第三章:ブラック・レイン/01
第三章:ブラック・レイン
夜の南青山で大立ち回りを演じた翌日、夕刻頃。瑛士と玲奈は例によって響子の店、まだ開店前のスナック『エデン』を訪れていた。
「――――待ち伏せ、ねえ。昨日の内に電話で大筋のことは聞いちゃいたけれど、どうにも腑に落ちないわね」
開店前の店内、カウンター席に腰掛ける瑛士たち二人に昨日の話を聞いた響子が、カウンターの向こう側で不審そうに首を傾げている。
彼女が首を傾げるのも当然だった。まさかあの状況下で待ち伏せなんて、想定できるはずもない。二人とも用心して拳銃を持っていたから良かったものの、もしも丸腰だったらと思うと…………。
「だろ? なんでまた俺たちの動きを読んでやがったのか、てんで分からねえんだ」
「……昨日襲ってきた連中、多分アールクヴィストの手下。匂いで分かる」
「流石に勘が鋭いわね、玲奈」
お手上げといった風に溜息をつく瑛士の後、玲奈がボソリと呟くと。カウンターの奥に立つ響子は感心したように彼女へニヤリと笑みを向ける。
「……昨日の刺客連中、アンタたちが平らげたから当然死体が上がっているワケだけれど。智里に調べさせたら、すぐに身元が割れたわよ。アンタらを襲ったのは全員、フリーのスイーパーだった」
続く響子の言葉に、瑛士は「だろうな」と納得した風に頷く。
「ありゃ間違いなく同業者だと思ったよ」
予想通りの回答だ。あの場で瑛士が考えていたように、どうやら南青山で待ち伏せていた連中は全て同業者……即ち、瑛士たちと同じフリーランスのスイーパーだったようだ。
「その内の何人かは、数日前に例の副官……三原宗二と直接接触していたことも確認出来ている。こっちはミリィ・レイスが上手く調べ上げてくれたみたいだけれどもね。あの
「蒼真本人がそれは認めていたさ。どうやらアイツと、あのミリィ・レイスとかいう
「へえ、あの二人が知り合いかね」
瑛士の口から返ってきた言葉を聞き、響子が意外そうな顔をする。確かに蒼真とミリィ・レイスが知り合いとは思えないだろう。現に、瑛士自身も本人に聞かされるまでは考えもしなかったことだ。
だから瑛士はカウンターの奥に立つ響子に「らしいな」とだけを返し、目の前に置かれていたグラスに口を付ければ、そこに注がれていたコーラで乾いた口を少しだけ潤す。
そうした後で、瑛士は神妙な顔になってこう呟いた。
「にしても………奴らはどうやって俺たちのことを嗅ぎつけた?」
――――そう、そこが問題だ。
瑛士たちの動きは、この場に居る者たちぐらいしか知らない。後は依頼人と協力者の二人と……強いて言えば、残るは蒼真ぐらいなものだ。情報が漏れるなんてこと、どうにも考えづらい。
「…………内通者」
だから、隣で玲奈がボソリとそんなことを呟いた瞬間、瑛士は無意識の内に「まさか」とそれを否定していた。
「それは無いわよ、玲奈」
とすれば、続けて響子も首を横に振る。
「この件を知っているのは此処に居るアタシたち三人と、後は智里にミリィ・レイス、それに例のオタクくんぐらいなモンさね。
かといって、内通者が公安の内部に……って可能性は否定しきれないわよ? でも、アタシらのことを……智里が瑛士と玲奈を雇っているってコトを公安内部で知っているのは、それこそ智里本人だけよ」
「……だったら、可能性は薄い」
「疑り深いトコは流石さね、玲奈。でも残念ながら、今回に限っては内通者の可能性は極限まで低いのよ」
「だとすると、どうやって……?」
玲奈との会話の中で、響子が内通者という可能性を排除した後。コクリと響子に頷き返す玲奈の横で、思い悩む瑛士は独り、顎に手を当てて悩ましげにうーんと唸る。
待ち伏せていた理由が内通者じゃないとしたら、一体連中はどうやって瑛士たちがあの場に現れることを予知できたのか。そこが問題になる。
