第9話3人の暮らしの中で

いざ、3人の生活がスタート。子供に対しての接し方、育て方から、まずあまりに違い過ぎ。旦那は、子供が食べ物や飲み物をこぼそうものなら、それに対して、怒り散らす始末。赤ちゃんなのだから、当たり前な事ですら、子供に対して怒り散らした。普通に考えれば、旦那の方が何かの障害を持っていたのかもと今にして思います。旦那にお弁当を作るのも、作ったおかずより、決まって、冷凍物が入って、作るおかずも似たり寄ったり。ある時、朝から喧嘩をして、お弁当を置いていかれた事もありました。子供に対しては、相変わらず育児をせず、私に手伝う事もなく、なんで家を持ってるのに、こんなとこに住んでなきゃいけないんだと言う事ばかり。それしか頭にない様子で。そんな中で、私は、精神を病んでいきました。借家にいるのも嫌で、毎日のように、実家に逃げ、夕方に帰り、ご飯を作り、子供と食べて、寝かしつけ、自分も寝る、そうこうしてる間に、旦那は自分の実家に行き、食べて帰ってきていたようで、ある日、姑が自分の妹と押し掛けて来られ、私に散々、炊事をしていないのじゃないか、子供をちゃんと寝かしつけてるのかと、問い詰める始末。聞けば、時々、姑のとこに行き、食べていたという話をされ、結局この人は、私と向き合う事もせず、ただ口でいうだけの酷い亭主かと、思う他ありませんでした。気が狂い始め、旦那と喧嘩になり、殴り殴られるというところまでいくこともあり、1度、顔が見られない程腫れ上がった事も。子供の保育園の事で、結局出戻るかたちになってしまい、その時、旦那が遠くへ転勤が決まったのを機に、私は離婚を考え始めました。転勤するまでの間に、決定的だったのは、夜勤明けで畳に寝ると体に悪いからと、義母の布団に寝ろと言われた旦那は何の抵抗もなく、義母の布団に寝ていた事と、旦那が休みの日にテレビを観ていて、子供から、かまってとよじ登られた時に、当時ブラウン管だったテレビのリモコンで、おもいきり、子供頭を殴りつけた事。もう限界、耐えられませんでした。翌年の4月、私は、子供を連れ、父に相談の後に、実家に戻りました。そして、4月末ごろ離婚。養育費は、調停を立て、大した事はしてもらえず、月5,000円というあり得ない額で決まり、ないよりマシというかたちで、幕を閉じました。

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