているのか、門を潜ると出迎えてくれたのは警戒した様子の侍女である。

 何度かつま先で地面を蹴り、靴の底に着いた泥を落としてからその中へと入る。

「薬はまだ、控えめに見積もっても一か月分は残っています。それに、貴方のお父上はもう少し間隔を空けていらしていたと思うのですが」

「ほら、患者の容態はこまめに把握しておくに越したことはないでしょう」

「……まあ、お嬢様はお喜びになるでしょうけれども」

 初めて屋敷を訪れてからこの二週間のうちに三度目となる訪問に、侍女はどうやら不信感を抱いているらしい。

 じっとりとした視線を向けてくる侍女の後をひな鳥のようについて歩き、赤い扉の内側へと足を踏み入れれば、領主の娘はそれまで読んでいた本をパタリと閉じ身を起こす。

 それそのものが光を発しているのではないかと錯覚するほどに輝かしい豊かなブロンドの髪が、それに合わせて揺れた。

「まあ、またいらしてくださったんですね」

 お加減はいかがですかと声をかければ、今日は喉の調子がいいのだと彼女は長いまつげを伏せはにかむように笑う。

「では、次も同じ薬をお持ちしましょう。読書中に、お邪魔でしたか?」

「いいえ、本は後でも読めますから」

 座ってくださいな、と近くの椅子を彼女は指差し、ベッドの横にある棚へ薬をしまい終えた侍女に声をかけ、お茶の準備をさせる。

 領主の娘の部屋の壁は、東側の一面が本棚となっている。

 そこにはびっしりと本が詰め込まれており、その様子は圧巻だ。

「読書家であられるんですね」

「屋敷からロクに出られないものですから、これ以外に娯楽がなかったんです」

 彼女は困ったように目尻を下げてから、僕と同じように、その本たちを眺める。

「父は忙しい人ですから……なかなかこちらには来ることができないので、彼女と一緒に読んだ本の感想を語り合うのが日々の楽しみなの」

 ね、と領主の娘は侍女に向かって首を傾げながら満面の笑みを向ける。

 手際よく配膳を進めていた侍女は領主の娘と目が合うと、眉を寄せほんのりと顔を赤らめた。

「わ、私が本を読めるのは、お嬢様が文字を教えてくださったお陰ですので」

 もごもごと感謝の言葉を口にする侍女を他所に、椅子から腰を上げ本棚に近寄る。肺の弱い領主の娘の為にこまめに掃除をしているのか、棚には床と同様に塵一つ見当たらない。

 指先に背表紙のざらとした紙の感触が伝わる。

 何気なく手に取ったそれは最近王都でも流行となっている作家の処女作で、パラパラとめくれば古くなった紙とインクの匂いがした。

「おや? これもしかして、初版本ですか?」

 奥付を開きながらもベッドへと目をやると、領主の娘はどこか自慢げに頷いた。

 確か、今ならば元値の十倍は下らない価値が付いているはずだ。

 保存状態も悪くない。

「いくらでしたらお譲りいただけます?」

「申し訳ありませんが、それは私の宝物ですので」

「それは残念」

 こちらの言葉を冗談と捉えたのか領主の娘はくすくすと笑う。

 少しばかりの落胆を笑顔で隠しながら、今日は王都の話がいいか、それとも先日訪れた南方の地方都市の話がいいかと聞くと、領主の娘はぱあと目を輝かせた。

 侍女がテーブルに、菓子類と共に果物の砂糖漬けを盛りつけた皿を置く。

