第三章:ブラック・レイン/02

「――――んでよ、どうして焼肉なんだ?」

「身も蓋もない言い方しちまうと、アタシが食べたかっただけさね」

「ンなこったろうと思ったぜ……クソババアめ」

「そりゃこっちの台詞だよ、クソガキ」

「へいへい……口の減らないババアだことで」

「はむはむ」

「……玲奈、美味いか?」

「うん、美味しい」

「あ、そう……なら良いんじゃねえかな……」

 それから一時間も経たない内に、瑛士と玲奈は店から車で三十分ぐらいの距離にある焼き肉店に連れて来られていた。

 といっても、そこまで敷居の高い高級店というワケではない。庶民的な……というと言い方が悪いが、割とお値打ちに肉をあれこれ提供してくれる店だ。

 かといって味が悪いワケでもなく、寧ろ肉の質は良い方。美味い肉をたらふく食べられる店ということで、前々から響子が懇意にしている店だった。

 そんな店の中、三人は個室席でテーブルを囲んでいた。

 テーブルの中央には焼き場の網があり、各々そこに放り込んだ肉が焼けては、白米と一緒に次々とかっ込んでいる。

 他にも色々とサイドメニューの類も頼み、テーブルの上に幾つも皿が並んでいるが……酒類を口にしているのは、さっきから生ビールをひっきりなしにお代わりしている響子だけだ。一応未成年らしい玲奈はともかく、瑛士も隣の彼女と一緒に飲み物はコーラで誤魔化している。

 ちなみに、配置的には瑛士と玲奈が隣同士に座り、その対面を響子がドカンとド真ん中を占領している感じだ。

「やれやれだ……」

 英気を養うだとか何だとか言っといて、結局は自分が来たかっただけな響子に呆れっぽく瑛士は肩を竦めつつ。しかし隣で玲奈が、割にスローペースながら美味そうに肉を頬張るのを横目に見て……思わずフッと表情を綻ばせてしまう。

 まあ、来てしまったものは仕方ない。

 それに、今日のお代は全て響子持ちだ。どれだけ食べようが彼女の奢りということで、瑛士も遠慮なしに次から次へと肉を焼いては口にかっ込んでいく。一応はスイーパーも身体が資本な稼業だ。であるが故に、瑛士は割に華奢な見た目ながら結構な量を食べる方だったりする。

 だからか、テーブルの脇には空いた肉の皿が次から次へと積み上がっていった。

 正確な注文数は伝票を見てみないと分からないが……何人前で換算すれば、とっくに二桁は超えていることだろう。響子も割に食べる方だから、そのハイペースっぷりたるや恐ろしいの一言。追加注文を取りに来る度に、店員が引き攣った顔になるぐらいだ。

「そういやババア、訊きそびれてたんだがよ」

 そうして三人で網を囲む中、瑛士がふとした拍子にあることを思い出し、それを響子に何気なく問うてみる。

「なんだい、藪から棒に」

「今回の依頼人……公安の桐原智里、だっけか。結局、ババアの公安時代の部下って解釈で良いんだよな?」

 実を言うと、その辺りのことを響子本人から未だに聞かされていない。

 智里が響子の元部下で弟子だというのは、あくまでも瑛士の知っている響子の経歴と、そして智里と彼女の会話の中から推測したことでしかないのだ。ほぼ間違いない話ではあるが……それでも、本当のところを瑛士は本人から直接聞いておきたかった。

「なんだ、そんなことかい」

 瑛士が問うと、響子は箸を動かす手を止めないままで問いに答えてくれる。

「アンタの言う通り、智里は公安刑事時代の部下だよ。ンでもって、アタシにとって最初で最後の弟子でもあるわね」

「弟子、弟子ねえ」

「公安ってのはね、普通の刑事とはまた色々と勝手が違うんだよ。その中での上手い立ち回り方に、捜査を進める上でのコツ。時には裏稼業の人間……そう、今のアンタや昔のアタシ、スイーパーみたいな人種も利用する心構え。清濁併せ呑むってワケじゃあないが、時には日陰の人間の方が動きやすいこともあるって話さね。それに実際ドンパチとなった時の上手い戦い方、生き延び方。全部アタシが智里に叩き込んだコトだよ。

 …………懐かしいねえ。あン時は智里もまだまだペーペーのド新人で、初々しいったらなかったよ。あの頃の智里はただ真っ直ぐに、盲目過ぎるぐらいに正義を信じてた。過信とすら呼べるほどに」

「そんな初々しいルーキーが、今じゃアレかよ。ヒトは変われば変わるモンだな」

「ホント、全くその通りさね」

 瑛士の皮肉に肩を竦めつつ、響子はやはり箸を止めないまま、何気ない問いかけから始まった昔話を続けていく。

「さっきも言った通り、アタシの下に付いたばっかの智里は、正義を盲信してたド新人だった。だからスイーパーや他の裏稼業の人間……とどのつまり、違法って言葉に足が付いて歩いてるような人種さね。そんな連中と持ちつ持たれつの共存関係で居ることが、あの頃の智里にゃどうしても許せないことだったらしくて……一時期は、顔を合わせる度に喧嘩三昧だったわ」

