第三章:ブラック・レイン/03

 翌日の夜、住み慣れた新宿の街から離れた瑛士は、玲奈とともに横浜の街へと足を運んでいた。

 時刻はとうに日没を迎えた夜、ディナーには丁度良い頃合いだ。瑛士たち二人は乗ってきたタクシーを中華街の片隅、ある高級中華料理店の前に横付けさせると、新宿から此処までの長距離を走らせたタクシーを降りる。

「いらっしゃいませ」

「予約した椿だけども」

「椿様……はい、承知致しました。お待ちしておりました、ではこちらへ」

 玲奈とともにタクシーを降りた瑛士は店の中に入り、出迎えた店員と幾らかの会話を交わした後、先導する店員にいざなわれるがままに店の奥へと歩いて行く。

 ちなみに、彼が名乗った椿という名前は当然のことながら偽名だ。店の中で自然に霧島を待ち伏せる為、敢えてこの店でのディナーの予約を偽名で取ってあったのだ。

「……玲奈、トンズラ用の車は?」

 そうして店員に導かれて店内を歩きながら、瑛士が隣を歩く玲奈に小声で耳打ちをする。

「響子が用意してくれている。場所は、この店の裏手」

 すると、玲奈は彼の方に視線を向けないまま、無表情のままでやはり小声で囁き返す。

「車種は?」

「赤のインプレッサG4。キーは僕が預かってる」

「なら良し」

 玲奈が懐に忍ばせていた車のキー――――響子が用意してくれているという逃走用の車、スバルのエンブレムが刻まれたインプレッサG4用のスマートキーを、チラリと瑛士だけに見えるように見せてくるから、横目にそれを見た瑛士がコクリと彼女に頷き返した。

 逃走経路の確認だ。じきにこの店にやって来るという霧島を捕らえた後、迅速にこの場を離れる為の算段。その最終確認を、歩きながら二人は小声で交わし合っていたのだった。

「こちらのお席に」

 店員に案内された予約席、隅の方のテーブルに着き、二人はひとまず普通に中華料理を楽しむことにした。

 幸いにして――――という言い方は少し変だが、霧島が来るまではまだまだ時間があるらしい。店の中で不審がられないように振る舞う為にも、二人はまず店の中華料理を純粋に楽しむことにする。

「玲奈、美味いか?」

「うん。美味しいよマスター、美味しすぎるぐらいに」

「……やっぱり、そういうこと・・・・・・か?」

 次々と運ばれてくる多種多様な高級中華のコース料理の数々に舌鼓を打ちながら、何気なしに話を振った瑛士が玲奈の反応を見て渋い顔をする。

 すると、玲奈はまた「……うん」と無表情で彼に頷き返し。続けて彼にこう囁きかけた。

「とても、刺激的な味がする。味付けで上手く隠しているから、普通のヒトには分からないけど。でも、僕には分かる。間違いないよ、マスター」

「なんてこった……例の噂、マジな話だったってワケか?」

「マスターは、大丈夫? 僕には強力な薬物耐性がある。でも、マスターは普通の人間だから」

「ん? なんてことねえよ。俺もババアに嫌ってほど鍛えられてっからな」

「……そう、なら安心だね」

 会話の中で一瞬不安そうな顔をした玲奈だったが、しかし瑛士の平気だという回答を聞いて安心してくれたようで。すぐに料理の方に意識を戻すと、また無表情で箸を動かし始めた。

 そんな玲奈の何処か子供っぽいような反応を目の当たりにすると、瑛士も思わず表情を綻ばせてしまう。

 だが、そうして表情を綻ばせながらも――――この店のある黒い噂を思い出していたからか、内心は決して穏やかではなかった。

(よくやるぜ、ホントによ)

 ――――料理への、麻薬の混入。

 前々から裏通りでは噂になっていた話だ。何でも、この店が提供する大抵の料理には微量の麻薬がスパイス代わりに混入されているから、自然と癖になった……要は無自覚の内にヤク漬けにされたリピーター客、文字通りの中毒が増えているのだという話だ。

 ――――危険なまでにピリッとする、とても刺激的なスパイス。

 あんまりにもド定番というか、ありきたりすぎる話だったが故に、どうにも眉唾モノの話に思っていた瑛士だったのだが。しかし……ヒトの何十倍も感覚が鋭敏な玲奈が間違いないと言うのだから、その噂は事実なのだろう。

