第7話 北欧神話のドワーフはスケベ
「おぬし、ドヴェルグに頼み事をするというのなら…分かっておろうな?」
浅黒い肌の、白髪の少年がユッフィーに手を伸ばす。背丈はドワーフを演じている身長120cm台のユッフィーより、30cmほど高いだろうか。人間なら子供か、小柄な女性くらいだろう。
「…お、オグマ様?」
暗い欲望を宿したような、漆黒の瞳に射竦められて。ユッフィーは総身にゾクリと寒気を覚えた。
バルハリアは永遠の冬の世界だが、ドーム状に建設された都市の中は暖かい。それは地下にあるここ、星霊石の採掘場でも変わらないはずだ。
これは、温度のせいではない。アバターボディで身も心も女の子になりきっているイーノが、目の前の少年からギラギラした情欲を向けられて。本能的に身の危険を察したのだ。
たとえるなら、満員電車で痴漢にあった女性の気持ち。あるいは、上司から露骨なセクハラを受けたOLの気分だった。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
夢渡り中の人間が、死ぬかもしれないと思うような怖い目にあうと。瞬時に精神が自分の身体まで避難して、目が覚める。漫画などでもよく知られる、夢落ちだ。
それでも今、イーノは。夢落ちを選ばずに耐えている。
「北欧神話に、こんなエピソードがありましたわね」
あるとき、優れた職人である四人のドワーフが素晴らしい金の首飾り「ブリーシンガメン」を仕上げているのを見た女神フレイアは。首飾りが欲しくなって買い取りをドワーフたちに申し出る。しかし欲深な彼らは、金銭ではなくフレイアの身体を要求した。
この話は、よくフレイアの奔放さを伝えるために語られるが。彼女に夜伽を求めたドワーフたちだって、十分スケべだ。
「さよう。わしは、見ず知らずのおぬしにタダで宝を渡す気は無い。対価を支払えぬなら、帰るがいい」
どうして、こうなったのか。
話は、前日までさかのぼる。
◇◆◇
「アスガルティアの文化についてぇ、もっとぉ詳しく知りたければぁ。ドヴェルグの賢者、オグマ様にお会いになるといいですよぉ」
「先日、お話しされていた方ですね」
北欧神話と、バルハリアでの「大いなる冬」の違いについて。
共通の趣味や話題が見つかったことで、私とエルルは少し打ち解けて話せるようになった。
それで、朝が近いのでいったん地球に帰る前。エルル以外で氷都市にいるアスガルティアからの難民について聞いたところ。オグマの名が挙がったのだ。
「地球の北欧神話ですと、ドヴェルグはこんな感じですわ」
北欧神話における、古ノルド語でのドワーフの古い呼び名。大地の元となった巨人ユミルの骸に湧いたウジ虫が、神々の手で人に近い姿と知性を与えられて生まれた…闇の妖精族。
その出自から地中での生活を好み、女性は存在せず、優れた職人としてときに神々のための神器を製作したという。
「わたしぃの故郷アスガルティアがぁ、多元宇宙の『
剪定を行う者だから、庭師。けれどその対象は、多元宇宙という名の世界樹。
数多くの世界を支える樹。その概念は、地球人だけでなくもっと多くの人型種族に共通するものらしい。ただし、枝の一本一本が個々の世界である点が神話と異なる。
多くは、社会から疎外された爪弾き者が世の中を恨み。自分たちにとって理想の樹を作り出すために、世界の剪定に加担するという。
「その動機は、わたくしたちの地球における一部のテロリストや。アメコミのヴィランたちに通じるものがありますわね」
世界や時代が変わっても、人間の本質は変わらないと。私は強く感じた。
そして
「アスガルティアはぁ、結局最後まで争いあう二つの神族が手を取り連携して庭師に対抗することができずぅ。
それを話してくれた時の、エルルの悲しげな表情は今でも忘れられない。
「派閥の利害を超えてぇ、世界のために戦っていたオグマ様はぁ。わずかな仲間と共に発芽を止められなかった『終末の獣』に戦いを挑みましたけどぉ」
力及ばず敗れ、当時持っていた勇者の力と賢者の知恵を奪われた。
その直後に、フリズスキャルヴで事態を見守っていたアウロラがわずかな隙をついて緊急転移を行い、動けないオグマや逃げ遅れたエルルたちを氷都市に避難させた。庭師側からは、世界の崩壊に巻き込まれて死んだと見せる巧みな偽装を行いながら。
オグマは今、氷都市の地下にある星霊石の採掘場に粗末な家を建てて住んでいるが魂の抜けた廃人か世捨て人のようになってしまい。勇者の落日の際にも引きこもっていたという。
「…エルル様。辛いお話でしたでしょうに、ありがとうございますの」
ユッフィーは、エルルを静かに抱き寄せ。そのまま自分の胸で、気の済むまで泣かせてあげた。
◇◆◇
氷都市の地下、星霊石の採掘場。ファンタジーRPGでお馴染みのドワーフたちの坑道めいた景観が広がっている。
