第三章:ブラック・レイン/05

「――――よう、お目覚めか?」

 横浜の中華街から少し離れた同・神奈川県の川崎市。海沿いにある埋め立て地の倉庫街、その一角に寂れた無人の小さな倉庫があった。

 長らく使われていなかったのか、錆だらけでボロい外観相応に中も埃だらけだ。出入り口たるシャッターも全て下ろされたその倉庫の中央、雑な裸電球が照らす中に、捕らえられた若手実業家・霧島啓一がパイプ椅子に縛り付けられる形で拘束されていた。

 尚も気絶し続けている彼に瑛士がバケツの水をぶっかけると、その冷たさで霧島は漸く意識を取り戻す。もう師走も目の前な冬の時期だ、冷水を浴びせられた今はさぞ寒かろう。目覚めた直後に寒さで震え始める拘束状態の霧島に、瑛士はニヤニヤと不敵な笑みを向ける。

「こ、此処は何処だ!? お前たちは何者なんだ!? 何の為に、何の為に私を誘拐なんて!?」

 そんな彼と――――そして彼の隣に無表情で立つ玲奈を目の当たりにして、霧島は錯乱したように喚き散らす。寝起きの混乱か、それとも目覚まし代わりに浴びせられた冷水のせいか、かなり混乱しているようだった。

「うるせえな、ちいと黙ってろ」

 霧島のわめき声がうるさくて、流石に癇に障った瑛士は左腰から抜いた1911を片手で霧島に突き付け、その銃口の圧でひとまず彼を黙らせる。

 その後で、コホンと咳払いをし。拳銃をまた腰のホルスターに仕舞った後で、改めて霧島に対する尋問を始めた。

「まず最初に質問だ。おたくは霧島啓一で間違いないな?」

「あ、ああそうだ! 私は霧島啓一だ!」

「まあ間違えるワケねえよな、一応挨拶代わりの確認だ。

 …………じゃあ、ここからが本題だぜ。デニス・アールクヴィストと『インディゴ・ワン』について、知っていることを洗いざらい吐いて貰おうか」

「だ、誰だそれは? 何を言っているのかサッパリ分からない。人違いじゃあないのか? 大体君たちは一体何者だ? 私は別にやましいことなんて――――」

「うるせえよ、質問に質問で返すんじゃあない。訊かれたことだけ答えろ、でなけりゃテメーの生命いのちの保証はないと思え」

 しらばっくれようとした霧島に対して瑛士は凄み、今度はバチンとブレードを起こしたベンチメイド・アダマスの刃を向けることで彼を脅す。

 見たところ、霧島は拳銃というか、銃火器の類にあまり縁が無いようなタイプのようだ。

 といっても武器密輸なんかの黒い事業に手を染めているから、多少なりとも知ってはいるのだろうが……四五口径の威力を肌で知らない以上、脅す道具としての拳銃の効果は今ひとつだ。

 だから、瑛士は敢えて脅迫の道具にナイフを選んだ。

 銃の威力にピンとこなくても、刃物の恐ろしさを知らぬ人間などこの世に存在しないと言ってもいい。実際、チョイとナイフの刃で頬を撫でてやれば……霧島は身震いをして怖がっていた。

「さあ、答えて貰おうか」

「し、知らない……! 知らないことには答えられない……!!」

 ナイフで頬を撫でられ、その恐怖に身を震わせながらも、意外なことに霧島はまだ粘った。

「ったく、強情な奴め……」

 そんな彼の強情さを目の当たりにして、瑛士は呆れたように肩を竦めつつ、ブレードを折り畳んだアダマスをポケットに戻しながら霧島の傍を離れる。

「それじゃあミスタ・霧島、ひとつ面白いゲームをしようじゃあないか」

 とすれば、次に瑛士の口から飛び出してきたのは、そんな素っ頓狂にも思える提案だった。

「ゲーム、だって……?」

 怪訝そうに首を傾げる霧島に「そうだ」と頷き返し、瑛士は大仰な仕草で言葉を続ける。

「なあに、簡単だ。このゲームにを無事にクリア出来たら、おたくを解放してやろう。無理なら知っていることを聞かせて貰うか、でなけりゃ死んで貰うだけだ。死ぬのは嫌だろ?」

「……い、いいだろう。それで、何をやるんだ?」

「――――おたく、ロシアンルーレットって知ってるか?」

「っ……!?」

 自分が今から何をやらされるか流石に見当が付いたらしく、うそぶく瑛士の前で霧島がさあっと顔を蒼くする。

 そんな彼の反応をニヤニヤとしながら眺めつつ、瑛士は玲奈に目配せをする。すると玲奈はこくんと頷き返し、左腰から愛銃マニューリン・MR73を静かに抜き、それのシリンダー弾倉を左側に振り出した。

