人体実験
「フィリックスって?」
ラスティは小声でシェリルに尋ねる。
「ええと、ラスティ様はお会いになっていませんか?
「ああ、そんな人、いたなぁ」
ハリーとエドマンドたちが争ったあの日、最後に颯爽と登場し、ハリーを尾行するだかなんだか言って、さっさといなくなった男。結局、尾行は成功したのだろうか。だったら今頃、ハリーは……。
「そんな馬鹿な!」
室内に漂う重い空気を、ヴィオレットの鋭い声が切り裂いた。
「グレナデンとフィリックスは、相当長く、親密な付き合いを続けてきたはずだ。グレナデンが父親を殺したときも、友として付き添っていたと聞いている。消沈するグレナデンを慰め、立ち直らせ、
信じられないといったふうに目を見開きつつ、徐々に語勢が弱まっていった。
苦々しく顔を歪めたチャールズが答える。
「そもそも、二人の主目的は大きく違っていたらしい。グレナデンは、カルミラの民全体の規律を正すことが第一目的。その副次目的として、一族全体の繁栄を掲げていた」
そりゃご立派なことで、あの厳めしい男らしいな、とラスティは素直に感じ入った。反面、プライドが高く自由奔放なヴィオレットがあの男を嫌う理由も理解できる。
チャールズは険相を崩さず話を続ける。
「しかし、フィリックスはその逆だったらしい。カルミラの民の
「ちょっと待て。どうして身を隠す必要が? しかも、カルミラの民を繁栄させるなんて、一個人がどうやって?」
ヴィオレットは
「ここからが、ちょっとアレな話になるんだが……」
『アレな話』などという言い方をされると、緊張感が薄れる。しかし彼の声は暗い。
「ここ最近、女子供が殺される事件とはまた別の殺人が起こっているんだ」
「……我々の血を使った毒殺事件か」
ヴィオレットが口を挟むと、チャールズは愕然と目を見開く。
「知っていたのか」
「私が
「ああ、そういうことか……」
納得したようにつぶやいてから、チャールズは続けた。今までのどの言葉よりも一等、深刻な声音で。
「その事件の主犯こそ、フィリックスではないかと言われている」
「なん……!」
ヴィオレットは驚倒のあまり腰を浮かせたが、すぐに脱力したように座り込んだ。背もたれに全身を預け、強張った顔でチャールズを見つめる。隣のシェリルも、蒼白になって口元を押さえていた。
「フィリックスの屋敷で、見つかったんだ。立派な『家庭菜園』がね」
チャールズの言葉には、嫌悪感がたっぷり含まっていた。ラスティも同様の気分になる。
「奴の目的は、やはり金か? 毒を孕んだ植物を人間に売り渡し、カルミラの民を繁栄させるための資金集めをしているということか?」
驚愕から立ち直ったヴィオレットが尋ねる。しかし、チャールズは首を横に振った。
「彼の目的は……どうやら『実験』らしいんだ。人間に対する、我々の血の致死量を知る実験。そしてさらに――」
男の眼光が鋭くなる。
「超越者の量産、だ」
『超越者』と聞いて、ラスティは一瞬どきりとした。自分の正体が知れているのかと、思わずまじまじチャールズを見つめてしまったが、彼はヴィオレットだけを視界に捉えている。
一方のヴィオレットは、肘掛けの上で拳を震わせていた。顔いっぱいに、強烈な怒りをたたえて。
「なんという、愚行を……」
震える声は、ぞっとするほど低い。対面のチャールズも、わずかな怯えを見せるほどだった。彼はごくりと喉を鳴らしたあと、ゆっくりと続ける。
「フィリックスは、『超越者』を生み出すため、めぼしい人間に己の血、もしくは菜園の収穫物を与えているらしい。いたずらに死者を増やす結果になっているが……」
チャールズはそこで言葉を切って、口元を固く結ぶ。目線をさまよわせ、なにかを言い淀んでいる様子。
やがて、彼の口角がつり上がった。それは、『笑ってでもいないとやっていられるか』といったような、自暴自棄のあらわれのようだった。
「それだけじゃないんだ。もっと陰惨な、吐き気を催すような話がある」
「……言ってみろ」
ヴィオレットが促す。隣のシェリルは、聞きたくないと言わんばかりに身を縮こまらせていた。
「フィリックスの屋敷には、隠された地下室があったんだが……」
一呼吸おいて、チャールズは言う。
「大勢の人間を拉致し、聞くもおぞましいような人体実験を行っていたらしい」
「な……ッ!!」
ヴィオレットが憤怒の形相で立ち上がった。華奢な肩を覆っていたショールが、はらりと椅子に落ちる。
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