閑話4 イーノの親孝行

 イーノが地球の自室で目を覚ますと、時計はすでに12時を回っていた。そして、いつまで寝てるんだと父からのインターホンが鳴った。


 夢渡りで、多くの時間を異世界で過ごすようになってから。ついつい向こうに長く滞在しすぎることが増えた。けれどそれは、現実からの逃避ではない。単純に氷都市で忙しくなったのだ。今やイーノは、勇者候補生制度の責任者のひとり。無職が残業とは、おかしな話だが。


 とりあえず昨日の残り物で遅い朝食兼昼食を済ませて、食器を洗って布巾で拭いて片付ける。自分の部屋に戻ったら、さっそくパソコンに向かってキーボードを打つ。


 元からイーノは、どこか上の空で考え事をすることが多かった。この行き詰まった現状をどう脱して、どこへ向かうか。そのために何をすべきなのか。

 エンジニアが人手不足だからと、若い頃一度やって挫折したプログラミングの勉強もしてみたが。就職に結びつくレベルの習熟度には至らなかった。転職エージェントに登録してみても、送られてくる求人はどれも望みの持てない内容ばかり。もうメールに目を通すこともしていない。


 唯一、苦もなく続けられるのは小説を書くことだが。これは明日の糧をすぐ与えてくれたりはしない。しかも能力があったとしても、日本で作家になれるまでのハードルは果てしなく高い。その上、日本人の長文読解力や文脈を読む力は年々衰える傾向にあるから、その水準に合わせて話を作る…なんて記事を見ていると。


(ああ、やってらんないな。もし英語で小説が書けたなら、カナダの小説投稿サイトに「勇者になりきれ!」の海外版を投稿できるのに)


 海外の人は、自分の小説にいったいどんな反応をするのか。日本由来のネタにどれだけ食いついてくれるのか。イーノは、それらにとても関心があった。向こうは市場規模が大きいし、小説からいきなり映画化するケースさえあるっていうじゃないか。

 間違いなく、チャンスは日本より大きいだろう。日本にいながらにして海外で作家デビューを狙ってることがどこかのメディアで関心を持たれれば、それは日本での立ち回りにも有利となりそうだ。


 趣味は仕事になんかならない。


 その時、イーノの脳裏に父の言葉が浮かんだ。仕事は嫌なことを我慢してやるものという、高度成長期の古い常識だ。そしてそれに従って非正規雇用で働き続けていた時のイーノは、今から思い返しても灰色の人生だったと思う。収入があっても。


 父も母も70歳近くで、イーノから見れば異常なほど好奇心が衰えていた。特に、パーキンソン症状の出ている母はいつも手足の震えや筋肉の硬直を訴えるばかりで。ほとんど笑顔を見ることが無かった。デイケアやデイサービス施設にいるときの姿は見ていないので分からないが。

 父は母のために献身的に家事をこなしてくれるが、仕切り屋の性分が強くて弊害が出る場面も少なくない。そのせいで母は萎縮してしまうことも多い。小さいながらも持ち家を確保してくれたことには、イーノも頭が上がらないのだが。思えば賭け事もやらない、真面目一辺倒の父だった。


 加齢で身体の機能が衰えるのは仕方ないとして、心まで老いぼれたくはない。叶うことなら作家として生涯現役でいたい。いつまでも少年の好奇心を持ち続けたまま。人生100年時代に、定年などない。定年なんぞ新卒一括採用、年功序列に終身雇用と並んで高度成長期の遺物だ。イーノは冒険者でありたかった。


 だがこの日本はいまだ、はみ出し者に冷淡であり続けている。オンラインゲームの世界までも「役に立たないものは要らない」に凝り固まった日本人。そんなんだから他人との協力プレイもギスギスする。ひとりで遊べるゲームの方が気楽に感じる。

 生産性の低いもの、金にならないものを切り捨てようとする日本人。その先にあるのは、自己肯定感を磨耗して心まで貧しくなってゆく人々の姿。


 ちょっと待った。目先のことに囚われ過ぎて、視野が狭くなってないか。


 そもそも何が役に立つ、役に立たないなんて流動的なもの。今は石油資源に恵まれた国でも石油が枯渇したり、石油自体を不要にする新技術が出てきたら一大事。だから中東諸国もお金のあるうちに、脱石油の道を探ってる。実際アメリカは、シェールオイル採掘技術の進歩で世界一の産油国になっちゃった。それまで役立たずと思われたものが、一躍脚光を浴びた。


 もう、世界は変わったんだ。古い太陽は光を失った。経済成長が永遠に続くとか、現実逃避でしかない。たまたま時代の変わり目に社会へ出るよう生を受けた氷河期世代は、自分の意思と関係なく「日本を救え」と勇者たることを運命づけられた。

 異世界に転移とか転生する以前から、私たちは過去の常識が通じない「異世界」に放り出されていたのだ。いまさら、どこへ行こうというのかね?


 私の頭の中で、またもとある悪役大佐のセリフが声付きで想起される。


 この小説を書いていて、気付いたことだった。氷都市に夢召喚される前からみんな社会の不公正と戦っていたんだ。氷河期世代は誰もが戦士だ。だからきっと、彼らは異世界でも戦い抜ける。


 考えてみれば、女神様に頼まれたわけでもないのに。私は氷都市の勇者たちと共に戦う道を選び、さらに勇者候補生制度でお節介の度合いを拡大させた。この性格は、きっと父の影響だろう。子供の時はそれが凄く嫌で、私の妹も結婚してからは父と距離を置くようになった。調べ物が好きなのも努力家の父に似たか。


 まあ、何も親の言いなりになることが親孝行じゃない。私は私なりのやり方で恩を返そう。時代は変わり、もはや好きなことや熱中できることでなければ仕事にも打ち込めず、昭和の旧弊に囚われる必要も無くなった。もう我慢しないでいいと理解させることが、私の親孝行だ。


 ユーモアと遊び心を忘れた現代日本に…本気の遊び、見せてやるよ。

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