 幸いにして、玲奈は本人が自己申告した通り、彼女の身体には強力な薬物耐性が付与されているから、料理に麻薬が混入されていようが全く影響はない。

 それに瑛士も瑛士で、こうした薬物関連も響子から徹底的な手ほどきを受けている。

 だから、二人とも混入した麻薬の影響は特に受けないまま、純粋に料理の味だけをを楽しむことが出来ていた。

 だが――――どうにも、穏やかじゃない話であることは事実だ。

 大方、その混入用の麻薬の卸元が例の霧島啓一なのだろう。彼は裏の顧客向けの黒いサービスを多く提供していると聞くし、今からこの店に訪れることも腑に落ちる。彼とこの店が取引関係にあるのは、ほぼ間違いないと見ていいだろう。

「……! マスター」

「ああ、分かってる。……黄金色ならぬ、真っ白いお餅を抱えた越後屋のお出ましだぜ」

 二人で中華料理を楽しみ、コース料理最後の点心を丁度食べ終わった頃。やっとこさ二人にとってのターゲット、霧島啓一が店に姿を現した。

 カジュアルスーツを着こなす染め金髪の男が、何人もの店員に迎えられて店内へとやって来る。何人か護衛らしき黒服の男たちも霧島は引き連れていた。いずれも帯銃しているだろうことは、瑛士になら何となく雰囲気で読み取れる。

 店に現れた霧島はそのまま出迎えの店員たちに案内され、護衛たちと共にすぐさま店の奥にある個室のVIPルームへと通されていった。

 読み通りの動きだ。瑛士はほくそ笑みそうになる顔を慣れたポーカー・フェイスで隠しつつ、満腹になって満足げな顔をしている玲奈にチラリと目配せをする。

 すると、彼の意図を暗に悟った玲奈がうんと頷き返し。そうすれば二人はそれを状況開始の合図として、二人一緒になっておもむろに席を立った。

 そのまま、先程霧島が消えていったVIPルームに続く、店の奥にある入り組んだ廊下へと足を踏み入れる。

「お待ちください。申し訳ありませんが、この先はVIPルームとなっておりまして。お客様をお通しすることは出来ないのです」

 そうして二人で何気ない調子で歩き、VIPルームの目の前まで辿り着くが。しかし、扉の両脇でガードマンのように立ち尽くすタキシード姿の店員二人に制止され、行く手を阻まれてしまう。

「……マスター、二人とも持ってる・・・・

 そんな行く手を阻むタキシードの二人が、懐に拳銃を隠し持っていること。帯銃していることを類い希な洞察力で玲奈は一瞬の内に見抜くと、瑛士の羽織る白いパーカージャケットの裾を引き、彼にそっと合図をする。

 そうすれば、瑛士のやることといったらひとつだけだ。

「ああ、悪い悪い。チョイと道に迷っちまってよ……お手洗いはどっちだ? 妹が気分悪いって言い出しちまってよ」

「左様でございますか。お手洗いでしたら、今いらっしゃった道を戻って頂きまして、廊下を出て左側の突き当たりにございます」

「そうかい、ソイツはどうも――――」

 ヘラヘラと適当な出任せを並べる瑛士に、タキシードの店員たちが油断した一瞬。ニヤリとほくそ笑んだ瑛士は電光石火の勢いで左腰に手を走らせ、隠し持っていたシグ・ザウエル1911の自動拳銃を何の前触れもなく抜き撃ちした。

 隣では、玲奈も同じようにマニューリン・MR73を抜き撃ちしている。互いに目の前に立つタキシード姿の店員目掛け、腰溜めに構えた愛銃の引鉄を引き。そして四五口径と三五七マグナムの強烈な銃声が重なり合って廊下に木霊すれば、彼らの前ではタキシードの店員二人が腹に大穴を開け、そのまま仰向けに崩れ落ちていた。

「マスター、僕を妹扱い?」

「似たようなモンだろ?」

「……別に、構わないけれど」

 倒れた二人の胸を踏みつけ、それぞれ頭部に向かってトドメの一撃を加えながら、瑛士と玲奈は何処か間の抜けた会話を交わす。

「何にしても、この先に例の奴が居る。くれぐれも奴を殺すなよ、玲奈」

「分かってる。でも、それ以外は別に構わない。違った?」

「いんや、それで合ってる。霧島以外は好きに料理しちまえよ」

「……了解、マスター。命令を受諾、交戦規定も確認」

 瑛士が念には念を入れて、1911の弾倉を八発フルロードの新しい物と入れ替えている傍ら、彼に最終確認をした玲奈がコクリと独りで頷く。

 今回の目的は、あくまで霧島啓一の身柄を確保することにある。彼を殺してしまっては意味が無い。ただ裏を返せば、彼以外はどうでもいいということになる。

「んじゃま、さっさとドアをノックしちまおうぜ」

 1911から抜き取った中途半端な残弾数の弾倉をジーンズのポケットにねじ込みつつ、瑛士は隣の玲奈にそう言って。すると一呼吸置いた後、二人で目の前にある扉を――――VIPルームへと続く扉を豪快に蹴破った。

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