観光パスがあるとはいえ、氷都市では無一文のユッフィーは。こちらで自由に使えるお金を稼ぐため、仕事はきついが賃金の良い採掘のバイトを始めた。これもまた、体験型観光の一環だ。
「あれ?ユッフィー王女…ユフィっちじゃないっすか」
すると、石工職人のゾーラに出会った。ずいぶん砕けたあだ名をつけられたものだ。
「ゾーラ様!またお会いできて嬉しいですの」
「今は石工の仕事は休業で、そのうち召集令状が来そうっすから。身体を鍛えつつ装備を整えるために、稼げる採掘場のバイトをしてるんすよ」
最低限の装備は支給されるが、できれば自分に合うものを自前で揃えたい。職人らしい、彼女なりのこだわりだった。
「ユフィっちも、小遣い稼ぎっすか?」
観光パスがあるなら、宿代と食事は氷都市が全額立て替えてくれるはずだ。不思議に思って、ゾーラがたずねると。
「わたくしも、氷都市のために戦いますわ。今は弟子入りのために、採掘場にお住まいでいらっしゃるドヴェルグのオグマ様を探してますの」
「マジっすか!?」
えらく驚いた様子で、リアクションを返してきた。
「オグマ様が勇者の落日に関わらなかったことは、有事の備えとして正解でしたわ」
今こそ彼が再起し、残された者たちを導く絶好の機会。ユッフィーはそう考えていたが。
「あんなの、見た目が悪ガキの偏屈なエロじじいっすよ」
街で女の子のスカートをめくった。混雑した酒場でお尻を触ってきた。混浴のサウナでじ〜っと凝視してきた。
ゾーラから聞いたオグマに関する噂や評判は、そんなものばかりだった。
ユッフィーの姿で、イーノは思案する。なんだか、日本の有名な西遊記のパロディ漫画にそんな人物がいたような。
「大丈夫ですわ。わたくしに考えがあります。オグマ様のお宅をご存知の方を、どなたか教えてくださいませ」
「あれ?観光パス持ってるお客人なら。氷都市内でいつでもどこでもアウロラ様と通信できて、フリズスキャルヴで道案内もしてもらえるっすよ」
予想外だった。女神様はスマホ代わりなのか。
アバターボディの左手の甲に指で触れると。スマホアプリのアイコンみたいにいくつもの光る紋章が浮かび上がる。その中のこれかと思うものをタッチすると、すぐにアウロラが応答してくれた。
「ユッフィー様、どうなされましたか?」
ちゃんと、イーノとしての正体がバレないよう気遣ってくれている。オグマの家を訪問したいと伝えると、地図アプリ風の経路案内を目の前に
「ゾーラ様、ありがとうございますの」
「…ユフィっち、変なことされなきゃいいっすけどね」
少し心配そうに、ゾーラはユッフィーの背中を見送った。
これでようやく、冒頭に話がつながった。
採掘場の片隅に立つ、粗末なつくりの小屋。質素でみすぼらしい外見だが、さすがにドワーフが立てたものらしく。屋根は堅牢で、何ヶ所か落石の跡があったがどこも破損した様子は見られなかった。
「オグマ様、いらっしゃいますか?わたくしヨルムンド王国のドワーフ、ユッフィーと申します。エルル様のご紹介で、お話をうかがいに参りました」
戸口に立って、大きな声で呼びかけるも。
静寂が漂うばかりで、返事は無い。
「いらっしゃらないのでしょうか?お邪魔させて頂きますわね」
止むを得ず、中へ入ろうと一歩進むと。
キュッ。
足首の片方に、ロープが絡みつく感触がした。
「…きゃあぁぁっ!?」
その場でみっともなく、逆さ吊りになってしまうユッフィー。
不審者対策用のトラップだった。
「おぬし、何者じゃ。エルルの名前を勝手に使いおって」
猜疑に歪んだ瞳が、逆さ吊りになったドワーフの少女を見上げている。
「ですから、ヨルムンド王国のドワーフ、ユッフィーと申しますの」
「聞いたことの無い国よな。それに、ドヴェルグにおなごはおらぬ。ヒゲすら生えておらぬではないか」
ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らして。
白髪の少年の手が、ユッフィーが必死に押さえているスカートの裾をずり下げようとする。噂通りのスケベジジイだ。
ユッフィーは抵抗するが、少年の腕力が強くて押し負けてしまう。しかし、そのスカートから可憐な下着がのぞくことは無かった。
「キュロットスカートですわ。引っかかりましたわね」
「な、なにお〜っ!?」
顔を真っ赤にして怒る少年。
そもそも、鉱山のバイトにスカートを履いてくる者がどこにいるのか。
「それから。今、地球のニホンでドワーフ女子と言えば。幼い見た目で巨大な武器を振り回すのが流行りですの」
「なんじゃと!?」
原初のドワーフ・ドヴェルグと、最新流行のドワっ娘のご対面だ。
「…そう言えば。あなた、おヒゲがありませんの。本当にオグマ様ですの?」
「奴に力を奪われて以来、わしはこんな子供の姿に落ちぶれた。ドヴェルグの誇りも失ったんじゃよ」
