第46話 地の底を目指して

 氷都市の紋章院。紋章術をはじめ、様々な魔法や技術の研究に関わる施設だ。その一角にある厳重な防護が施された一室で、ビッグ、ジュウゾウ、ポンタの三人が紋章陣の上に置かれた寝台に身を横たえている。


「おい、いつまでこうしてりゃいいんだ?」


 まるで、怪しげな邪教の儀式で生贄にでもされそうな気分がして。ビッグが顔をしかめる。


「地球でいう、CTスキャンのようなものです。危険はありませんからもう少しじっとしててもらえませんか?」


 医師のような口調で、紋章士の外套タバード姿のリーフが被験者をなだめる。


「地球での、ご自身の様子が気がかりでしょう。アウロラ様、お三方の入院先を異世界テレビに映して頂けますでしょうか」

「承りました」


 ベルフラウの声がして、アウロラの返事と共に。ベッドの上の三人の頭上に札幌市内の病院の風景が映し出された。自身が氷像に閉じ込められた経験からか、その声音は優しい。珍しい呪いの解析とはいえ、ビッグたちを気遣っているのだろう。

 市立札幌病院、精神医療センター。市内でも特に大きな病院の一つだ。命に別状は無いからか、三人のベッドがあるのは一般の病棟だった。


「実際そうなんだが、幽体離脱の気分だな」


 ベッド上で眠る三人の姿を見て、ジュウゾウがつぶやく。


「それで、我々の診断はどうなっているんでしょう」

「お調べしますね」


 アウロラが異世界テレビフリズスキャルヴを操作する。病棟の三人の顔が引き続き見える位置でサブウインドウが開き、カルテの内容が拡大表示される。

 クライン・レビン症候群に酷似した過眠症状。ただし特定には至らない。MRI検査の結果、脳に早期のアルツハイマー型認知症の兆候も見られるが、過眠症状との関係は不明。


「なんだって!?」


 映っていたのは、ビッグ社長のカルテだった。三人に衝撃が走る。

 なおジュウゾウとポンタの方は、やはり運動不足と食生活の偏りから生活習慣病の兆候が見られたが、まだ十分取り返しのつく範囲内だった。


「アルツハイマーの方は、庭師ガーデナーの呪いとは無関係ですね」


 もう一人、別のアウロラから声が聞こえた。続いて、アルツハイマー型認知症は明確に症状が出る以前から脳に害が及び始めるもので、今はその初期段階だと説明が付け加えられた。


「私はアウロラのアバター、エイルと申します。地球の現代医学も含めた医術全般の担当です」


 北欧神話の、医術の女神と同じ名をつけられたアバター。女性だけに癒しの秘術を授けたというだけあって、その装いもどこか女医風だ。


「我々は一年中P B Wプレイバイウェブの運営にかかりきりで、医者にかかる余裕などありませんでしたな」

「一度、社長が車に足をひかれたことがあったが。そのときぐらいだ」


 ポンタのつぶやきに、ジュウゾウが十年ほど前の出来事を思い出す。あのときは社長がオフ会に出席できず、社内で使っていたテレビ会議システムを会場に持ち込んで急場をしのいでいた。

 もしこのまま、アルツハイマーの症状が進行すればどうなるかは…火を見るよりも明らかだ。ビッグが徘徊の状態に陥れば、いつどこで命に関わる事態を引き起こすか分からない。


「ともかくだ。そんなんでオレは社長から降りないぞ」

「長年のストレスと、運動不足がたたったようです」


 エイルの宣告にビッグが強がっているのは、長年の同僚であるポンタやジュウゾウでなくても一目瞭然だ。非難の矢面に立って社員とスタッフを守る、自分にできるのはそれくらい。独立前にいた会社で、経営者の身勝手な裏切り行為に反旗を翻して以来。彼はずっと最前線で戦い続けてきた。その王座は、もちろんどこぞのお節介なプレイヤー風情なんぞに譲れない。


「呪いの方は、ご安心ください。術式パターンのスキャンが終わりましたから、数日で呪いの効果を一部妨げる紋章を組み上げます」


 ビッグたち三人は今、アバターボディを貸し出されている。精神がその身体に留まる間はアルツハイマーの影響も受けないし、夢渡りで地球に帰れない呪いを抑え込む紋章をインストールすることで、短時間だが地球で目覚めることもできる。ただし、完全な解呪にはクロノ少年が道化たちから「合鍵」を奪う以外ない。

 ベルフラウの説明は、M Pミリタリー・パレード社の三人には明るい材料の多いものだったが。


「やっぱり、そうでしたのね」


 別室で会話を聞いていたユッフィーとクロノが顔を見合わせる。同席していた銑十郎とテイセンも、複雑な表情だ。


「怒りっぽい、話が要領を得ない、物忘れが多い…」


 加えて、かつてはそれなりのヒットを飛ばしていたはずのMP社が道を誤り、徐々に袋小路に追い詰められていったこと。中の人イーノが抱いていた疑念は、確信へと変わった。アルツハイマーの初期症状が、ビッグ社長の経営者としての勘を鈍らせていたと。ある意味、それはあこぎな商売で多くの関係者から憎悪を向けられ続けた結果の「呪い」だと言えなくもない。

 イーノの中で、CG映画版「クリスマス・キャロル」の一場面が想起される。死神のような姿の「未来の幽霊」に、スクルージ老人が自分の名を刻まれた墓標を見せられた、荒れ果てた墓地の光景だ。


