私が街を歩けば

 エドマンドとヴィオレットが、故郷から遠く離れたリュテス市を『遊び場』に定めたのは、三月みつきほど前のこと。洗練された大都会で、生国との差に驚いたものだった。


 ヴィオレットはいまいち馴染めないでいたようだが、『女が美しく活き活きとしているから、それだけで十分』などと言って、なんだかんだ楽しんでいるようだった。

 早々にセーラという名の少女を従者にしてしまった。


 一方、人間に混ざって社交界で遊びまわっていたエドマンドは、一人の美しい青年と出会った。

 金色の髪を長く伸ばして三つ編みにしたその青年は、多くのご婦人方に注目され、男どもには嫉妬と羨望の目を向けられていた。


 どこの貴公子かと思えば、商人の息子だという。

 エドマンドにとって、利己心や吸血欲を抜きにしてお近づきになりたいと思った人間は、彼が初めてだった。


 名を、ハリー・スタインベックと言った。


***


 ヴィオレットとハリーを引き合わせる、約束の日がやって来た。

 ヴィオレットはいかにも気乗きのうすだったくせに、従者数名を連れて市内のホテルに部屋を取り、昼過ぎから入念な準備を始めた。


 夕刻、エドマンドは馬車を拾い、ヴィオレットを迎えに行ったのだが――。


 ホテルのエントランスに現れた彼女は、神々しいまでに美しかった。


 エドマンドはぽかんと口を開けて、陶然と見惚れた。周囲の人間たちも同様の表情をしている。

 ヴィオレットの美貌はそれなりに見慣れたものと思っていたが、流行のファッションに身を包んだ彼女はエドマンドの知らない魅力にあふれていた。


 緑髪くろかみをコテで巻いて結い上げ、前髪は中央で分けて顔の横に垂らしている。

 白のシュミーズドレスには花の刺繍が散っており、裾はレース飾りで足首を透けさせていた。


 スクエアカットの胸元から覗くデコルテラインは息を呑むほど美しい。いつもは嫌っているコルセットで胸を押し上げているらしかった。

 ヴィオレットの乳房に、ここまでくっきりした谷間を生むような可能性ポテンシャルがあったことに驚きを隠せない。


 華奢な肩に毛織物のショールをまとい、首にはカメオのネックレス。

 先の尖ったフラットシューズにはスパンコールの飾り。

 これらの装飾品だけで、小さな邸宅が購入できることだろう。

 化粧は薄め、かつ色白ブームのため、元々蒼白の肌のヴィオレットにとってはたいそう都合がいい。


「ヴィー、すごく似合っているよ。すごくきれいだ。すごくびっくりした」


 驚倒きょうとうのあまり、そんな幼稚なことしか言えなかったのが歯がゆい。ヴィオレットは、当然でしょう、というようにつんと澄ました顔をしていた。


 エドマンドがハリーとの待ち合わせ場所に選んだのは、国立劇場の桟敷さじき席だった。

 馬蹄形ばていけいの劇場の両サイド、一段高いところに造られた個室ボックスタイプの席で、壁に囲まれているから舞台の四分の一ほどが見えないし、音も通りづらい。


 実際のところ、鑑賞よりもプライベートな交流を目的とした席だ。

 椅子は前面に二脚、後方に二脚置かれている。


 前面の椅子に腰を据えたヴィオレットは手すりから身を乗り出し、物憂げな表情で客席を見渡し始めた。

 見られている者たちもまたヴィオレットを注視し、あれこれと囁き合う。


 桟敷席は決して私的空間ではなく、ここに座す者もまた『見られる立場』に在る。

 劇場とは芸術を鑑賞するだけの場ではなく、為人ひととなりを値踏みするための貴人の社交場なのだ。


 エドマンドは、ヴィオレットがこれでもかと着飾っている意図をようやく察知した。

 もしハリーに気分を害されるようなことがあれば、ヴィオレットは衆目の前で彼を冷遇するつもりなのだ。

 幼馴染と、友人と、仲良くおしゃべりしながら歌劇鑑賞というわけにはいかないかもしれない。

 どうしたらうまく仲介できるだろう。絶対に、気が合うと思うのだけれど。


 種族は異なれど、エドマンドにとってかけがえのない者同士、懇意にして欲しかった。そんな願望を抱いてしまったことが間違いなのだろうか。


 エドマンドは腕組みして渋面を作っていたが、席のあちこちから顔見知り――もちろん人間の――が手を振ってくるため、こちらも愛想笑いして手を振り返しておいた。

 後々、『同伴しているあの美女は誰だ』と問い詰められることだろう。面倒だから、今日限りこの街ともおさらばしてしまおうか。


「その男はいつやってくるの?」


 ヴィオレットの声音は退屈そうだったが、口元は笑みの形につり上がっている。自分の美しさを周囲に誇示するための艶麗な笑みだ。


 エドマンドは懐中時計を確認した。約束の時間から五分ほど過ぎてしまっていたが、ヴィオレットに悟られないよう穏やかに笑う。


「ぼくたちが早く着き過ぎた。ちょっと迎えに出てくるよ」




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私が街を歩けば:プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」より。恋人を挑発するため、自分の美しさを誇示する歌。「私が街を歩くと、みんなが注目するの!」みたいな歌詞です。

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