「……撒き餌、だろうね」
そうして瑛士が唸っていると、響子がラーク・マイルドの煙草を咥えながら、ボソリと呟く。
「撒き餌?」
それに瑛士が首を傾げれば、響子は安っぽい百円ライターで咥えた煙草に火を付けながら「そう、撒き餌よ」と頷き返す。
すると彼女は紫煙を燻らせながら、その匂いに嫌そうな顔をする瑛士の反応を意図的に無視しつつ……今呟いた言葉の意味するところを二人に話し始めた。
「コイツはアタシの勝手な憶測だけれど、多分アタシたちはまんまと連中の罠に嵌まった形になるのよ」
「罠……とすると、蒼真がキャッチした情報そのものが、俺たちを釣り上げる為の餌だったってワケか?」
ハッと気が付いた瑛士に、響子は「恐らくは、ね」と頷き返す。
「アンタから話を聞いた時から、どうにも妙だとは思ってたのよ。今までのあれこれを見る限り、デニス・アールクヴィストが病的なまでに用心深い男なのは間違いない。だとしたら……霧島とかいう社長さんとの繋がりだけを、分かりやすい形で残しておくかしら?」
「……つまり、霧島と繋がっていた痕跡は」
「そう、間違いなく意図的に残した
…………残念ながら、今回は相手の方が一枚上手だったってことかしら」
言って、響子はふぅ、と紫煙混じりの息をつく。
そんな彼女をカウンター席から眺めつつ、彼女の燻らせる紫煙の匂いから逃げるように顔を逸らしながら、瑛士が「だとすると、振り出しに戻っちまったワケか……」と深刻な面持ちでひとりごちる。
実際、これで振り出しに戻ってしまった。霧島啓一が瑛士たち……というよりも、自分たちの周囲を探るネズミを引っ掛ける為にアールクヴィストが用意した罠だったとするのならば、これ以上あの霧島を手掛かりにしてアールクヴィストと、そして『インディゴ・ワン』を追うのは不可能ということになる。
調査は完全に暗礁に乗り上げてしまった。この後、何処からどうするべきなのか――――。
「ハッ、何言ってんのよ瑛士。別に振り出しに戻ったってワケでもないのに」
そうして瑛士がどうしたものかと唸っていると、響子が鼻で笑いながら彼にそう言った。
「どういうことだ?」
首を傾げる瑛士に、響子は「どうもこうもないわよ」と言ってから、彼と……そして彼の隣に座る玲奈に向かって、こう言葉を続ける。
「アタシたちの手元にある手掛かりは、結局あの男しかないのよ? それに、あの霧島って男と『インディゴ・ワン』が直接的、ないしは間接的に繋がっているってのは間違いない。例えこれがアタシらを釣り上げる為の餌だったとしても、それ自体は真実のはずよ。オタクくんがそこまでのヘマを踏むとも思えないし」
「それは、まあそうかも知れないけどよ……」
確かに響子の言う通り、恐らく霧島とアールクヴィストの繋がり自体は事実と見て間違いない。
今回は完全に餌に釣られてしまった形になるが、しかしそれでも、あの蒼真がガセ情報を掴まされるほど間抜けとは思えないのだ。本人が自分の腕前をミリィ・レイスに劣っていると評していても、それでも彼が名実共にウィザード級の腕利きスーパーハッカーであることには変わりない。
そんな蒼真が、容易くガセ情報を掴まされるなんてことはあり得ない――――。
だとすれば、霧島が『インディゴ・ワン』と繋がっているということ自体は、紛れもない真実なのだろう。
「昨日のやり方がチョイと回りくどすぎただけさね。遠くから観察なんてみみっちいことせずに、最初から霧島に直接インタビューしてやった方が、あらゆる意味で効率的よ」
「インタビューって……ババア、アンタなあ」
「文字通りのインタビューよ。意味が分からないアンタじゃあないでしょうに」
「あのなあ……」
