第二章:プライベート・アイズ/14

 迫り来る銃火の雨を身軽に躱しながら、柵を跳び越えて瑛士はテラス席へと飛び込んでいく。

 木張りの床で軽く前転するように転がって起き上がると、飛び込んで来た瑛士と彼を襲う銃火に驚くカフェの客たちをよそに、瑛士はタンッと地を蹴って飛び。そうして、そのまま目の前の大きなガラス窓を肩からブチ破って店内に飛び込んだ。

 飛散する、割れたガラスの細かい破片。それを背中に浴びながら瑛士は店内に飛び込むと、同じように柵を乗り越えてテラス席に現れた追っ手を尻目に、そのまま店内を走り……カウンターを飛び越えて、その先にある厨房へと走り抜けた。

「あっ、おい!」

 驚きながらも制止しようとする店員の叫び声を無視して、厨房に飛び込んだ瑛士はそのまま店のバックヤードへ走り、そのまま裏口まで突っ切った。

「シャアッ!」

「っ、やっぱり居やがったか!」

 裏口の扉を蹴破り、路地裏に飛び込もうとした瞬間。カフェの裏口のすぐ傍で息を潜め、瑛士を待ち構えていた奴――――恐らく先回りしてきたであろう男が、ナイフを構えて瑛士に突進してくる。

 それを瑛士はひらりと身軽に回避すると、すれ違いざまに1911に残った残弾全てを男の背中に叩き込んでやる。

 ドングリのように大きな四五口径弾の熱い洗礼を背中に浴びれば、それで生きていられる人類などまず居ない。瑛士を仕留めるつもりが逆に仕留められた男は、突進した勢いのまま店の壁に激突し……顔面を強打。そのままずるずると崩れ落ちると、それきり男は動かなくなった。

「野郎!」

「まだ居るのか……面倒くせえな!」

 が、息つく暇はまだ瑛士には与えられない。

 どうやら、裏口の傍に潜んでいたのは一人だけではなかったようだ。潜んでいたもう一人は立ち上がると、やはりナイフ……いや、長い出刃包丁を片手に瑛士へと飛びかかってくる。

 だが……反撃しようにも、残念ながら今の連射で1911は弾切れだ。愛銃は左手の中で無様なホールド・オープン姿勢を晒している。

 それに、予備の弾倉ももう手元にはなかった。どのみち、この状況だと再装填している暇なんてないのだが…………。

「らぁっ!」

 愛銃が弾を切らしたと知れば、そこからの瑛士の行動は素早かった。

 突進してくる男を、先の一人目と同じようにまた身体を捩ってひらりと身軽に回避し。その後でスライドを戻した1911を腰のホルスターに収めつつ……同時に、空いていた右手を使い、飛びかかってきた男の右手首、つまり出刃包丁を持っている方の手首を引っ掴んだ。

 そうすれば、ホルスターに戻した1911の銃把から離した左手も駆使しつつ……瑛士はその男の身体を、合気道の要領で固いアスファルトの地面に叩き付けた。

「か、は――――」

 バンッと鈍い音が鳴るぐらいの勢いで背中を固い地面に叩き付けると、衝撃で肺を絞られた男は眼を見開いて息を吐き、そして喘ぐ。

「相手が悪かった、そう思いな!」

 そんな男の右手から出刃包丁を弾き飛ばすと、瑛士は左手をジーンズのポケットに走らせ、愛用のベンチメイド・アダマスの折り畳み式ナイフを抜刀。畳まれていたブレードをバネ仕掛けでバチンと起こせば、そのまま左手でナイフを男の身体に突き立てた。

