禁断の地下室

 グレナデンは、ここ何年もフィリックスの居所きょしょを訪れていなかった。放っておいても向こうから来てくれるのだから、手狭なフィリックス宅へわざわざ足を運ぶ必要がなかったのだ。

 久方ぶりの訪問が、同志を伴っての『押し入り』になるとは、つい数時間ほどまで想像さえしていなかった。


 フィリックスの屋敷は、すでにもぬけの殻だった。

 ルパートの裏切りなど、とうに予期していたのだろう。彼が列挙した『裏切り者』たちも、いつの間にか石榴館せきりゅうかんから姿を消していた。


 罪を密告するのなら、仲間に悟られぬように慎重を期すべきだろうに、まったくルパートという男は救いようのない無能だ。

 いや、むしろ泳がされていたのかもしれない。ルパートがグレナデンを引き付けているわずかな間に、ネズミのように逃げ出したのだろう。その証拠に、邸内はひどく散らかっていた。


 しかし、なによりも驚いたのは、庭に造られた立派な菜園だった。根菜に葉物、小さな林檎りんごの木まである。どれも良い具合に成長し、収穫されるときを待ち望んでいた。ここが人間の耕した畑だったら、素直に出来栄できばえを賞賛していただろう。


 しかし、カルミラの民は人間のような食事を必要としない。嗜好品として楽しむ程度だ。ゆえに、ここまで多彩かつ広範囲の菜園など無用の長物。収穫物を売って金に換えるほど、貧窮しているはずもない。


「それらの作物は……我々の血で育てたものだ」


 ルパートが怯えながら事実を告げる。彼は、同行した石榴館せきりゅうかんの同志たちに汚らわしいものを見るような目を向けられ、たいそう縮こまっていた。もちろん同情など感じない。

 聞いてもいないのに、ルパートはぺらぺらと喋り出す。


「加熱調理すれば無毒になるのでは……、なんらかの薬草と混ぜれば毒が中和されるのでは……、最初はごく微量を与え、徐々に量を増やしていけば耐性ができるのでは……、耐性ができれば、それはもはや超越者と呼んで差し支えないのでは……。そんな調査のために作っていた」

「……そうか」


 グレナデンは拳を震わせながら、ただ一言だけ発した。それらの仮説を実証するため、一体どれだけの人間が犠牲になったのか。


納屋なやの奥に、地下室へ続く階段がある。そちらも……見るか?」


 ルパートの顔が蒼白になっているのは、地下にどんなものがあるか、嫌というほど知っているからだろう。


「ああ、案内してくれるか」


 努めて平静に促すと、ルパートは背中を丸めてとぼとぼと歩み出した。

 陽気な洒落者しゃれものだったが、今は見る影もない。己の保身のために仲間を売り払う小心者だと露呈してしまった。今後の立ち回りを誤れば、彼はアルバス国内での居場所を失くすだろう。

 グレナデンの知ったことではないが、それでも貴重な協力者として、手元に置いておかねばならない。


 グレナデンは、五人だけ引き連れて地下へと向かった。

 階段をくだりながら、遠い昔、実父を殺害したときのことを思い出していた。


 あの時も、幾人かの仲間を伴って、隠された地下室へと向かった。そこにフィリックスもいた。彼に支えられながら、徐々に濃くなる血の臭いに足を震わせながら進んだ。


 最奥さいおうの扉を開け、凄惨な光景を見たとき、くずおれてしまいそうになったが、そのときに肩を貸してくれたのもフィリックスだった。

 彼がいたからこそ、無辜むこの人間らを虐殺していた父をちゅうすることができた。そのあと、罪の重さに潰れてしまわずに済んだ。


 今も、背後にいるのは付き合いの長い同胞たちだ。だが、心から信じていいのかわからない。もしかすると、ルパートが把握していない裏切り者がいるかもしれない。地下室にたどり着いた途端、襲われるかもしれない……。


 石榴館せきりゅうかんという大層な派閥を立ち上げ、大勢の同志を集めておきながら、結局のところ、グレナデンにはフィリックス以上に信頼のおける存在がいなかった。もちろん従者たちは別格だが、有事の際、背中を預けられるわけではない。


「グレナデン殿」


 穏やかな呼びかけの主は、エドマンドだった。


「お気を確かに」

「……ああ」


 ずっと年下の青年の激励は、どんな薬よりもグレナデンの心を落ち着けてくれた。エドマンド自身も、小さく震えているというのに。


 地下室の扉は、厳重に封印されているとか、錠が掛けられているとか、そういうことは一切なかった。造りも軽薄で、施錠されていたところで簡単に蹴破ってしまえそう。

 隙間からは冷えた空気が漏れてきており、状況と相まって、非常に心胆を寒からしめた。しかし、血臭のようなものは感じられない。


 誰も彼も、その『禁断の門』を開こうとはしなかった。皆一様いちように、足をすくませている。

 グレナデンは己を奮い立たせ、扉へ手を伸ばした。気の抜けた音を立てて、あっさりと扉が開いていく。


 目配めくばせし合ってから、一斉に踏み込み、オイルランプをかざした。


 そこは部屋というより、洞窟といった風体だった。ひんやりとした岩肌に囲まれており、空気も澄んでいる。思いのほか広大なようで、深部まで見通すことができない。


「なにもないな……」


 誰かが拍子抜けしたようにつぶやいたが、すべてを知るルパートは震えている。


「ここでなにが起こっていたか知りたければ、奥へ行け。私はここで待っている」


 しかし、誰もそれを許さなかった。数人に小突かれ、ルパートは半泣きで歩を進める。

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