第8話 子育てと家庭の苦悩

秋に結婚式をあげ、新婚旅行は、東北半周。どこへといく場所を決める事はせず、行きたいところへ2人で話しをして、その日の宿はその日に決めて泊まる、そんなぶらり旅のような新婚旅行をし、その年の冬、12月に出産をしました。今にして思えば、その新婚旅行が1番幸せだったと思います。

産んでからは、旦那の家の都合で、2ヶ月実家に休みに行く事になりました。親戚の人も旦那が結婚したなら負けてられないと、なんでもさっさと結婚式をするとかで、私にいられても困るという理由でした。その間、子供の顔を見にくる事もなければ、おむつを買って持ってくる事もせず、全部実家で買う事になり、私の両親は、『子供の顔も見にこなければオムツを買って持ってくるもない、そんな男あったもんじゃない!』とカンカンに怒りました。

産んでしばらくは、母乳も漏れてしまうほど、とても良く出ていたのですが、帰る頃になると、どんどん出なくなり、帰ってからは一滴も出なくなりました。吸わせておくと無理やり吸われ、切れてしまい痛くて吸わせられず、その事も姑から、吸わせてだけもおけば良いだのなんだのと、グチグチ。妊婦の時も、あまりのいびりに、自殺を考え、何度も剃刀を手に取って、手首にかけようとし、『この子を殺すなんて出来ない』と、何度も思い留まったほど。

子供を産んでもなお、死にたくなる気持ちは続きました。母になって、『子供を置いて死ぬわけにはいかない!私がこの子を守らなければ!』という強い想いから、何とか、言われた事には、絶対言わすまい!と必死になって家事をこなそうと努力しました。が、姑は自分で言ったこととは、全く違う注文をしたとイチャモンをつけてきて、耐えられない私は、顔合わせたくなく、姑が畑仕事に行くのを見計らってから朝起きていたので、起きる時間は8時、旦那も元々働いていた会社が結婚と同時に倒産し、後に入った24時間のゲームセンターが雇ってくれたので、日勤と夜勤で起きる時間は不定期もあったため、朝早くに起きない事を文句を言われようが何を言われようが、私はやめませんでした。精神が持たないと感じると、旦那に言い、酷い時には1週間、実家に泊まる事もありました。実家に泊まると、そのストレスの反動で、夜中子供を寝かせながら、友達と車でドライブをしては、くっちゃべって、愚痴や不満を聞いてもらい、楽しい話しをして過ごす事もありました。

子を持つ親がそんな時間に出歩くのは、常識的にやって良い事では無い事も、考える事すら出来ずにいました。子供の身体の成長を考えれば、やってはいけない事です。そんな事さえも、理解する力が出ない程、ストレスの反動は強すぎました。いよいよ、もう無理だと感じた私は、離婚する事を決意し、実家に帰りました。その間、1週間ほどでしたが、旦那から電話が来て、会って話したいと言われ、ようやく別居してアパートで暮らす事を決意してくれました。それまでも、ずっとアパート暮らしを言ってはいたのですが、全く受け入れず、私の気持ちや精神状態は全く理解する事もなかったので、強硬手段に出たのが、事の次第です。旦那は、私が家事を一切したくないから出たいのだろうと思っていたようで、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!と心の中では思いつつ、言葉には出しませんでした。後に、アパートに行く敷金礼金代を出したのは、姑である事を聞かされましたが、その時は知らずに、借家を借りて、3人の暮らしがスタートしました。

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