第5話 呪いの泉でじゃじゃ馬な王女

 まさか、異世界で会ったばかりの子に交際を申し込むなんて。

 恋愛にも結婚にも、全く縁の無い私がである。


 こうして、イーノがバルハリアに夢召喚されて氷都市で過ごした波乱の初日は。夢のように過ぎていった。

 2018年、春の出来事だ。


 朝、自分の部屋で目覚めて。

 一番にやり始めたのは、夢での体験を小説に書き出すこと。このインスピレーションが、現実での私を無職の引きこもりからプロ作家へ導いてくれると信じて。


 私は先日、十年近く勤めた会社を退職した。夢と魔法の国の近くにあった、大手企業の物流センターだ。

 過去形なのは、そこが事業所の移転で閉鎖されたからだ。東日本大震災では、もともと埋め立て地が多かったことが災いして、液状化現象で市に大きな被害が出た。

 命に関わるような、重要な品物を届ける企業だ。土地が安かったとはいえ、そんな社会的責任のある企業が軟弱な地盤に拠点を置くわけにはいかない。上の人間がそう判断したのだろう。それは大いに結構だ。


 こんな転機でもなければ、私は仕事をやめることができず。今でもADHDに理解の無い職場で、自分の能力と適性を活かせぬまま心身を削られ続けていただろう。

 もう、会社勤めは嫌だった。


 氷都市での一日を振り返って、自分の気持ちを整理していくうちに。

 私の胸の内には、ある強烈な感情が湧き上がって来ていた。


 もう、傍観者ではいられない。


 PBW「偽神戦争マキナ」では、センスの無い運営によるテンポの悪いストーリーを延々と垂れ流しにされ。全てのシナリオを無視し続けて、マイキャラになりきっての雑談とイラストオーダーだけで気を紛らしてきた自分が、である。


 精神的に限界だったのだろう。


 夜、人々が眠りについた後。精神が自然と身体から抜け出て、自分の心が望む世界か、自分の心のありように近い世界へと引き寄せられる「夢渡り」現象。

 閉塞感に押し潰されそうになっていた、自分だからこそ。「失われた30年」を生きる、現代の日本人だからこそ。

 己の心象風景に近い世界として、あの途方もない困難に見舞われた永久凍結世界・バルハリアと縁がつながったのではなかろうか。


 現実は、都合の良い事ばかり起きる異世界もののライトノベルとは違う。全ての出来事には、原因があるのだ。

 どうして主人公が異世界に召喚されるのか、なぜその世界なのか。そこについて、私の場合は考えて考え抜いて、掘り下げずにはいられない。穴掘り大好きなドワーフみたいに。


 世間で異世界ものがもてはやされる理由は、辛い現実から逃げ出したいという想いなのだろう。心があげるその悲鳴が、人々をより一層癒しに飢えさせて、夢渡りへといざなってゆく。

 みんなが、異世界の魔王よりもっと「立ち向かうべきもの」に気づいてくれれば。夢物語にだって、現実を変える力が宿るかもしれない。

 それを信じて、私は小説を書いている。


◇◆◇


「イーノさぁん、おはようございますぅ♪」


 アウロラ神殿の、来客用の寝室。

 地球の自分の部屋で布団に入ったイーノは、気づくと氷都市で目を覚ましていた。


「おはようございます、エルルさん」


 一日は24時間だが、実のところ夢を見る人は寝ている間も行動中なのだ。身体は地球でお休み中でも、イーノの精神はバルハリアでアバターボディに憑依中。

 青い肌の巨人の3D映画みたいだ。


「イーノさぁん、きょおは何をしましょおかぁ?」


 もう恋人気分なのだろうか。エルルがまぶしすぎる笑顔を私に向けてくる。

 前日、いろいろあって彼女に交際を申し込んだ後。私はアウロラから「氷都市周遊60日チケット」なるものを渡され。エルルは私専属のお世話役として配属された。観光ガイドか、メイドさんのようなものだろうか。