 領主の娘は白く傷一つない作り物のような指でそれを一つ摘まむと、侍女を呼びつけ、親鳥のごとく彼女の口の中へと放り込んだ。


「今日はこれまた露骨ですね」

「お気に召しませんか?」

「まあ、お嬢様はお喜びになるでしょうけど」

 花瓶を用意しなければ、と侍女は言いながらも渋々といった様子で花束を受け取った。

 濃密なバラの香りが、まだ残っているような気がして、自らの服の袖の匂いを嗅いでみる。

 街の花屋では贈り物ならばこれが鉄板だという話であったが、侍女の反応はいまいちだ。

「逆にどういったものなら良いのでしょう」

 そうですねぇ……と侍女は首を傾げ、お嬢様なら書物でしょうかと呟いた。

「あとは、珍しい品などもお喜びになるかとは思いますが」

「参考までにあなたなら?」

「強いて言うならば形に残るものが好ましいですが、そもそも贈り物で気を引こうということ自体が浅はかと言わざるを得ないのでは」

「痛いところをついてきますね」

 苦笑いを浮かべてみせるも、侍女はもはや取り繕うこともせず呆れた表情を向けてくる。

「大体あなた、ここに入り浸りすぎじゃありませんか? 薬商というものはもしかして暇なんですか」

「とんでもない! 西へ東へと大忙しですよ」

 領主の娘の部屋へと入れば、いつものように匂い消しとして使っているのであろうラベンダーの香りが、鼻に届く。領主の娘は何度か咳き込みながら、ゆっくりと身体を起こした。

「お体の具合はどうですか?」

「少し咳がでますが、どうか気にしないで。今日もお話を聞かせてくださいな」

 侍女が抱えているバラの花束を見て領主の娘は、素敵ねと普段よりもいくらか青白い顔で笑みを浮かべた。

 この様子ではあまり長居をするのはやめた方がよさそうだと思いながらも、促されるままに椅子へと腰をかける。

「それでは、先日訪れた西方の街の話でもしましょうか。この街の近くには薬草園があるのですが、更に遠くの街で病が流行っている影響で価格が高騰しておりまして」

 そのまま、つらつらと最近の仕事や他の街の様子を、決して暇をしているわけではないのだと、花瓶を飾っている侍女の耳にも聞こえるように少々大きめの音量で語る。

 街の薬屋へ商品を卸し、薬草園を回り、医者の元を訪ねては流行っている病と必要な薬を伺いそれを手配する。

 薬草や香辛料などの仕入れのルートは父が使っていたものに加えて、希少なものを取り寄せる際は王都での知り合いの伝手を頼ることもあった。

 その時に備えてこまめに手紙で情報をやりとりし、時折仕入れのついでに直接足を運んではパイプを繋いでおく作業も、手間がかかるが欠かせない仕事だ。

「そうそう。実は、近頃はこっそりと嗜好品の流通にも手を出しておりまして」

「嗜好品、というと、この前の果物の砂糖漬けや、宝石などですか? でもなぜ、こっそりと?」

 キョトンと首を捻る領主の娘に、顔を近づけて小声で話す。

「ばれたら、本業を疎かにするなって父にどやしつけられますからね。でも、なんせこの副業は儲かる」

 金はいくらあっても困りませんからね、とニヤリと笑って見せれば、それをベッドの横で聞いていた侍女が、いかにも呆れましたと言わんばかりのわざとらしいため息をついて首を横に振る。