皮肉にも今、オグマの姿は地球で流行のロリドワーフに近かった。男の子だから、ショタドワーフと言うべきか。
気付くと、ユッフィーは足首を縛るロープを切っていた。採掘場で使う工具を何かポケットに忍ばせていたのだろうか。
「おぬし、いつの間に」
「オグマ様。わたくしはアスガルティアの偉大なる勇者にして賢者であるあなたの下で、自分が氷都市の力になれる方法を学びに参りました」
一瞬、オグマの表情が強張る。何かを思い出してるような、そんな素振りだった。
「そんな男は、ここにはおらん」
「今こそ、再起の時ですわ」
ぷいっと、視線を横にそらすオグマ。しかしユッフィーに回り込まれてしまった。
「わたくしも、貪欲なドワーフです。弟子にして頂けるまで帰りません」
「おぬし如きがドヴェルグを気取るか。宝を求めるなら、わしはおぬしの身体を所望するぞ」
オグマの手が、ユッフィーの豊かな膨らみに触れた。指が沈み込み、わしづかみにされた部分から熱いような、痛いような感触が伝わってくる。
それでも、後には退けない。エルルの、あの悲しげな顔を見てしまったから。
こうなったらドワーフ同士、意地の張り合いだ。
さて、ここからどうするか。
オグマの目を正面からじっと見据えたまま、ユッフィーの中のイーノが思案する。次はビンタか。もし本物の女性なら、そうしていたかもしれない。
けれど、今のこの身体はアバターボディだ。ぶっちゃけ自分本来の身体ではない。神々がロールプレイを楽しむためにつくった、極めて精巧なおもちゃ。もしかすると男が女に変身して、男を口説く。あるいは女が男になって、別の女に愛を囁く。そんな使い方くらい、最初から想定済みなのかもしれない。
ついでに指摘すると、アバターボディの機能が生体を完全再現してると言えども。現在、大いなる冬の影響下にあるバルハリアで行為に及んでも。妊娠の危険は無い。あとは、自分の覚悟次第だ。
これが今、勇者の落日を夢で見ているだけだった自分にできる最善のこと。
オグマ様はきっと立ち上がる。そう信じているエルルを、これ以上悲しませないために。少しの勇気を振り絞って、
呪いの泉でじゃじゃ馬な、漫画の主人公みたいに。
「しょうがないにゃあ」
突然、険しかったユッフィーの表情が柔和なものになり。鼻にかかったような甘い猫撫で声を発する。
北風に太陽で、オグマは完全にあっけにとられた。
「な、何をする貴様!」
偶然の一致か、どこかで聞いたようなセリフを発するオグマ。
ねんがんのユッフィーを手に入れたぞ。うれしくないのか。
「オグマ様。わたくしはヨルムンド王国の第一王女、安い女ではありませんの」
ユッフィーの手が、彼女の乳房をつかんでいるオグマの手をつかみ返す。
「けれども、祖国と氷都市の未来のため。愛しく想うエルル様の笑顔のため、わたくしはこの身をあなたに捧げます」
まるでメデューサにでも睨まれたように、オグマが固まる。
「ま、待て。じょ、冗談じゃよ。断るために無理難題をふっかけた。それだけじゃ」
「何ですの?聞こえませんの。それよりオグマ様、わたくしを抱く以上はお覚悟を」
オグマの弁明に耳を貸さず。ドワーフの王女はひょいと、彼をお姫様抱っこした。
「ちょ、待て!?待たぬか!!」
オグマを抱っこしたまま、ユッフィーはずんずん彼の家に踏み入っていく。
そしてドワーフサイズのベッドを見つけると、その上にオグマを放り投げた。
「や、やめてくれ!わしは本当はどうて…」
頑固王女は止まらない。するりと、キュロットスカートが床に落ちた。
「ヨルムンドの女は奔放ですの。たっぷり愛して差し上げますわ」
「アッー!!!」
こうしてユッフィーは、オグマの押し掛け弟子として修行に励むことになった。
なお、ユッフィーを演じているイーノもまた童貞である。
しかし彼には、別の経験があった。
なりきりSNSでの、ユッフィーを演じながらのチャH経験。当然、誰でもいいってわけじゃない。気の合った相手だけだ。
なお、中の人の性別は気にしないのがロールプレイのお作法だ。顔も見えないし。
こうした文化は、今や多くのMMORPGで密かに定着している。運営側の人間が、チャットでメッセージを交わしながらの擬似性行為を楽しむことさえある。
女の子キャラのアバターが可愛かったり、着せ替え要素が充実してたり、美少女系のイラストレーターにマイキャラの絵を描いてもらえるなら、どこでも起こりうる。たとえどんな状況でも、どんな時代でも。俺の嫁に性欲をもてあます。
偽神戦争マキナも、例外ではなく。
禁断の暗部として、それ専用のコミュニティがかなりの数と規模で存在しており。部外者の目に触れない領域では、今夜もまた究極のなりきりプレイが繰り広げられているのだろう。
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