「エルルさん、相談したいことがあるのですが…」

「はいですぅ!」


 部屋は二人っきりだが、エルルの耳元でひそひそ話をするイーノ。


「巫女さんのバイト、ですかぁ?」

「そうです。神殿長のエンブラさんという方がどんな人か、素姓を隠して確かめたいと思いまして」


 おっさんが巫女と聞いて。

 あなたは、思いっきり不自然なイーノの女装姿を想像しただろうか。お前のような巫女がいるか、と。


 結論から言うと、安心してほしい。


「アバターボディの変身機能を使います。ミハイルさんはこれで全盛期の身体を取り戻し、アウロラ様は七変化でだんな様や客人をおもてなし。私が使っちゃいけないとは、言われてませんし」


 念のため、女神様に連絡を入れて確認を取ると。


「アバターボディは、もともと惑星バルハリアを創世した古き神々が…地球の皆様が遊ぶロールプレイングゲームR P Gのような『なりきり』を楽しむためつくったものです。いわば『神々の玩具おもちゃ』。存分にお楽しみ下さいませ」


 そんな答えが返ってきた。

 さらに、異種族や異性への変身まで可能だという。地球人の想像する玩具の概念を超えた、チート級のハイスペックだ。

 これを活用し、女の子になりきって。エルルの後輩として神殿長エンブラに会う。


 イーノはPBWのベテランだ。中でも「なりきり」を楽しむことに特化している。


 15年以上に渡り、商業PBW業界で最大手の座を保つ中小企業・M Pミリタリー・パレード社。イーノも創業時から世話になっている。

 ゲームの世界で、歴史に名を残す。それこそ至上の楽しみだとする運営との価値観の違いから、イーノはMP社の歴代タイトルで大きな功績を残していない。


 そんな些細なことなど、彼にとってはどうでもよかった。他人を押しのけてまで、栄耀栄華を求めても虚しいだけだ。


 以前には、歴史家は「国王たちの事跡」しか知ろうとしないといって責められたものである。(イタリアの歴史家、カルロ・ギンズブルグ)


 王や英雄だけが、歴史をつくるわけではない。

 イーノもまた、PBWの歴史の影に隠れた異端者だった。


「でもぉ、そんな回りくどいことをしないでぇ。エンブラ様に直接お会いすればぁ、いいんじゃないですかぁ?」


 無邪気で、まるで人を疑うことを知らないかのようなエルルが。不思議そうな顔をしてイーノを見上げる。


「いえ、それは危険です」


 私は、はっきりと言い切った。


「恋の呪いで、衝動的になりがちなアウロラ様の性格から考えて。全ての巫女を束ねる神殿長というポジションは…」


 暴走しがちな女神様の手綱を握る、強力なストッパー役のはず。

 となれば人一倍、保守的な人物であることが予想される。


「ですから、愛娘同然に可愛がっているエルルさんを。女神様の一存で勝手にどこの馬の骨とも知れない男の専属メイドにされて、今頃たいそうご立腹でしょう」


 そこへ、ノコノコと会いになど行けない。うっかり顔を合わせれば、最悪の第一印象となる。


「そぉなんですかぁ?イーノさぁんはぁ、お優しいじゃないですかぁ」

「…エルルさんこそ。頭の下がる想いです」


 身寄りの無い難民だから、新しい家族ができると聞いて純粋に嬉しかったのかもしれないが。

 それでも、日本人の常識では考えにくいリアクションだった。


◇◆◇


 神殿長の執務室。エンブラと誰かが、フリズスキャルヴから配信された立体映像に見入っている。


「いつもご苦労様です、ゾーラさん」

「エンブラ様こそ、毎度ありっす」


 ゾーラと呼ばれた女性は、氷都市ではかなり目立つ身なりをしていた。

 上下一体のつなぎにタンクトップ。豊かな胸元には獣の牙のペンダント。青銅色のオープンフィンガーグローブを両手にはめ、背には黄金竜の翼。

 ボリュームのある髪をドレッドヘアにしており、顔には上半分を覆うバイザー型の仮面をつけている。どこか、目から破壊光線を出すアメコミヒーローのようなデザインだった。


 一方のエンブラは、老齢ながらも背筋はピンとしており気丈さがうかがえる。裾の長い、質素な白い神官衣を身にまとい。アウロラに仕える巫女たちの長老格としての気品と風格をにじませるたたずまいだった。


