凶行
蒼白になって
ハリーがシェリルの首を掴んで、高々と持ち上げていた。
シェリルは苦悶の表情を浮かべてハリーの手首を押さえているが、込められている力は非常に弱々しく見えた。
「セーラ、まさか君にここまでしてやられるとは思わなかったよ」
血と泥に汚れながら、ハリーはさも愉快そうにくちびるをつり上げていた。
「動くなエドマンド」
霧になろうとしたエドマンドを、ハリーがすかさず牽制する。再び悪化した状況に、エドマンドはただ叫ぶことしかできなかった。
「やめろ、ハリー! これ以上シェリルを傷付けるな!」
「はは、エドマンド。その物言いは不正解だ。ここは、地に這いつくばって
これ以上なく悪辣な物言いをしたハリーは、次にフレデリカを見た。忠犬を褒めるように、柔らかく微笑む。
「フレデリカ、よいタイミングだったね。まさしく、
「……違……っ、やめて……、どうしてぇ……」
フレデリカは弱々しく嘆いて、何度も頭を横に振る。彼女に害意や敵意がないとわかっていても、エドマンドは恨みがましく思わずにいられなかった。手にした剣をフレデリカの喉元へ突きつけ、人質にしようか逡巡する。
だがそれをしてしまったら、ハリーと同等のところまで堕ちる。
いや、いっそそうしなければ、あの男と対等に渡り合うことなどできはしない。
「ハリー、やめろ。シェリルの命を守るためなら、ぼくも残虐になる」
フレデリカの首へ切っ先を向けると、少女は『ひっ』と詰まった悲鳴をあげた。
か弱い乙女の悲痛な声に、エドマンドの心はひどく痛んだ。他人の従者に凶器を向けて脅すなど、カルミラの民の矜持を穢す行為だ。
ただでさえ温和な性格のエドマンドにとっては心痛
エドマンドの弱さと甘さはハリーにはお見通しなのだろう。ただただ笑んでいる。左右で色の違う瞳には、侮蔑がありありと浮かんでいた。
どうする、とエドマンドは己に問うた。
こちらも、フレデリカの細い
いいや、そんなことできない、したくない。だが、やるしかないのか。
「エド……やめ……」
か細い声を発したのは、シェリル。自らは悲惨な状況に陥りながらも、彼女の目は優しかった。
『柄にもないことをするな』とエドマンドを制しているようだった。同時に、怯えるフレデリカを案じているようだった。
憂慮に満ちたシェリルの瞳は、ハリーへも向けられる。
「ハリー……、おまえ」
絞り出されたシェリルの声に、恨みつらみは含有されていなかった。
「……わたしを、……か、ば――」
シェリルの言葉は、半ばで途切れた。ハリーが無言でシェリルを地面に叩きつけたからだ。
「シェリル?!」
突然の凶行に、エドマンドは愕然と叫ぶ。
ハリーは間髪入れずに右足を高く上げて、一切の
鈍い音が鳴る。
シェリルはカッと目を見開き、数拍の間のあと、大口を開けて絶叫した。
痛々しい少女の悲鳴が瓦礫の合間を抜けていく。
しかしハリーは
「ちょっと骨が砕けた程度、なんてことないだろう。私の背中の傷よりは早く治るかもしれない」
ハリーの言う通り、カルミラの民が強い害意を以って付けた傷は容易に快癒しない。ことさら、血で造られた武器による傷は。
眼前で起きた惨事に、エドマンドは我を忘れそうになった。
しかしハリーの目線がエドマンドの行動を牽制する。今攻撃を加えるのなら、シェリルをさらに痛めつけてやると、陰鬱な色をたたえた
怒り、悲しみ、無力感。様々な感情がエドマンドを責め
かといって、傍らのフレデリカに同様のことをしてやろうなどと微塵も思わなかった。そんな度胸はなかった。
そのフレデリカはといえば、『姉』と呼び慕ったシェリルが苦痛にのたうち、喘ぐさまにひたすら怯えている。呼吸が短く早くなり、悲鳴をあげることさえできないようだ。
「やめてくれ、ハリー!」
とうとうエドマンドは懇願した。愛しい幼馴染の従者のためならば、いくらでも怨敵に媚びへつらってやる、そう覚悟を決めて。
しかし、冷たい目をした青年には届かなかった。
ハリーは軽々とシェリルを持ち上げると、手近な瓦礫の山めがけて放り投げた。壊れた人形を窓から投げ捨てるような気軽さで、けれど渾身の力が込められていることは、肉体の動きからして明らかだった。
石の残骸はシェリルを一片の優しさもなく受け止め、おぞましい衝突音を響かせた。
全身を強かに打ち付けたであろうシェリルは、二言ほど呻いたあと、ぴくりとも動かなくなる。
口の周りはすでに血まみれだが、新しい血が一筋こぼれた。口の中を切っただけならばいいが、内臓が傷付いているのかもしれない。
踏みつけられた左
「うわあああああっ! ハリぃぃぃっっ!」
どうして
しかし、エドマンドの切っ先が怨敵へ届くことはなかった。
背後から右脚に強烈な衝撃を受けて、前のめりに倒れる。次いで左脚にも同等の一撃。
フレデリカの甲高い悲鳴が耳に届いた。
灼熱感のあと、脳天を貫くような激痛。
エドマンドは顔をくしゃくしゃに歪め、終ぞ出したこともないような叫び声をあげた。
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