 侍女のその様子を目にした領主の娘は、堪えきれずに吹き出して謝罪をしながらも笑い声をあげた。



「ああ、あなたですか」

 申し訳ございませんが今日はお引き取り下さい、と目の下に深い隈を浮かべた侍女は、やつれた様子で口にした。

 溶けてしまいそうなほどの熱さの中、屋敷まで馬車を走らせたせいで喉元を伝う汗を拭いながら、何かあったんですかと問う。

「お嬢様が……体調を崩されていまして」

「医者は」

「今診察中です」

 なら尚の事お会いさせてください、とそのまま屋敷の中へと入る。

 見慣れた廊下を速足で抜け階段を駆け上がり、いつもの赤いドアを開くと丁度診察の最中であったらしい。

 恰幅の良い中年の医者が領主の娘の口の中を覗き込んでおり、それを隣で執事が見守っている。

 領主の娘はリンゴのように顔が赤く、苦しそうに喉からぜーひゅーという音を漏らしている。

「なんだ、薬商とこの倅か。相変わらず気取った恰好しやがって」

 医者はこちらを一瞥すると、領主の娘の診察を続ける。

「症状は」

「喉が大分腫れてやがる。肺の状態も良くないな」

「ちょうど咳を抑える飲み薬を仕入れてきたところです」

 見せてみろ、と言われて瓶を取り出し成分と薬効を簡単に説明する。

 蜂蜜を混ぜてあるため、往来の薬よりはえぐみが気にならず飲みやすいはずだ。

「熱を下げる薬も必要ですか。馬車の方に柳の樹皮の丸薬が積んでありますが」

「すぐ持ってこい」

 踵を返してドアを出ると、水を張った桶とタオルを抱えた侍女とすれ違う。

 取ってきた薬を手渡すと医者は、もう用は済んだとばかりに、診察の邪魔だからあっちいってろと人のことを手で追い払う仕草をした。

 執事が侍女に何か耳打ちをすると、侍女はぱっと面を上げ何か言いたげに執事の顔を見たものの、すぐに目を伏せ、唇を噛みながら小さく頷く。

「応接室までご案内いたします」

 軽くお辞儀をした後に、どうぞこちらへ、と侍女は肩を落としたままドアを開けた。

 苦し気に咳を繰り返す領主の娘の様子に後ろ髪を引かれるが、これ以上ここにいても出来ることはないのも事実だ。

 侍女の後を追い、足を引きずるように廊下へと出る。

「そういえば領主様は……今日はこちらにいらっしゃるとお聞きしていたのですが」

「それが、緊急の仕事が入ったとのことで、先ほど本邸の方に戻られまして」

 お忙しい方ですから、と侍女はどこか寂しそうに呟く。

 病に伏した娘を置いて仕事へと出かけることなど、領主にとっては日常のことなのだろう。

「そうでしたか、いくつかお伝えしたい情報があったのですが……今日のところはもう帰りますので、お気遣いは結構です。他の薬は後日落ち着いてからまたお渡しに来ます」

 そう伝えると侍女は、普段よりも随分と編み込みの乱れたおさげ髪を揺らして、お茶くらいは出させてくださいと口にした。

「でなければ、私が後でお嬢様に叱られてしまいますから」

 柔らかな来客用の椅子に腰かけ、ティーカップを用意する侍女に少し休んだらどうですかと声をかけると、憔悴したように彼女は笑みを浮かべた。

「あなたも執事長と同じことをおっしゃるんですね」

 一緒にお茶、飲んでくれませんかと頼むと、侍女は薄い瞼を閉じる。

「せめて僕がお茶を飲んでいる間だけでも、椅子に座ってください」

 反対側のソファーを指し示すも気が引けるのか、侍女は逡巡した後に、最終的に隅にあった小さな木製の丸椅子を引っ張り出してはそれに腰かけた。

 高熱のせいか焦点の定まらない領主の娘の瞳と、苦し気な呼吸音、海のようにベッドに広がったブロンドの髪を思い出しながら、紅茶を口に含む。

「差し出がましいようですが……お嬢様は、もっと空気の良いところで療養されるご予定はないんですか」

 鍛冶屋や鉄工所も多いこの街の空気は、お世辞にも綺麗とは言えない。

 この屋敷は街はずれにあるためいくらかましだが、職人の密集している地区では常に黒い煙が空へと溶けるように立ち昇っている。

 侍女は手に持ったティーカップの中で波立つ琥珀色の液体を眺め、首を振る。

「お嬢様は、そうせずに嫁ぐ身ですから」

「ああ、あの成金のとこに」

「成金だなんて、それを言ったらあなただって大差ないでしょう」

「いったいどこが! 酷い偏見だ!」

 侍女は、流行りものの服装、軽薄な態度、貢物、と指を折り始める。

 確かにうちの家は一昔に比べればそれなりに儲かっているが、だからといってあの商会のドラ息子と一緒にされては流石に堪らない。

「だって、この年でみすぼらしい服を着ておどおどとした様子で商売をしたって、足元を見られるだけでしょう」

