その4
俺達探偵ってのは、修羅場やドンパチの連続で事件が終わる・・・・人から見るとそんな風に思われるんだろうが、案外そんなことはない。
大抵事件の結末ってのは、平凡で退屈なものなんだよ。
『カフェ・ラ・ブランシェ』
千駄木にあるその店は、静かな町の
ドアを開けると、鈴の音が店内に響く。
店の中には中年の女性客が二人と、中年の男性客が一人いるきりで、落ち着いた店内には、古いシャンソンがゆったりと流れていた。
俺はカウンター近くの、エッチングが掛かっている柱の下に腰を掛けた。
『いらっしゃいませ』
そう言ってメニューと、銀色の盆にグラスと水差しを持って、音もなく現れたのは、この店のマスターだった。
シルバーグレイの頭髪をオールバックにし、口ひげを蓄え、黒いベストに蝶ネクタイ。それにどことなく巴里の街角の匂いを残しているその顔立ちは、どう見ても典型的な日本人とは言い難い。
俺は、メニューを見るより先に、
『カフェ・オレを』といって、彼の目を見た。
『荒巻俊一さん。いや、ムッシュウ・ジョルジュ・荒巻と言った方がいいですか?』
『荒巻さん、でいいですよ』
彼はにこりともせずに答える。
片手でメニューを渡し、俺はもう片方の手で、
『しばらくお待ちください・・・・ああ、よろしければカウンターの方にお移りになられては?その方が話がしやすい』
何も言わず、俺は黙って彼の言葉に従い、席を立ってカウンターに移った。
『長谷川さんの手帳でしょう?』
待つほどの事もなく、カフェ・オ・レの香りが、俺の鼻をくすぐり、湯気の立ったカップが軽い音と共に俺の前に置かれる。
俺がカップに口をつけると、マスターの荒巻は何気ない口調でグラスを洗いながら目を合わせずに密やかな声で言った。
『奥さんが渡してくれましてね。貴方のお父さんなんですな。長谷川七三男氏に「マリセル」を託したのは』
マスターは目を伏せ、洗い終わったグラスを丁寧に吹き、籠の中に伏せた。
『父にとって、あの絵はどうしても手に入れる必要があったんです』
以下は、彼が物語った、マリセル盗難の
俺の調べたところと、殆ど変わりはなかった。
マスターの祖母に当たる女性・・・・名を荒巻しず、と言った・・・・は、御家人の家に生まれた士族だったが、明治維新後10年ほど経った頃、フランスへと渡った。
日本にやってきていたフランス人の公使館付きの青年将校の一人と恋に落ち、両親の反対を押し切って、結婚したのである。
だが、彼女にとって向こうでの生活は決して幸福なものではなかった。
夫は帰国後程なくして病の床に臥せり、そしてそのまま若くして物故する。
周囲は彼女をあくまでも、
『東洋からやってきた異邦人の女』という目でしか見ず、冷淡な扱いで遇した。
そのまま帰国してしまえばよかったのかもしれないが、家族の反対を押し切って異国の地にやってきたのだ。
彼女は卑しくも『サムライの娘』だ。
おめおめと帰国するわけにもいかない。そうした意地があったんだろう。
彼女はパリの街で自活する道を選んだ。
そんな時、彼女は思わぬ縁でロートレックと出会った。
どこでどうやって二人が出会ったのかは不明である。
当然の帰結として、恋に落ち、そして共に暮らした。
だが、ロートレックという男は、画家として優れた才能を持ち、かつ貴族の出身とはいえ、お世辞にも立派な人間とは言い難かった。
度重なる飲酒、不行跡、そしてその結果としての病気・・・・それでも彼女は必死になって彼を支えた。
あの絵・・・・晩年に描いた『マリセル』のモデルが東洋(フランス人がいうところの極東)の片隅からやってきた小さな女性だったとしても、何の不思議があろう。
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