4

「……ぁ」

どれぐらいのあいだ眠っていたのだろうか。

雫は意識がはっきりとしないまま目覚めた。瞼を開いてはいるが目の前の景色はうっすらとぼやけている。身体を動かそうとするが思うように動けない。

雫はそこで自分がベッドのような柔らかい物の上に寝かせられていると気付いた。

「ぅあ……」

なにか喋ろうとしているようだがうまく呂律が回っておらず赤ん坊のようなうめき声しか上げることが出来ない。

「目が覚めたようね」

突然、声が聞こえた。とは言っても聴覚の調子も悪く、どこか遠い場所から話しかけられているように感じた。

「あぅ……」

雫は再び何かを言って起き上がろうとするが、相変わらず呂律も身体も上手く機能しない。

「しばらくそのままでいるといいわ。まだ麻酔が抜けきってないでしょうから」

謎の声はそう言った。その言葉通り起き上がるのを止めて全身の力を抜く雫。

(麻酔だって……? あの注射器は毒じゃなかったのか……)

徐々にはっきりとしてきた意識で謎の声が言ったことを整理する。どうも自分は殺されたわけではないようだった。

「二、三時間はそのままでしょうね。……意識も朦朧としてるでしょうし、今会話するのは無理かしら」

「……」

心臓神機から小さくキュイーンという音が鳴った。

すると謎の声の推察とは裏腹に、雫の意識、視覚、聴覚は鮮明さを取り戻した。その視覚で自分の置かれている状況を確認する。

現在、雫はソファの上に寝かせられていた。それも肌触りからもわかるレベルで高級そうな。

そのまま周りを見渡す。椅子、テーブル、本棚など基本的な家具は揃っている部屋であった。その全部に華美な装飾が施されており、一目で金持ちの部屋だと推察出来た。

そして雫の寝ているソファの正面には巨大な事務デスクが置いてあった。その事務デスクの椅子に雫に背を向ける形で誰かが座っていた。さっきから自分に話しかけているのはこの人物なのだろう。

「……」

雫は慎重に、音を立てないように手足に力を込める。まだ完全とは言わないが、十分に動けるだけの力は戻っていた。

「しばらくその柔らかーいソファの感触を堪能してなさい。……ああでもよだれとかで汚さないで」

謎の人物は相変わらず雫に背中を見せたまま語り掛けてくる。

雫は静かにソファから転がり落ちた。そのままゆっくりと立ち上がる。まだ気づかれていないようであった。

「……」

雫は忍び足で謎の人物に近づく。背中しか見えないが、改めてよく見ると謎の人物は女性であるようであった。柔らかく丸みを帯びた女性独特のシルエット。オレンジ色の髪をツインテールにしていることは確認できた。

「……」

「なんか喉乾いたわね。お茶でも持ってこさせようかしら」

謎の女性は雫の接近にはまだ気づいていないようだった。

さて、どうしたものか、と雫は考えていた。いま自分が置かれている状況がはっきりとわからない以上、これから取れる行動はこの女性を人質にするくらいだろうか。

雫は事務デスクの上に置かれた万年筆を静かに手に取ると、刃物のように逆手に持ち─────

「ユノ、後ろ!!」

「はぁ?」

「ッ!!?」

突然、雫の背後から叫び声が聞こえた。謎の女性が振り返る。

「ちょ!? なんで動けてるのよ!」

「クソッ!」

あとわずかというところでツインテールの女性に存在を気付かれてしまった。驚いた彼女は雫から距離を取ると、両手を胸の高さに上げた。すると両手の平から虹色の光の玉が現れ、雫に向けられる。

「動かないで! 消し飛ばすわよ!」

「チッ……!」

雫はその場に立ったまま背後に視線を移す。すると部屋の扉の前にスーツ姿の女性が立っていた。さっき大声をあげたのはこの人物なのだろう。明らかに警戒したような目つきで雫を見ている。

(バレないようにするのに必死で部屋に入ってきたのに気付かなかったのか……! マズい……。一気に追い込まれた……)

雫はツインテールの女性とスーツ姿の女性を交互に見る。なにか打開策はないだろうか。

「あっ、そうだ」

スーツ姿の女性は何か思い出したように、自分の胸元に手を入れる。ゴソゴソしていたかと思うといきなり拳銃のようなものを取り出した。

「よーしこれがあれば安心ね」

「気付くのが遅いのよ! それでも私の秘書なの!?」

雫を挟んで謎の女性二人が言葉を交わしているが、雫は隙とは取れなかった。片方は銃火器、片方は謎の光球を雫に向けている。光球の方はどのようなものかわからないが、消し飛ばすと言っている手前、危険な物には違いないだろう。

