第2話 日常


東京 浅草


浅草寺近くの通りを一人の女学生が新聞を片手に闊歩していた。

長い黒髪を束ね、コンクリート造りの建物へと入って行くも扉に掛けていた看板に気付き、クルリと裏返した。

【只今営業中】


「おはようございますー!勘吉郎さん起きてますー?」

鼻歌交じりに女学生は事務所の扉を開くと、机の上に新聞を置き給湯室に向かうとお茶を淹れ始めた。

女学生の声を聞いたのかソファーで寝ていた久能勘吉郎はのそりと起き上がると、机に置いていた新聞を持ちトイレへ向かった。

女学生はその間、数人分の湯呑みを用意していると何人かの声が扉の向こうから近づいて来た。

「だからさー、俺が言いたいのは調査の為であって経費が必要な訳なの!」

「嘘つけ。お前またカフェの女給に入れ込んでんだろ。これで何回目だよ」

「ばっ、ち、ちげーよ!小町ちゃんは関係ねーよ!」


二人の会話に苦笑いをしつつ、女学生は二人に挨拶をした。

「おはようございます!戌井さん!猿渡さん!」

「お、おはようさん桜子ちゃん」

「おはようございます。神楽坂さん」

神楽坂桜子に挨拶を返す戌井乾三と猿渡清一。

この二人、神楽坂探偵事務所に所属する探偵だが名前の通り犬猿の仲でよく喧嘩はするものの何かとウマが合うことが多い。

戌井は元は記者、猿渡は元警官という経歴もあってかお互いの人脈などを利用してることもあり、所員もなんでこの二人こんな仲悪いのにチームワークは良いのかと首を傾げることが多々ある。


戌井達が口喧嘩をしながら自分達の机に向かうと同時に再び扉が開き、二人の男女が入って来た。


「おはようございまーす!」

「……おはようございます」

一見すると親子にも見える二人が挨拶すると、桜子が挨拶を返した。

「あ、おはようございます!桃さん、雉村くん」

桜子の挨拶を聞いた鈴宮桃、雉村将吉はぺこりと会釈を返す。

一見して親子に見える二人だが、全くの赤の他人。桃に至っては見た目はかなり幼く見えるが、実年齢は25歳。

一方で雉村は歴戦の将校の風格を持っているが、軍人ではあるものの実際は陸軍伍長。しかも年齢は21歳と戌井、猿渡、桃よりも若い。

「相変わらずちっせぇなぁ、桃の字は」

戌井が歩み寄ると桃の背の低さが如実に分かる。戌井、猿渡は同じ身長だが桃は二人の腰の位置辺りに肩があるという低さだ。

戌井の皮肉に桃は笑顔を浮かべたまま、脛を思いっきり蹴り上げた。


「おりゃっ!」

「んがっ!!」


脛を思いっきり蹴り上げられた戌井は脛を抑えもんどり打った。

「何しやがるこのドアホ!」

「うっさいばーたれ!背が高いからって良い気になんな!このバカいぬ!あんたの粗末な棒っきれを蹴られなかっただけでもありがたいと思え!」

「なんだとこのガキンチョ!」

まるで子供の喧嘩のようにお互いの顔を抓ったり、鼻の穴に指を入れては引き上げたりと取っ組み合いを始めた。

猿渡はというと我関せずと言わんばかりに事務作業を黙々とこなし、雉村は二人の喧嘩を目の当たりにしてオロオロしていた。


桃の仕事はカフェの女給だが、見た目の通りかあまり固定客も無く暇を持て余す事が多く、記者時代の戌井のツテを辿り神楽坂探偵事務所で兼業探偵をしている。雉村は軍人ではあるが、まだ一兵卒の頃先代所長神楽坂郷ノ助の世話を受けたことがあり、その恩義を返す為に仕事の合間をぬっては事務所に顔を出して仕事を手伝っている


「相変わらず朝っぱらから元気だねぇ君達は」

読み終わった新聞を片手にトイレから出て来た勘吉郎は所長席に座り、タバコに火をつけ始める。

「そうやって仲良く喧嘩するのも良いけど、その喧嘩の発散を仕事に打ち込んでもらいたいもんだ」

勘吉郎の釘を刺した一言に取っ組み合いを辞めた戌井と桃は身だしなみを整え、お互いに後で覚えてろと言わんばかりに笑顔を浮かべるとそれぞれ自分達の席に座っていった。


険しい表情を浮かべたまま雉村は二人の喧嘩がひとまず止まったことを安堵した。


「相変わらず朝弱そうだね。雉村くん」

「……いえ、その……すみません」


雉村の顔が険しいのは彼が朝が弱いからだ。もともと老け顔で歴戦の風格を持ってるように見えるのに、険しい表情までされると覇王と言わんばかりの近寄りがたさが出てくる。

しかも一番歳下にも関わらず、一番背が高い。

朝が弱いせいで事務所に顔を出してくる時、よく鴨居に額をぶつける事がよくある為か桃は先導役として雉村と一緒に来ることが多くなった。


桜子は用意していた湯飲みにお茶を入れ配り、奥座敷にある仏壇にお茶を供え線香を上げる。

仏壇には先代所長、桜子の祖父である郷ノ助の位牌があった。

「今日も神楽坂探偵事務所は至って平和です。どうか見守ってくださいお祖父様」








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