第8話 乙女桔梗は寒さに強い
イーノやミハイルたち地球人は、夜に自分の身体が寝ている間。
精神だけが毎晩「夢召喚」されることで、氷都市を訪れている。術の性質からして事故も起きうる転移ポータルが不要なので、使う側も低コスト低リスクなのだ。
では、氷都市の住人はどうなのか。
結論から言うと、彼らも同じだ。エルルやミキたちも夢を見ている。夢渡りに通じるような夢だけでなく、過去を夢に見ることもあった。
◇◆◇
「…わたしのせいで!」
冷たく、薄暗い遺跡の中で。自分の生まれた故郷だった都市の廃墟で。
もう誰も住んでないのに、記憶の中と変わらぬ華やかなあの日のまま。永遠に凍りついた姿で。
身動きがとれないまま、ミキは床に倒れ伏していた。
彼女は鎖に縛られていた。しかも、物理的な鎖ではない。
胸元の、×字の傷から生えた因果の鎖。長く伸びたその先は、敵の首魁「いばら姫の道化」につながっていた。
近くでは、牙の勇者クワンダと武者姫アリサに加え。
彼らの仲間だった三十人の精鋭冒険者と巫女たちは、すでに全員氷漬け。それだけでなく、道化の手駒にされて氷像の魔物と化し…敵に回っている。
「さあさあ、お嬢さん。そろそろ絶望に呑まれておしまいなさい。極上の災いの種を生み出す贄となってね」
「今は生き延びることだけを考えろ、ミキ!」
共に各地を回った旅芸人一座のかたきである道化を、自分の手で討てなかった。
異世界「はじまりの地」における、蒼の勇者たち100万と。「いばら姫」率いる雲霞の如き無数のアニメイテッドの軍勢との最終決戦で。
道化は、今と同じように力尽き倒れ伏すミキの目の前で、大将首を求める戦争狂いどもに…笑いながら切り刻まれていった。
「今さら、ワタシを殺しても無駄です。災いの種は、すでに撒かれたのですから」
戦功をあげることに躍起となっていた百万の勇者たちは、いばら姫が道化の傀儡に過ぎないことを見抜けなかった。
ミキは失意の中、氷都市に事態を知らせるべく単身で故郷へ帰還する。
他の勇者たちは自責の念から、拡散した災いの種を追う旅に出るか。あるいは更なる戦場を求め、無数の異世界へと散ってゆく。中には強者との死闘に飢えるあまり、
力無き人々を救うどころか、さらなる災厄を無数の異世界に撒き散らす結果を招いて。いったい、何が勇者だと言うのだ。
惨憺たる思いと裏腹に、故郷の人々はミキを英雄の帰還ともてはやした。
その苦悩を救ってくれたのは。
かつて全滅の危機に瀕した蒼の勇者たちが氷都市に落ち延び。長い年月を経て勢力を回復し巣立つ際に残る道を選んだ、叔父のクワンダと。同じように各世界で宿敵に敗れて落ち延びていたトヨアシハラのアリサや、古のスパルタ王レオニダス、妖精郷ロスロリエン出身の天才
彼らとの日々が、ミキの心の傷を癒し。我流の
それなのに。
遺跡には、かつて都を滅ぼし
あの日の心残りが、最悪の敵を復活させてしまった。全部わたしのせいで。
「オーロラブースト!ブレイクアップ!!」
戦場全体が、神々しい
劣勢を覆すべく、レオニダスとベルフラウのふたりが最後の切り札を使ったのだ。
レオニダスの奥義「
ベルフラウの奥義「世界樹の知恵」は、一瞬を永遠に感じるほどの超絶的な集中力で複雑な紋章陣を高速展開してゆく。それは脳内での暗算でスーパーコンピュータの演算力を再現するが如き神業で。
本来なら準備に十人、数時間はかかる転移紋章陣の準備作業を。単身で戦闘中に終えてしまおうという力技だ。この死地から味方を逃がすために。
当然、どちらも大きな代償を伴う諸刃の剣だ。
「おぬしら、ここで死ぬ気か!」
ふたりは、いずれ所帯を構えるだろうと。不器用な堅物と可憐な乙女を微笑ましく見守ってきた武者姫アリサが、痛恨の叫びをあげる。そして妖刀の封印を解いた。
空間を切り裂いた「傷」から、巨大で毛むくじゃらな赤鬼の手が伸びて氷像どもを蹂躙する。
「このまま、終わらせはしない!」
ミキが、道化につながる鎖をつかんだ。身体は動くようになっていた。
彼女の身体からは、蒼い光と共に翠緑の煌きがあふれ出す。
このローゼンブルク遺跡は、惑星バルハリア全土を凍結させた
あるとき交易商人を通じ、異国の
それは、私たちの地球における原爆投下をもはるかに上回る災禍を引き起こした。そして、周囲の全てを無差別に凍らせる呪いとして。原発事故のような「汚染」を都市全域に広げた。後から遺跡に踏み入る者も例外ではない。