 収まっていた六発のカートリッジを抜き、そうすれば三五七マグナム弾を一発だけ込める。要は六分の一の確率って奴だ。

 抜き取った五発の未使用カートリッジを制服ブレザージャケットのポケットに収め、玲奈はシリンダーを銃のフレームに戻し。そうすれば左手の親指で、銃の撃鉄をハーフコック位置――――半分だけ起こした状態だ。その位置まで起こした格好をキープしつつ、右手で軽くシリンダー弾倉を空転させた。

 キリキリキリキリ……と、リヴォルヴァー拳銃のシリンダーが空転する時の独特な音がボロい倉庫に木霊する。

 そんな音を聴きながら、目の前の少女が慣れた手つきでロシアンルーレットの準備を終えたのを見つめながら、霧島は静かに恐怖に打ち震えていた。

「…………」

(流石にいい眼してやがるぜ、玲奈)

 無言、無表情で銃のシリンダーを回す玲奈。そんな傍らの彼女を横目の視線で軽く見下ろしつつ、瑛士は彼女の人外じみた視力に改めて感心していた。

 ――――玲奈は、素早く回るシリンダー弾倉の動きを眼で追っている。

 リヴォルヴァー式の拳銃を使い、六分の一の確率で『当たり』を引くかどうかを賭けるロシアンルーレットのゲーム。適当に回転させてから引鉄を引くという以上、それなりのランダム要素というか……当然ながら運要素の塊みたいなギャンブルだ。文字通り、運が悪ければ死ぬ命懸けのゲーム。

 だが、玲奈は高速で回るシリンダー弾倉の動きを、ジッと眼で追っているのだ。

 リヴォルヴァー拳銃はその構造上、シリンダー弾倉とフレームの間に多少の隙間……いわゆるシリンダー・ギャップが生じる。発砲時にはここから高圧高温の火薬ガスが吹いたりするのだが、その隙間からは当然ながら、薬莢の尻も射手側から少しだけ見える。

 一発だけ装填した薬莢の尻が見えるということは、即ち次に『当たり』が来るかどうかが分かるのだ。

 かといって、高速で回す中だと普通は動体視力が追いつかず、狙った位置に弾の位置を調整するなんてことは不可能。

 だが――――玲奈の場合、通常視力と同様に動体視力も人外の領域にあるのだ。

 故に、玲奈はシリンダーの隙間から見える薬莢の尻を眼で追い、丁度良い位置に弾が来るよう意図的に調整していた。三発目ぐらいの位置に実弾のカートリッジが来るように、だ。

 このゲームを提案した瑛士と、そして実行する玲奈は初めから霧島に勝たせる気も、当然『当たり』を引いてアガって・・・・貰うつもりもなかった。

 ――――言ってしまえば、これはイカサマだ。

「ヒッ……!」

 しかし、玲奈がそんな人外じみた視力の持ち主であることを、当然のことながら霧島は知らない。だからシリンダー弾倉の回転が終わり、撃鉄を起こしたマニューリンを玲奈に突き付けられた彼は、眉間に触れる銃口の冷ややかな感触にただただ怯えていた。それこそ、泣きそうな顔でだ。

「…………」

 霧島に銃を突き付けた玲奈は、前触れもなく予告もなしに引鉄を引いた。

「ヒィッ!」

「まず、一回はずれ」

 当然、カチンと撃鉄は空を切る。

 霧島が全力で震えながら嗚咽を漏らす中、玲奈はそのまま……撃鉄を起こさぬまま、ダブル・アクションで引鉄を引いた。

「ヒィィィーッ!!」

「二回目、またはずれ」

 また、撃鉄は空を切った。

「じゃあ、もう一回」

 すると玲奈は、今度はゆっくりと撃鉄を起こす。

 キリキリと機械音を立てながら、マニューリンのシリンダーがゆっくりと六分の一回転をする中、霧島の双眸は確かに捉えていた。自分を睨み付ける拳銃のシリンダー、そこに収まった次弾……直径〇・三五七インチのフルメタル・ジャケット弾が、静かにシリンダーの内側へと消えていくのを――――確実に、実弾が銃身と一直線に並んだ光景を。

 ――――殺される。

 まさか玲奈が弾の装填状態を把握しているとも思っていないから、霧島はそう思ってしまっていた。

 このままでは、殺されてしまう。死んでしまっては何の意味もないではないか。ミスタ・アールクヴィストはただのビジネスパートナー、単なるテロ屋にこれ以上の義理を尽くす必要もない。命懸けで守り通したところで、自分に何の得もアリはしないのだ――――。

「わ、分かった! 話す、知っていることは全部話す! 私の負けだ! だから、だから撃たないで……!!」

 そう思った瞬間、霧島の心は完全にポキンとへし折れて。デニス・アールクヴィストと彼の組織『インディゴ・ワン』に関すること、自分の知っていることを洗いざらい話すと、目の前に立っている死神たちに約束してしまった。

「…………」

 ――――それが、心の折れるタイミングまでもが、完全に玲奈の計算通りであることも知らぬままに。

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