手紙
『私の愛しいヴィオレット。
七日間もあなたに会えないなんて、神はなんと残酷な試練をお与えになったのでしょう。
神は人に、耐えられない試練はお与えにならないそうですが、私には到底耐えられそうにありません。
ですが、あなたはお約束くださいましたね。再会の日、まっさきにくちづけを与えると。ですから私は、『命の冠』を受け取るに相応しい男になるでしょう。
あなたが私の隣にいないとき、誰とおしゃべりをして、どんな食事をして、何時に床に就くのか、私はあらゆる想像を働かせます。
きっと、いけない想像もしてしまうでしょう。
あなたが身に着ける肌着の色や、独り寝の夜にどんな吐息をこぼすのかを。
それらのことを知る機会を七日も失うなんて、私にとっては本当に残酷な仕打ちです。
もう一度念を押すことをお許しください。
まっさきに、くちづけをお与えくださいね。
あなたをこの世で最も愛する者より』
ヴィオレットはホテルのベッドに寝転がって、ハリーから届いた手紙を何度も読み返していた。
流麗な文字で綴られた大仰かつ熱烈な恋文。執着的でもある。ただの世辞ではなく、本当に文面の通りのことを考えていそうだ。
ヴィオレットは込み上げてきた感情のまま、表情を緩ませた。そしてまた読み返す。
前半と後半でまるで人格の異なる文面は、ハリーなりの遊び心なのだろう。
ハリーはあまり信心深い
それに、ハリーはもう知っているはずだ。ヴィオレットが無信仰者であること、そして、高潔なだけの男は好かぬということを。だから、後半にいささか露骨な文言を綴ったのだろう。
そんな彼の抜け目ないところも、ヴィオレットにとって魅力的だった。
そのハリーは一昨日から、所用でリュテス市を離れている。家族に関わる用事だそうだ。
最初に顔を合わせてから
本当は、行くなと言いたかった。この私の元を一週間も離れるなんて、許し難い、と思った。
ハリー自身も、行きたくないとぐずぐず駄々をこねていた。
けれど行かせてやらねばならなかった。
これが、ハリーと家族の最後の面会になるだろうから。
ヴィオレットは、ハリーを我が物にすると決めていた。いつからそう思っていたのかと問われれば、ちょっと答え難い。
今思うと、初めて会った日にはもう夢中だった。
彼に身を委ねたときには、すでに決断していた。こんなにも得難い存在を、捨て置いてたまるかと思っていた。
胸の内にある感情が、独占欲や、ましてや単なる吸血欲からくるもだけのものではないとわかっていた。
ときに抑え切れぬ激情を、ときにあふれんばかりの幸福をもたらす感情。これが『愛』だと、わかっていた。
一緒にいると、心が躍って仕方ない。
今だって、彼のことを想うと胸がじわりと熱くなる。
同時に、今すぐ彼の元へ馳せ参じ、曲がり間違っても浮気などしていないか、確認したくてたまらない。ヴィオレット以外の女とおしゃべりできないよう、口を縫ってやるべきだった。男用の貞操帯ってあったかしら、なんて考えてしまう。
もっと早く従者にすればよかったのだ。
でも、彼と一緒にいると、時間の流れがあまりに早かった。気付いたらもうお別れの時間。
吸血欲よりも、『恋人』として、情熱的な時間を過ごすことが優先された。こんなこと、初めてだった。
──宵闇の女王と呼ばれる女が、若い娘のように初めての恋にのぼせ上っているなんて、とっても滑稽だわ。
従者たちにも言われてしまった。
『ヴィオレット様がいつから恋をしてらっしゃったのか、今はどれほど強い愛を抱いているのか、わたくしたちにはわかっておりますよ』と。くすくすと笑いながら。恋焦がれる少女が、仲間内でからかわれるみたいに。
ヴィオレットは、火照った頬に冷たい指先を押し当てて、必死に冷やした。
落ち着きを取り戻したあと、枕元に置いてあるもう一通の手紙へと手を伸ばす。
それは、ヴィオレットの不在中、エドマンドが置いていったものだ。
急ぎの用件だったら、従者へ言付けをするはず。わざわざ手紙をしたためて寄越すなんて、一体全体、どんな用件なのやら。
ヴィオレットは訝しがりながら、手紙を開封する。
『小さく可憐な紫の花の君へ』
手紙はそんな文言から始まっていた。
ヴィオレットは、己の名前をスミレに
それを知らないエドマンドではあるまい。故意にそう呼び掛けているのだ。
放置されていることが気に食わないからに違いない。
ヴィオレットはむしゃくしゃしながら続きを読んだ。ハリーに負けず劣らず、流麗な文字が並んでいる。
『君が運命の相手を見つけたことを、祝福します』
素直な
エドマンドにハリーとのことは話していなかったが、彼なりに察したのだろう。
『のろけ話を聞かせたいのなら、シルヴィアの淹れた紅茶と、ケイティの焼いた菓子を準備しておいてください』
なるほど、仲介者であるエドマンドを放置した借りは、茶と菓子で返せということらしい。
これは彼なりの気遣いだろう。
手紙はまだ続いていた。
『ハリーが君の素性を疑問に思い始めている。
暗示をかけておいたが、長くは持たないだろう。
彼とこのまま『人間』として付き合いを続けるのなら、ゆめゆめ油断しないよう』
最後の言葉は、厳しいものだった。夢見心地だったヴィオレットは、一気に現実へと引き戻された。
どうやらエドマンドは、ハリーと会ったらしい。そしてヴィオレットの素性について尋ねられたようだ。
カルミラの民の瞳に宿る、人間を惑わす術でうまく誤魔化してくれたらしい。
それには感謝せねばならないだろう。
──お前に言われずとも、ハリーと『人間』としての付き合いを続ける気はない。
リュテス市も十分満喫したし、そろそろ自邸へ帰るべき頃合いだろう。
あの美しい青年を、同胞たちに見せびらかしたい。きっとみんな羨ましがる。
まだ見ぬ光景を想像し、ヴィオレットは深い笑みを浮かべた。
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命の冠:『試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。』
ヤコブの手紙1章12節より
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