「まあ……確かにそうですけど」

「少なくとも僕は、自分の食い扶持は自分で稼いでますし……それに、あんな風に後先考えない振る舞いは到底できませんね。どちらかといえば、臆病な質ですから」

 この街へと戻ってきた頃は、何時の間にやら縁談が決まったらしいという大まかな情報しか知らなかったが、様々な所へ出入りをしているうちに飛び交う噂は嫌でも耳に入る。

 心がない領主は娘ですら売りに出す、というのが領主のことを良く思わない人々の間での定型化された文句の中の一つだ。

 婿入りした現領主は、五年前に妻を、続いて先代領主を亡くし、この領地の執政を引き継いだ。

 人柄は良くも経営の才はなかった先代の時代にすっかりボロボロとなった財政を立ち直らせ、小規模ながらも地方都市として領地を再生させた手腕は見事だ。

 だがその施策は効率重視であり、先行きがないと切り捨てられ恨みを持つものも少なくはない。とはいえ、例え職を失おうとも領主の執政により景気が上向いているこの街では新たな働き口を探すことはそう難しいことでもないのだ。

 せいぜいが、飲み屋で集まっては冷血漢だのなんだのと愚痴を垂れるくらいである。

 五年前に領地を引き継いだ時に、先立つものがなければ動きようがないからと、融資を求めた際の商会会長からの条件が領主の娘と己の息子の婚姻であり、それを領主は受け入れたという。

 今や身分よりも貨幣の力の方が重視されつつあるこのご時世に、なんとまあ時代錯誤な、と思わなくもない。が、両者が結びついた結果、経済が回り領地の財政は潤い、そのことによって商会もより私腹を肥やせたのだから悪い結果ではないのだろう。

 商会会長の息子殿の横柄な性格と、領主の娘の気持ちはともかくとして。

 深く椅子に腰かけながら、つるりとした陶器の表面をこするように、指先をなんとなしに滑らせる。

「十六になったらすぐ嫁ぐんでしたよね。お嬢様は何かおっしゃってるんですか?」

 侍女は天井を仰ぐと、いいえと答えた。

「お嬢様は、嬉しいとも、嫌だとも、何も口になさいません。ですが私は」

 領主様の意向に逆らうわけではありませんが、と侍女はうわ言のように呟くと立ち上がり、紅い瞳を眩しそうに細めて窓の外を見た。

「いえ、私が何かを言う権利などありません。せめて、お嬢様が幸せになってくださればいいのですが」

 祈るような侍女の声を聞きながら、空となったティーカップの底を眺める。

 この地域を地盤とする商会会長の家に嫁げば、もう今後ほかの土地に移住する可能性は限りなく低いだろう。

 商会会長は頭は回るが、息子の妻だけを遠方に住まわせるなどということは外聞を気にして良しとはしないだろうし、ドラ息子にいたってはそもそも療養させるなどという発想が浮かぶかどうか。

 それなりの教育は受けさせてもらっていただろうに、親が甘やかしたせいかそれが生来の性質であったのか、おおよそ教養という言葉とは無縁の人物だ。

 その願いはきっと届かない、と口に出す代わりに、本当にお嬢様のことが大切なんですね、と侍女へ笑いかける。

 侍女はしばらくの間、何かが胸につっかえているような表情をしたまま黙りこくっていたが、やがてぽつりと、私には身寄りがないんです、と薄い唇から零した。

「孤児であった私のことを、縁あって奥様……お嬢様のお母さまが引き取ってくださいました。何もなかった私に、住む場所も、衣服も、食事も、名前も、すべて領主様ご一家が与えてくださいました」

 侍女がくるりと向きを変えると、黒のロングスカートの裾がそれに合わせて広がる。

「奥様は、領地のことを旦那様……今の領主様に、お嬢様のことを私に頼んでからお亡くなりになりました。今は、お嬢様こそが私の生きる意味です。何があろうともこのご恩をお返ししなければ」

 てきぱきとティーセットを片付け始めた彼女の白い手には、あかぎれが見えた。

 次にこの屋敷に来るときには、さて、どの軟膏を持ってくるのがいいだろうか。

「あなたには感謝しています。薬の件ももちろんですが、お嬢様の話し相手になってくださっていることも」

「なんだ、珍しく素直ですね」

「癪ですが、お嬢様があなたと話すのを楽しみにしているのは事実ですから。それはそうとして、指一本触れさせませんけどね」

「あはは、これは随分と手ごわいなぁ」

 そっと手でポケットの辺りに触れる。

 柘榴のような彼女の瞳には、困ったような顔をしながら肩をすくめる己の姿が映っていた。

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