「黒川雫! その万年筆を捨てて、地面に伏せなさい!」

「へっ、やだね。そっちが武器降ろせよ。オレが大人しく従うと思ってんのか?」

「自分の立場がわかってないの!? ……ネス! 威嚇射撃よ! 足を撃っちゃいなさい!」

「威嚇射撃って当てちゃダメだろ!」

ツインテールの女性がスーツ姿の女性にそう命令する。

「ええ……。私射撃に自信ないんだけど……。頭とかに当たっても許してくれる?」

「足狙って頭に当たるレベルの射撃技術なら銃持ち歩くのやめろよ!」

相変わらず追い込まれているのは雫の方なのだが、初対面の人物にツッコミをする余裕はあるようだった。

「いいわよ! というか一回殺しちゃいなさい! そうすれば拘束できるでしょ!」

「ッ! なんでそれを知って────」

そのとき

バンッ!! という乾いた音が室内に鳴り響いた。

「!!!」

それが発砲音だと気付いた雫は慌てて自分の身体を確認する。どこにも痛みも違和感もなかった。

「ヒッ……!」

ツインテールの女性が突然短い悲鳴を上げた。よく見るとツインテールの女性の数センチ横、壁に銃弾がめり込んでいた。

「ど、どこ狙ってんのよ、ネス!」

「だから射撃能力自信ないって言ったじゃない……」

ツインテールの女性はよっぽど驚いたのか、はたまた恐怖したのか、手のひらから光球が消滅していた。雫はそれを見逃さなかった。

(……チャンス!)

雫はトップスピードで駆け出し、事務デスクを飛び越えるとツインテールの女性の傍に着地した。

「ちょ────」

驚いているツインテールの女性の背後に素早く回り込むと、万年筆を女性の首筋に突き付けた。

「形成逆転だな。大人しくしてもらおうか」

「クッ……!」

「ユノ!」

スーツの女性がこちらに標準を向けるが、人質がいるからか発射してくる気配はない。

「……どうしたのよ。それだけ? なんだ、拍子抜けね」

すると追い詰められているはずのツインテールの女性がそんな事を言って雫を煽ってきた。

「……おいおい。オレがその柔らかそうな首にこれを突き立てればアンタは死ぬんだぜ? 随分と余裕じゃないか」

「出来ないわよ。あなたには。人を殺すことなんて。だって────」

そこでツインテールの女性がクスッと笑った。

「見るからに弱虫そうじゃない、あなたって」

「……そうかいッ!」

黒川雫という人間は決して煽り耐性が低いわけではなかった。いついかなるときも冷静に状況判断が出来ていると自分では評価していた。

だが、この謎の状況がアドレナリンを放出し、雫を興奮させているのか挑発に乗った雫は万年筆を振りかぶり、そして振り下ろした。

「!!」

だがその振り下ろした先は首もとではなくツインテールの女性の太もも目掛けてであった。残っていた理性がそうさせたようだった。

だが────

「あ、あれ……」

グサッという音も、覚悟していた手の平の感触も雫は感じなかった。なにも無い空気中に万年筆を突き立てた。文字通りそのような感じであった。

「微妙に不便よねぇ。この『能力』って」

そう言ったツインテールの女性の身体がキラキラと光る粒子になり始めた。

「なッ!?」

雫が慌てて身体を掴もうとする。だがその手のひらはツインテールの女性の身体を透過した。まるでホログラムのように。

そしてそのツインテールの女性の身体を作っていた光の粒子はゆっくりと移動を開始した。地面を這うように移動すると、スーツ姿の女性の隣に集まり始めた。

「まさか……!」

雫が苦虫を嚙み潰したような表情になる。そうしているあいだに光の粒子は再び女性の形を形成するとその輝きを失い始めた。

「粒子化……。精霊王か!」

「正解だけど不正解よ」

もうほとんど元のツインテールの女性の身体を形作ったソレはそう言った。

「これは精霊王特有の粒子化じゃなくて、私の能力」

ハッキリともとの状態に戻ったツインテールの女性は再び光球を手のひらに出現させると不敵に微笑んだ。

「私は『虹の精霊王』、ユノ。改めて初めまして、心臓神機の人間さん」

「え、えーっと。私は秘書のネス。……このタイミングで自己紹介するの?」

「……」

勝ち目が無いと悟ったのか、雫は不貞腐れたように万年筆を投げ捨てた。

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