皮肉のつもりなのか、それともただの冗談なのか。ちょっと意味の分からない言い回しをした響子に対し、瑛士が物凄く微妙な顔を向けて呆れ返る。
…………が、言い方はともかく方法自体は間違っていない。霧島に直接訊けばコトの真意もハッキリするし、それにアールクヴィストに繋がる新たな手掛かりを得られるかも知れないのだ。賭けてみる価値はある。
「何にしても、結局アタシらの手元にある手掛かりはこの男だけよ。少なくとも現状では……ね。
だから、ひとまずこの男に事情聴取、それが一番よ。
――――あの男が次に現れる場所は、もうミリィ・レイスが特定してくれているわ。明日の夜、場所は横浜の中華街にある高級中華料理店。お題目は取引先への挨拶らしいけど……怪しい匂いがプンプンするじゃない?」
言って、響子は短くなった吸い殻を手元の灰皿に押し付ける。
「…………響子、相手も馬鹿じゃない。これも餌、罠かも知れない」
灰皿に吸い殻を押し付けた響子が、新たな一本を咥える傍ら。彼女の吹かすラーク・マイルドの匂いに鼻腔をくすぐられながら、玲奈がボソリと呟いた。
そんな彼女の消極的な反応に、響子は咥えた煙草に百円ライターで火を付けながら「かも知れないわね」と言い。その後で、玲奈に向かってこうも言ってみせる。
「でも、この程度の罠を掻い潜れないアンタたちじゃあないでしょう?」
ニヤリとして響子が言えば、相変わらずの無表情を貫く玲奈の横で、瑛士が「当然」と不敵な笑みを響子に向ける。
すると、そんな瑛士の反応を見た響子は満足げにまたフッと笑み。ふぅ、と小さく息をついた後で、更に二人に向かってこう言葉を続けた。
「天下に名高い女王陛下のSASに、こんな言葉があるわ。『
「かもな、ババア」
「とにかく、方法は問わないわ。例の霧島とかいう男をとっ捕まえて、直接情報を聞き出して頂戴な」
言った後で、響子は「ただし」と続ける。
「智里からの依頼は、あくまでも『インディゴ・ワン』に関しての情報収集よ。それ以上のコトをする必要も、してやる義理もない。ある程度情報が集まって、智里が……いんや、公安が満足するだけの結果が得られれば、仕事はそこで無事終了。危険を冒すことには違いないけど、無駄な深入りは禁物よ」
「分かってるってえの、報酬分の仕事だけはさせて貰うさ」
「…………僕は、マスターの命令に従う。それだけ」
念押しのように言った響子に瑛士と玲奈が見せる各々の反応に、響子は「結構。アンタたちらしい答えで安心したわ」と満足げに頷き。そしてカウンター席に座る二人の顔を改めて見渡しつつ、咥えたラーク・マイルドの煙草を吹かしつつ。今までシリアス気味だった表情を気持ち柔らかに崩しながら、二人に対しこんな提案をしてみる。
「安心したところで……さあてとアンタたち、英気を養いに行くわよ」
「行くって、店ほっぽり出して何処に行くってんだよ?」
響子から告げられた突然の意味不明な提案に、瑛士が怪訝そうな顔をし。その隣では玲奈も彼に同意するみたくコクコクと黙って頷いている。
「どっちにしろ、店は元から今日は終日臨時休業さね。だから構うことなんかないわよ」
そんな二人に響子は言って、咥えていた煙草をまた手元の灰皿に押し付けた。
「良いのかよ、それで。……まあいい。で? ババアは俺たちを何処に連行しようって?」
「……気になる。響子は、よく僕たちを良いところに連れて行ってくれるから」
「フッ、安心なさいな玲奈。今日もとびきり良いところに、とびきり美味しいご馳走を食べに行くわよ」
やれやれと呆れ気味な瑛士と、無表情ながら何処か期待したような眼差しを向けてくる玲奈。そんな目の前の二人に対しニヤリとしながら、響子は言った。
「今日はアタシの奢りで――――焼肉よ」
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