「勇者の落日では、多くの巫女たちも未帰還となりました。氷都市ではこれから、予備役冒険者たちに召集がかかるでしょう。あなたが呼ばれる前に神殿の補修を終えられて、助かりました」

「困ったときは、お互い様っすよ!」


 ゾーラは、石工職人だった。エンブラからの信頼はあついようだ。

 アウロラのオペレートするフリズスキャルヴの映像が、神殿内の各所を隅々まで映し出すと。ゾーラの説明を聞きながら、エンブラは神殿内の補修箇所を細かくチェックしていく。

 ふと、映像のひとつに。廊下を歩くエルルの姿が映った。


「…エルル?」


 エンブラが首をかしげる。

 エルルは、見覚えの無い青い髪の…背の低い女の子と一緒に歩いていた。


「あれ、エルルちゃんって確か…?」


 ゾーラのその声を聞いた途端。エンブラの表情が険しくなる。

 続いて、執務室のドアをノックする音がした。


「入りなさい」

「失礼しまぁす」


 エンブラが返事をすると、エルルと青髪の女の子が部屋に入ってくる。


「エルル、どうしたのですか?あなたはアウロラ様の言い付けで、新しく来た地球人…イーノとかいう、あの怪しい男の付き添いをしているのではなかったのですか」


 エルルの隣で、女の子がわずかに顔を緊張させた。


「それがぁ、イーノさぁんは体調を悪くされて。地球でお休みですぅ」


 それで、新人巫女の案内を手伝っているという。


「ユッフィーさぁん、あの方が神殿長のエンブラ様ですぅ。お隣にいるのはぁ、神殿の補修を請け負ったり。新しい彫像の発注を受けて下さっているゴルゴン族のゾーラさぁんですよぉ」

「新人さんっすかぁ?可愛い子っすね!」


 ゾーラの口元が緩み、笑みの形になる。


「エンブラ様、ゾーラ様、初めましてですの。わたくし、ドワーフの王国ヨルムンドより参りました…第一王女のユーフォリアと申します。お気軽にユッフィーとお呼び下さいませ」


 私は背筋を伸ばしたまま、エルルの衣装と色違いの。ピンクのショートドレスの裾を両手でつまんで、軽く片膝を曲げてみせる。二つ結びの長い髪が揺れた。

 ヨーロッパ女性の伝統的あいさつ、カーテシーのポーズだ。


 ユーフォリア・ヴェルヌ・ヨルムンド。愛称ユッフィー。

 それは、イーノがPBW「偽神戦争マキナ」で演じていたプレイヤーキャラクターのひとり。愛らしいドワーフのお姫様だった。


(予想通り。神殿長のエンブラさんは、私に好意的じゃないみたいですね)


 とっさの機転で危機を回避できたことに、ユッフィーの姿のイーノは内心ホッとしていた。


 昔、こんな漫画があった。

 高校生で格闘家の少年が、不思議な呪いの泉に落ちて。水をかぶると女の子に変身する体質になってしまったという、ドタバタコメディもののお話だ。

 トランスセクシャル・ファンタジー性転換ものという言葉を知らない人でも、聞いたことがあるのではなかろうか。

 あの漫画の主人公みたいに、イーノとユッフィーの姿を上手く使い分けて。これから事態打開の道を探っていこう。少しの好奇心と共に、私はそう思った。

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