第二章:プライベート・アイズ/15

 ――――夜更け頃。

 草木も眠る丑三つ時もとうに過ぎ去ったような夜遅く、南青山の某所にあるマンションの最上階にあるペントハウス。つい数時間前まで開かれていた華やかなホームパーティの余韻も消え、何処か寂しい雰囲気の漂うリビングルームに、一人の男の姿があった。

 革張りのソファに深々と腰掛け、グラス片手にワインを嗜む男だ。最高級のフルオーダーメイドのビジネススーツで身を固め、染めた金髪を揺らすその男は、このペントハウスのあるじたる男。貿易関係でやり手の若手実業家として名を馳せている、霧島きりしま啓一けいいちという名の男だった。

 霧島がそんな風に静かにワインを嗜んでいると、そんな彼の背後からゆっくりと人影が近寄ってくる。

 その人影もまた、オールバックに整えた髪は霧島同様に金髪であったが。しかしその金色は彼と異なり染めでなく、元来からのものだった。一目で白人と分かる真っ白い肌に、彫りの深い顔立ちと蒼い瞳。彼は明らかに外国人だった。

 ――――デニス・アールクヴィスト。

 黒のビジネス・カジュアルスーツに身を包み、ネクタイの無い青いカッターシャツの襟は開けているといった出で立ちのその男こそ、数年前に崩壊した巨大国際犯罪シンジケート『スタビリティ』の戦闘部門幹部だった男にして、今はテロ・グループ『インディゴ・ワン』を率いるリーダーだった。

「やはりネズミが現れたようだ」

 アールクヴィストはソファに腰掛けた霧島に背後から近寄ると、その肩をポンッと叩きながら、静かで落ち着いた声音で彼に告げる。

「ええ……本当に貴方の仰る通りになるとは」

 そうすれば、霧島は彼の方を小さく振り向いてそう言った。リラックスした様子だが、顔には僅かに動揺の色が滲んでいる。アールクヴィストの予言じみた言葉が的中したことが、彼からしてみれば余程驚きだったのだろう。

「驚きですよ、本当に。どうして私が会合を開けば、貴方を探っている何者かが釣れると分かったので?」

 続けて問うてくる霧島に、アールクヴィストは「経験と推測、ロジックの積み重ねだ」と涼しい顔で答える。

「私を探っている連中……恐らくは公安の手の者であろうが、私や三原の足跡を辿れない以上、必然的にミスタ・霧島。貴方を探ろうとするはずだ。貴方に辿り着くよう、わざと足跡フットスタンプを残しておいたのだからな」

「全て計算ずく……というワケですか。いやはや恐れ入った」

「世辞は必要ない、ミスタ・霧島」

「お世辞なんて、とんでもない。……ところで、そのネズミとやらはどうなったのです?」

「残念ながら、逃げられてしまったようだ。待ち伏せさせていた連中も全員殺されたよ」

「それはそれは……大切なお仲間を亡くされて、心中お察し致します。ミスタ・アールクヴィスト」

「いいや、連中は二束三文で買い叩いたチンピラ共だ。元から捨て駒のつもりで雇った連中、当然私の同志ではない。心なぞ痛まんよ」

 冷ややかな表情で言ったアールクヴィストの言葉に、霧島は「そうですか」と小さく相槌を返し。するとワイングラスに口を付けて、上質なフランスワインを軽く口に含む。

「……それにしても、ネズミとやらは一体何者なのでしょうか。やはり、公安のエージェント?」

 口に含んだワインを飲んだ霧島が問えば、アールクヴィストは「違うだろうな」と即座にそれを否定した。

「あの手際の良さ、それに容赦のなさ。明らかに公安の刑事じゃあない。連中の中にそんな腕利きも、場慣れした奴も居らんよ」

「とすると……何者が?」

「恐らく、公安が雇ったスイーパーだろうな」

 ――――スイーパー。

 裏通りでは本来の意味でなく、別の意味で通じている言葉だ。

 当然、アールクヴィストが意味するところを、霧島も理解している。実際に関わったことはないが……それでも、闇の中で甘い汁を啜っている者として、彼もまたスイーパーが何者で、どのような存在であるのかをある程度は心得ていた。

「スイーパー……掃除人、フリーの人間ですか。私も噂には聞いたことがあります。なんでも、ハリー・ムラサメという腕利きのスイーパーが居るとかなんとか」

「ハリー、ハリー・ムラサメ……忌々しい名だ」

 霧島が何気なく口にした、その名前。あるスイーパーの名前を耳にした瞬間、アールクヴィストは露骨に不機嫌そうな顔になると、ギリリと激しく歯軋りをし始める。苛立ちのあまり、無意識の内に殺気すら漏らしてしまったぐらいだ。