今は、正体不明の謎の力によって。呪いの大半は都市の内部に封じられ、氷像の魔物やそれを使役する道化さえも、遺跡の外には出れないが。
アウロラの巫女たちの協力は、オーロラヴェールの効果的な運用に不可欠だった。
迷宮内では、女神の加護といえども呪いの力に蝕まれてゆく。重い鎧は身体を冷やすばかりか、迅速な行動の邪魔にもなる。
レオニダスとベルフラウのふたりが使った、オーロラブーストは。その守りを急速に消耗させる代わり、人の身には余るほどの「個性の爆発」をもたらす力だ。
そのどれもが、個人の最も特徴的な性質や才能を、超越的な形で強調する。
「なっ…まだこれほどの力を!それに、ワタシの身体が!?」
捨て身で本気を見せる冒険者たちに、驚愕する道化は。不意に自分の身体が動けなくなっていることに気付く。
「この鎖で、わたしとあなたはつながってる。あなたがわたしに干渉するなら、その逆だってできるはず…!」
死にものぐるいの抵抗が生んだ、奇跡だった。
ミキの機転で転移紋章陣は完成、四人は退避の準備を終えた。残るはミキ一人。
「このワタシが…お前たちはここで、死ぬべきなんです!」
道化もまた最後の抵抗を試み、ミキとの鎖の接続を切った。それは彼自身をも危険にさらすものだった。切れた鎖から莫大な黒き波動があふれ、ミキを突き飛ばした。
「レオニダス様!ベルフラウさん!」
吹き荒れた力の暴走は、状況を一変させていた。
ミキが転移紋章陣まで飛ばされ、クワンダとアリサが彼女を受け止めていた。
しかし、奥義の使用で疲弊していたふたりは外まで弾き出されてしまった。さらに道化の悪あがきが、紋章陣に綻びを生じさせていた。
「参りましたわね。座標のズレはこちらで補正しますが、その紋章陣で転送できるのは三人が限度です」
「ならば、余はここで奴を食い止めよう」
満身創痍の道化が、必死に立ち上がろうとする。レオニダスは尋常ならざる鍛錬を重ねてきた地力の差で先に立ち上がり、道化に槍を向ける。
「弟さんを悲しませないで下さい!わたしなんかより、ベルフラウさんが」
ミキが代わろうとするも。氷都市の紋章が刺繍された
「大丈夫。
花の妖精族ハナビトである彼女の緑の髪には、釣鐘状の紫の花が小さく、鈴なりに咲いていた。
「その紋章石を、弟のリーフに渡して下さい。彼ならきっと、完成させられます」
ベルフラウが、転移紋章陣を起動させる。
ミキたち三人の視界が、徐々に白く霞んでゆく。
「嫌です!あなたが戻らなかったら、エルル先輩だって!!」
「ミキよ、二人の決意を無駄にするでない!」
泣き叫ぶミキを、必死に押し留めるアリサ。
「これからは、クワンダ。お前が冒険者たちの指揮を執れ」
「大勇者クワンダの名にかけて、必ず」
ミキの叔父クワンダの名は、かつて全滅の危機に瀕した蒼の民たちを。我が身を呈して逃がした六人の「大勇者」たちのひとりにあやかって付けたもの。
そのクワンダが、今度は勇者レオニダスから希望のバトンを受け取る側に回った。
遺跡に取り残され、女神の加護が切れたレオニダスとベルフラウのふたりが、足元から凍りながらも強く抱きしめ合う。そこで過去の夢は途切れた。
夢から覚めたミキが、自室のベッドから飛び起きる。
その目からは、涙がこぼれ落ちていた。
彼女には、知らぬことだったが。
2017年12月24日の夜、夢渡りで異世界バルハリアのローゼンブルク遺跡に迷い込んでいたイーノも。のちに「勇者の落日」と呼ばれるこの出来事の一部始終を見ていた。
イーノは、この夢を良くできたファンタジー映画のように思い。無邪気にも小説のネタにして楽しんでいたが。
それを、世界の裏側で起きていた「異世界の
やがて、その想いは。
現代日本の
まるで、文豪チャールズ・ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」において。ケチな金貸しのスクルージが、クリスマスイヴの夜に見た不思議な夢での体験から、心を入れ替えたように。
ディケンズもまた、夢渡りの経験者だったのだろうか。
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