「今じゃ想像出来ねえな」

「全くだよ。……でもある時、智里がヘマやらかして捜査対象にとっ捕まっちまってね。有り体に言えば人質になっちまったんだよ」

「あらら、お気の毒に」

「あの時の智里は正攻法に拘るあまり、大事なことを全部見落としてたんだ。だから下手をやって、捕まっちまうのも当然さね。寧ろ生命いのちがあっただけ儲けモンだよ」

「……それで、どうしたんだ?」

 当然、助け出したわよ――――と、響子はドデカいビールジョッキを傾けながら答える。

「瑛士、クララ・ムラサメって名前……アンタなら当然知ってるか」

「流石にな」と瑛士が頷いて肯定する。「西海岸で未だに伝説になってる最強のスイーパー、知らなきゃモグリだぜ」

「そう。そのクララ・ムラサメと……後は、アイツの弟子が居てね。その二人と一緒にアタシが乗り込んで、智里を五体満足で無事に助け出したのさ」

「どうせババアのことだ、捕まって二時間とかで救出したんだろ?」

「馬鹿言いなさんな、三十分だよ」

「……思ってたより早いな」

「人質救出はスピードが命だよ、覚えときな」

 フッと透かした笑みを浮かべながら響子は言って、驚き気味の瑛士の顔を一瞥しつつ。また箸を動かし、目の前の網の上に乗っていた……丁度良い焼き加減の、熱々のロース肉を一枚掴み取る。

「その事件が切っ掛けになって、智里は色々と考えを改めたみたいでね。公安刑事として更に経験を重ねていく内に出来上がったのが……アンタも知ってる、今の桐原智里なのよ」

「へえ、なるほどな」

 唸りつつ、瑛士も瑛士で肉の皿から更に新しいカルビ肉を五、六枚ほど引っ掴み、纏めて網の上に放り込んで焼き始める。

「……にしても、クララ・ムラサメか。毎度の話だから慣れっこだけどよ、ババアの伝手はマジに底が知れねえな」

「馬鹿言ってんじゃないよ、瑛士。アタシを誰だと思ってるんだい? クララとその弟子以外にも、後は成宮マリア……そう、アンタも知ってるマリアだよ。めぼしいスイーパーは全部、アタシ経由で智里に紹介してやったわ」

「……本当に、ババアは底が知れねえな」

 響子の口から次々と出てくる名前を聞いていると、本当に呆れることしか出来ない。

 今出てきた名前、全てが超一流のスイーパーだ。恐らくスイーパーという人種の中でも最高位に位置している連中ばかり。ジェダイの騎士で例えるなら、ジェダイ・マスターどころか評議会のグランド・マスター級。マスター・ヨーダ並みの人間ばかりだ、今サラッと響子が挙げた名前は。

 それこそ、冗談抜きで本当にフォースを使えるんじゃないかってぐらいの腕利きばかり。そんな連中と深い関わりがあるなんて……本当に、都田響子という女の底知れぬ部分を垣間見た気分だ。

「智里と直接顔を合わせたの、公安を辞めてからこの間で三度目だったかねえ。あのも知らない間に随分と頼もしくなってて、アタシってばチョイと感動しちゃったぐらいさね」

 遠い目をして言う響子曰く、智里と逢ったのは公安を辞めてから――――裏稼業、フリーランスのスイーパーに転身してから、この間が丁度三度目だったらしい。

 響子がどれぐらいの間、公安刑事として智里の上司兼師匠をしていたのか。加えて、どれぐらい前に公安を辞めてスイーパーになったのか……実を言うと、詳しい時系列を瑛士は彼女から聞かされていない。

 知っているのは、元々は公安刑事でその後にスイーパー、それも辞めた今は元締めをしつつ、ああしてスナックのママをやっているという大雑把な経歴だけだ。

 だから、どれぐらい長い間、彼女が愛弟子と逢っていなかったのかは知るよしもなかったが――――しかし目の前の響子が浮かべる、何処か懐かしそうな表情。そんな彼女の表情が、全てを物語っていた。

「昔のアタシがやってた立ち位置、裏の人間との橋渡し役が今の智里の立場ってワケさ。

 だから瑛士、それに玲奈も。困ったことがあれば、いつでもあのを頼んな。智里が信頼出来るのは、このアタシが保証する。何なら生命いのちを賭けたっていい。智里ならきっと、アンタら二人の力になってくれるはずだよ」

「…………分かった。覚えておく、響子」

「ま、そんなヤバい事態にならないことを祈るのが一番だがね」

 玲奈は口に運んだ肉を小さく頬張りながら、いつも通りの無表情で頷き。瑛士も瑛士で、普段通りに皮肉った調子で、それぞれ響子に頷き返す。

 ――――とまあ、こんな具合に今宵の夕餉ゆうげは豪勢に、そして割に賑やかで和やかな調子で続いていくのだった。

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