「っ……」

 そんなアールクヴィストが無遠慮に放つ殺気に、霧島は思わず身震いをしてしまう。それぐらいに、今のアールクヴィストの苛立ちと……そして、抑えることも忘れた彼の発する殺気は強烈なものだった。

「……何にしても、スイーパーまで雇ったということは、公安もいよいよ本気らしい」

 少しした後で、やっとこさアールクヴィストは我に返り。今まで放っていた殺気を内に収め、コホンと咳払いをした後でそう言葉を続ける。

 彼の放つ殺気が消えたことで、霧島はふぅ、と安堵の息をつき。後ろに立つアールクヴィストの方をまた小さく振り向いて、彼にこう言った。

「ミスタ・アールクヴィスト、貴方には感謝しています。何せお得意様ですからね。貴方と……そして貴方の組織、『インディゴ・ワン』は。ですから可能な限りのお手伝いはさせて頂きます。

 ただ……本当に、可能なのですか? 一個人の私設組織が国ひとつを陥落させるなど。第三世界の発展途上国ならまだしも、此処は……幾ら極東の田舎といえ、仮にも先進国に数えられている内の一国です。そんな巨大な壁を打ち崩すことなど、本当に可能なのでしょうか?」

「可能だ。他では無理でも、我々ならば」

 霧島の投げ掛けてきた疑問に、アールクヴィストは不敵な笑みを湛えて答える。自信満々な顔と視線で、まるで出来て当然だと言わんばかりに。

「左様ですか……まあどうあれ、私としては今後とも貴方がたと良好な関係を維持できるのであれば、それで構いません」

「……我々もじき、本格的に動き出す。貴方も身辺には十分注意しておくことだ、ミスタ・霧島」

「勿論。ご忠告痛み入ります、ミスタ・アールクヴィスト」

 振り向いたままの霧島がニヤリと横顔に薄い笑みを浮かべるのを見下ろしながら、アールクヴィストは傍らに控えた副官の三原……三原みはら宗二そうじに目配せをする。

 スーツの下に見えるカッターシャツが白であるということ以外、服装面でアールクヴィストと目立った違いのない三原は目配せをされると、無言のままにその意図を読み取り、コクリとアールクヴィストに頷き返す。

 アールクヴィストはそれを見て満足げに笑むと、三原の更に奥……壁際にもたれ掛かる男女の方へと視線を投げ掛けた。

 そこに居たのは、どちらもアールクヴィストが飼っている一流の戦士だった。

 男の方は、陣羽織めいた造りの藍色のロングコートを羽織る、綺麗な白銀の髪色をした長髪の男だ。

 男の後ろ髪は腰辺りまで伸びていて、白銀の色合いも相まってか、見た目はとても美しい。左腰に差した打刀と脇差、二本の日本刀や、腕組みをしながら壁にもたれ掛かり、静かに双眸を閉じている様子などから、とても落ち着いた武人のような印象を見る者に抱かせる。男の方は、そんな不思議な雰囲気の男だった。

 そして、女の方は――――暗がりに居るせいで、人相は丁度影が差していて窺えないが。しかし身長一八〇センチの長身であることと、右前髪が垂れ、右眼が髪で若干隠れている、青いストレートロングの髪型であること。黒のタンクトップの上から同色のミリタリージャケットを羽織り、胸元にはドッグタグを吊るし。長く華奢な脚にジーンズを張り付かせ、コンバット・ブーツを履いているといった出で立ちであることは辛うじて分かった。

「お前の出番も近い。しっかり働いて貰うぞ――――シュヴェルトライテ」

 シュヴェルトライテ、とアールクヴィストに呼ばれた女は、壁にもたれ掛かり腕組みをした格好のまま、隣の長髪男と同じように閉じていた瞼を右眼だけ開け。アメジストの瞳で自身のあるじたるアールクヴィストを見据えながら、静かな語気で彼の言葉にこう答える。

「ええ……任せて頂戴。命令とあらば、私は何者であろうと討ち滅ぼすわ」

 そんな彼女の、静かながらも強気な返答にアールクヴィストはフッと微笑を浮かべてみせた。あまりにも不敵で、そして不気味にも思える微笑を。





(第二章『プライベート・アイズ』了)

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