 ――――ぐちゅり、とナイフの刃が肉を裂く、嫌な感触がグリップ越しに左手へと伝わる。

 刃を突き立てた先は、男の右眼だ。勢いを付けて飛び込んだD2ツールスチール鋼の切っ先は容易に眼球を破壊し、そのまま眼窩から……奥にある脳にまで容易く到達する。

 脳に刃を突き立てられて生きていられるのならば、それはもう人間ではない。

 そして……どうやらこの襲撃者の男は、無事に人間のカテゴリに分類される存在のようだった。

 瑛士にナイフを突き立てられた男は、痙攣の後に数秒経たずして息を引き取る。殆ど即死だった。

「コイツらを片付けたはいいが……」

 即死した男の右眼窩からナイフを引き抜き、立ち上がった瑛士は苦い顔で後ろを振り向く。

 そうすれば、バックヤードの向こう側からは男たちの怒号と、そしてバタバタと無遠慮な足音が近づいてきているのが分かった。数にして……三人か。

 どうやら、連中はまだ瑛士を一休みさせてはくれないらしい。

 やれやれと肩を竦めると、瑛士は足元の死骸に一瞥もくれぬまま、裏口の傍の外壁に背中を張り付かせる。

 息を殺し、気配を消し……連中が、さっきからしつこく追ってくる三人組がこの裏口に辿り着くまで、瑛士はジッと待った。

「! おい、死んでるぞ!」

「返り討ちに遭ったってのか……畜生、アイツ化け物かよ!?」

「あの顔……俺は見覚えがある」

「馬鹿、それを先に言えよ!?」

「『白狼』、『白い死神』……異名は色々ある。名前は知らねえが、とんでもねえ手練れなのは間違いねえぜ」

「……一応聞いとくけどよ、どんだけ強えんだ?」

「喩えるならジョン・ウィック級だよ、あの化け物は。たった一人でマフィアひとつ壊滅させたって噂だぜ」

「その噂なら俺も知ってる。なんてこった……エラい奴を敵に回しちまった」

「……コイツは駄目だ、脈がない。もう死んでるよ」

「外にも一人転がってる! アイツは……確か『三枚下ろしの田中』って野郎だ!」

「なんつーダセえ仇名だよ!? ……でもアイツもられてんのか」

「どう見たって死んでる! とにかくこっちに行ったのは確かだ!」

「追うぞ! 例えどんな化け物だろうが……数ですり潰せば何とかならあ!」

 裏口の傍、バックヤードの傍で死んでいる男――――初めに仕留めた方の奴を検分していた三人組が、裏口の外に転がる出刃包丁の男の死骸に気が付き、三人でこちらへと走ってくる。

 だが、瑛士はまだ待った。待って、待って、待って……そして、彼は最も効果的なタイミングで追っ手に対し逆襲を仕掛けた。

「ふっ……!」

 バックヤードから外に出てきた三人組、その最後尾の男が裏口から現れた瞬間――――息を潜めていた瑛士は、遂に動き出す。

 電光石火の如き素早さで最後尾の男の背後に回ると、瑛士は脇の下から前に回した左手、そこに握るナイフのブレードを男の左胸へと突き立てる。

「ぐは――――!?」

「浅かったか……だがな!」

 本当は心臓を突いてやるつもりだったのだが、肋骨でブレードが滑ったせいで心臓は貫けなかった。

 が、即死に至らないだけで致命傷なのは事実だ。瑛士はニヤリと不敵に笑むと、左手に握ったナイフのグリップを取っ手代わりにして男の身体を支えつつ――――伸ばした右手で、男が握っていた自動拳銃を取り上げた。

 ドイツ製のワルサーP38だ。戦後モデルのP1、アルミフレームの後期型。どうやらこの男、茶髪でロン毛のチャラついた見た目に似合わず、随分と古風な趣味をしているようだ。

 痛みに喘ぐその男が思わず取り落としそうになっていたワルサーP38。その銃把を右手で引っ掴んだ瑛士は、男の右脇越しに伸ばした右手で大雑把に狙いを定め……残る二人に向かって発砲する。

 アンティーク拳銃の銃口が火を噴き、続けざまに放たれた九ミリパラベラム弾が残る二人の身体をズタズタに引き裂いた。

 ワルサーP38の装填数は八発。その全てを撃ち尽くし、古い拳銃が彼の右手の中でホールド・オープン状態を晒した頃……この場で立っている者は瑛士と、そして彼に拘束されたロン毛の男以外には誰一人として居なかった。

「一丁上がり、っと」

 弾切れを起こしたワルサーを投げ捨てて。すると瑛士は今の今まで拘束していた男の首を、胸から引き抜いた左手のナイフでサッと撫でてトドメを刺す。

 頸動脈の切断面から噴水のように血を吹き出して男が倒れるのに目もくれず、瑛士は残る二人……彼が奪ったワルサーで撃たれ、地面に蹲る二人の方に視線を落とす。

 片方は既に事切れていた。だがもう片方の方は、運良くまだ生きている。

「ち、畜生……」

 生きている方の男が、撃たれて血の流れる腹を押さえたまま蹲り、恨めしそうな眼で瑛士の顔を見上げた。

「俺をしつこく追っかけてくるからそうなるんだ。しつこい男は嫌われるぜ?」

 そんな男を見下ろしながら、瑛士は薄い笑みを湛えながら彼に歩み寄り。蹲る彼の身体を蹴り飛ばして地面に転がすと、足元に落ちていた自動拳銃……恐らくは今蹴られた彼が持っていた物をおもむろに拾い上げた。

 キンバー・エクリプスカスタムⅡ。瑛士の愛用するシグ・ザウエル製と同じ四五口径の1911クローンだ。スライドとフレーム、黒染めボディの側面だけを丹念に磨き上げた外見は美しく、それでいて実用性も十分。磨かれた白銀の側面と黒染め部分とのコントラストが美しい、高品質なキンバー製1911らしい洒落たデザインの自動拳銃だ。

「へえ、意外に良い趣味してんじゃん」

 そんなキンバーを拾い上げた瑛士は、銃の状態を軽く検分しつつ感心したように唸る。実際、1911マニアである彼のお眼鏡に適うぐらいにセンスの良いチョイスだ。

 左手で銃把を握ったまま弾倉を軽く抜き、残弾を確認してからまた戻し。次にスライドを小さく引いて装填状況も確認すると……四五ACP弾が薬室に装填済みだったその銃を、瑛士は片手で眼下の男に突き付けた。