「プレイヤーにも社員にも、希望ある未来のビジョンを示せなかった。それがMP社の繁栄を支えた優秀なエンジニアの離脱を招き、あとは坂道を転げ落ちるように」


 その姿は、自信を失い停滞する日本経済の姿そのものにも思えた。高度成長期を支えた右肩上がりの幻想は、今や光を失った古き太陽となり。大いなる冬の到来を招いた。やがて日本に、破壊と再生へのラグナロクが訪れる。


「恨みを簡単には忘れられないが、ここまで時間稼ぎをしてくれた恩も感じているんだろ?」

「ええ。その通りですわ」


 イーノがドリームウェイに捨てた、ビッグ社長とMP社への執着のかけら。それに触れたことのあるクロノには、こじらせたおっさんの内心などお見通しだ。


「ですからわたくしは、マキナで皆様に呼びかけて助力をお願いしました」

「オレたちで何とかするためにも。こっちもそろそろ、起動するぞ」


 クロノが、アウロラの投影するユッフィーのアバターボディの各種データに目を向けると。ユッフィーは一同に背を向ける。その背中には、お供のボルクスが平面化したような紋章が描かれていて。


「ボクちゃん、いきますわよ」


 ユッフィーが目を閉じて、夢魔法のイメージを練り始める。すると背中の紋章が光り出し、肩甲骨のあたりからボルクスと同じ色鮮やかな蝶の羽が現れる。同時にお姫様ドレス風のスカートに入れられた燕尾服のようなスリットから、にょきっとドラゴンの尻尾が先端を出した。頭の両脇には、カールした山羊角まで生え始める。


「いいねぇ、モンスター娘!」


 テイセンが思わず、ユッフィーのお尻に手を伸ばそうとすると。上下セパレートになっていたレオタードのつなぎ目から伸びてきた、ハート型の尻尾の先端がぴしゃりと手を払いのけた。その様は、アブを追い払う牛の尻尾みたいだ。

 思わず、銑十郎がジト目でテイセンを見る。一応、マキナでの彼氏だ。


「いやいや、冗談だって。ジョーダン」

「テイセン様は中国では規制が厳しくて、何かと欲求不満気味なのでしょう」


 今のところ、イーノにとって唯一の外国人の友達として。テイセンの中の人とは、お互いPBWから離れた後でも交流がある。


「ユッフィーさん、上手くいきましたか?」

「ええ。オーロラブーストに頼らず、ボクちゃんと『合体』できましたの」


 異世界テレビを通して、リーフから声が届くと。


「これでようやく、我も地底への案内ができるな」


 ユッフィーの口から、彼女自身とは似ても似つかない渋い男性の声が響いた。


「もしかして、ボルクスかい?」

「いかにも」


 少し驚いたように、銑十郎が問いかけると。声の主は肯定を返す。ボルクスは以前市民総会のときにベルフラウの通訳とレオニダスの朗読で発言を伝えてもらったことがあるが、今回は別のやり方を使っていた。


「星獣は、星霊力が意思を持った一種のエネルギー生命体だから。星霊力で動く電気回路に近い『紋章』に宿すことができます。それなら、消耗を抑えて合体できる」


 オーロラブースト時の「黄金の竜姫」ほどのパワーは出せないものの、ボルクスがアバターボディを介して人語で会話できるのが利点のひとつだ。紋章術に通じたリーフならではのアイデアだった。


「では、あなた方の目的についてうかがいましょう」


 異世界テレビの映像から、アウロラの声が響く。

 夢竜ボルクスは、バルハリアの地の底深くに潜む「名も無き地底の主」が地上の民に向けて派遣したメッセンジャーだ。そこまでは調べがついていたが、彼らの目的は依然として謎のままだった。


「地底世界の創世。バルハリアの地の底深くに、星獣たちの住まう新たな大地を切り開き、地底の牢獄に囚われた同胞を解き放つことだ」


 そのために、アバターボディを用いて「創世神の権能」を行使してほしい。パワーソースが必要なら、バルハリアの地底に幾星霜にも渡って蓄えられた莫大な星霊力がある。それが我らの悲願だと、ボルクスは語った。


「星霊力とは、宇宙から降り注ぐ様々なエネルギーの総称です。その一部は地上に到達した後も地の底に染み渡り、星そのものを内部から暖める熱になるともいいます」


 日本にあるスーパーカミオカンデで、廃坑内に設置された五万トンの純水を蓄えた巨大タンクを用いて、青白いチェレンコフ放射光をとらえる。あれをファンタジーの世界に持ってきたイメージで考えてほしいと、リーフが研究者らしい熱のこもった説明をしてくれたが。一同の多くは、雲をつかむような印象を受けていた。


「ずいぶんと、飛躍した話だな」

「アバターボディは、異種族エミュレータとしての機能を持ちます。わたくしも以前に思いつきで口に出しましたけど、実際できるんですの?」


 クロノとユッフィーも、半信半疑で顔を見合わせる。

 少しの沈黙の間、アウロラが口を開いた。


「アバターボディは、バルハリアの古き神々が用いていた遺産です。理屈の上では、神の権能を扱うことも可能でしょう。もちろん、さらなる検証が必要ですが」

「それなら、H H Oヘルヘイム・オンライン事件で悪夢獣に変えられた人たちを『転生』させられますわね!」

「創世神の権能とやらを、本当に使えるのならな」


 チャンス到来とばかりに、期待に目を輝かせるユッフィー。対してクロノは、まだ懐疑的なままだったが。


「面白いプロジェクトになりそうですね。研究者として、冥利に尽きますよ」


 リーフが穏やかな笑みを浮かべる。その傍らには、ベルフラウの精神体も同じ表情で異世界テレビの映像を見守っていた。

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