 ――――――いつしか、小雨が降り始めていた。

 真夜中の南青山、裏通り。しとしとと降り注ぐ細い雨に肩を濡らしながら、瑛士と名も知れぬスイーパーの男とが睨み合う。

 雨に濡れた銃のスライド、ギラリと側面の銀色を妖しく煌めかせる、元は自分の愛銃だったキンバー・エクリプスカスタムⅡ。その太い銃口に至近距離から睨まれた男は、声すら上げられないままに冷や汗をかく。

「此処がお前の終着点デッド・エンドってワケだ」

「やめろ……! 俺はもうお前から手を引く! 相手があの『白狼』だと知ってたら、こんな馬鹿な真似はしなかった……!」

「駄目駄目。お気の毒な話だけどよ、逃がすワケにはいかねえんだよなこれが」

「た、頼む!」

「頼まれたって駄目なの。……んじゃま、お別れだ。相手が俺で、アンタも災難だったな」

「やめ――――」

 男が次の命乞いの言葉を紡ぎ終える前に、瑛士は引鉄を絞っていた。

 ズドン、と四五口径の重苦しい銃声が、小雨の降る南青山の路地裏に木霊した。

 蹴り出された金色の空薬莢が、小さな水溜まりに落下する。微かな水音を立ててその空薬莢がアスファルトの地面に転がる頃、瑛士が左手で構えたキンバーの銃口が睨む先では、眉間を四五口径に穿たれた男が仰向けに倒れ、事切れていた。

「これで、一段落か……」

 銃を構えた左手をだらんと下ろし、瑛士はふぅ、と小さく息をつきながら頭上を見上げる。

 摩天楼の合間から見える夜空を、分厚い雨雲が覆っていた。この分だと雨は更に激しさを増すだろう。きっと、この雨は夜明けまで止まない。

 身体にこびり付いた血と硝煙の匂いを洗い流すかのような、そんな小雨に打たれながら。瑛士がぼうっと頭上を見上げていると……遠くから、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。

 当然ながら、そのサイレンはこちらに近づいてきている。数は……判断しきれないぐらいの数だ。きっとパトカーだろう。銃撃戦があったと通報を受けた警察が大挙して押し寄せてきている、その何よりの証拠だった。

「俺もさっさとズラからにゃ、面倒なコトになっちまうな」

 遠くから近づいてくるサイレンの多重奏を聴きながら、瑛士がそんなことを思っていると。すると――――彼が立つ裏路地のすぐ傍。細い横丁に急ブレーキを掛けて滑り込んでくる、純白のマシーンの姿を彼は横目で捉えていた。

「――――マスター!」

 それは玲奈と、彼女の運転するNSX‐Rだった。

 さっき玲奈にパーキングから取ってこいと言っておいた、瑛士の愛車だ。裏路地で佇む瑛士の姿を見つけた玲奈は車を急停車させると、運転席から降り。腰から抜いたマニューリンの銃口をあちこちへと這わせつつ、瑛士に危険が及ばないようにと周囲を警戒してくれる。

 ――――実を言うと、この場所こそが事前に打ち合わせていた、不測の事態が起こったときの合流ポイントだったのだ。

 瑛士があれだけ街中を派手に逃げ回り、わざわざカフェに飛び込み、裏口から逃げて……そしてこの路地裏で追っ手に逆襲を仕掛けたのも、全て計算ずくの行動だったというワケだ。面倒な追っ手をある程度始末して、そして玲奈と合流しこの場から逃げ延びる為に、瑛士はこの場所まで走ってきたのだった。

「良いタイミングだ、玲奈! お利口さんには後でご褒美をあげなくっちゃあな!」

 すぐ傍の通りに滑り込んで来た、そんな玲奈とNSX‐Rを見た瑛士は小さく笑顔を見せ。サム・セイフティを掛けたキンバー……さっきの男から奪った拳銃をジーンズの前へ雑に差し込むと、彼女と愛車の元に駆け寄っていく。

「……マスターがくれるご褒美、とても楽しみ。でも、今は早く!」

「ああ、分かってるってえの!」

 玲奈に周囲を警戒して貰う中、瑛士は開けっ放しだったドアから運転席へと飛び込み。そして純白のボンネットを身軽に乗り越えた玲奈が助手席に座ったのを見て、瑛士はギアを一速に入れると、すぐさまNSX‐Rを急発進させる。

 軽く後輪が空転するぐらいの勢いだ。空転した後輪が激しい水飛沫を上げる中、発進したNSX‐Rは細い横丁を猛然とした勢いで突き進み、そのまま青山通りの方まで出ていく。

 青山通りに出てからは、敢えてスピードを落として他車の群れの中に紛れ込んだ。急いでいるからってあまり攻めた走り方をすれば、却って目立ってしまう。警察の厄介になる前にこの場を逃げ出したいのなら、大勢の中に紛れ込んでしまうのが一番だ。

 そうして、のんびりとした巡航速度で青山通りを流していると。やがて中央分離帯を跨いだ対向車線に、サイレンを鳴らし赤色灯を回して走り抜けるパトカーの大群が現れた。

 何十台という物凄い数だ。すれ違う白黒パンダの警察車両が大慌てで対向車線を突っ走っていく光景を横目に見ながら、瑛士はニヤリとほくそ笑んでいた。

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