少女の覚悟、少女の悲鳴
シェリルの身体がぐらりと揺れると、すかさずハリーが抱き留めた。
エドマンドは最初、ハリーがシェリルへ危害を加えたのだと思った。しかしハリーは顔いっぱいに動揺を浮かべ、シェリルの口内に指をねじ入れる。
その動作で、エドマンドもはっと気付く。
シェリルは、ハリーの呪縛から逃れるため、己の誇りを守るため、舌を噛んだのだ。
「この……きたない、けだもの、め……っ」
口から血を噴き散らしながら、シェリルはハリーを罵る。眉は苦痛に歪んでいたが、目元はしっかりとハリーを睨み据えていた。
「セーラ……きみは」
悲痛な表情でなにかを言おうとしたハリーだったが、その顔が驚愕に固まる。
脱力し、ハリーに身を
「つ、かまえ、た」
「っう……」
渾身の力で肉体を圧迫されているハリーは、顔をしかめて苦鳴を漏らした。実体の状態で拘束されると、霧になってもすり抜けることはできない。
しかも、ハリーの右の親指は赤黒く変色していた。シェリルの口腔に突き込んだときに噛み潰されたのだろう。
「エドマ……! わたしごと……!」
血まみれの口元で、シェリルが叫ぶ。
唖然としかけていたエドマンドだったが、シェリルの意図を察してすぐさま攻勢に出た。
血の剣を握り締めると肉体を霧に変え、放たれた矢の如くハリーへと突撃する。
シェリルごと刺し貫く気は毛頭ないが、加減をする気も一切なかった。多少シェリルを傷付けたとしても、ここでハリーを仕留める。
ずっと年下の少女が凄絶な覚悟を見せてくれたのに、エドマンドが
しかし、剣が獲物を仕留めることはなかった。
ハリーは
だが、切っ先に肉を引っ掛けた感覚はあった。
霧を追撃しようと思ったが、シェリルも霧化しており、ハリーと混ざり合ってしまっている。その状態で斬りつけることはさすがにできず、視線で追うに留めておいた。
上空に逃れようとするハリーをシェリルが牽制しているようだ。シェリルも相当疲弊しているはずだが、その執念には感服する。
同時に、ほとんど無傷の自分がたいそう不甲斐なかった。本来なら、逆でなければならなかった。
エドマンドは目線をハリーたちへ向けたまま、眠りこけるラスティの傍らににじり寄った。ハリーがラスティから離れたのは非常に好都合だった。また人質にされないようにしなければ。
「くそっ、起きろ!」
呑気に寝息を立てているラスティの肩を蹴ったが、うんともすんとも言わなかった。すっかり熟睡しているようだ。
苛立ちながらもエドマンドはふと思う。ハリーはなぜ、ラスティを眠らせるだけに留めたのだろうか。シェリルのように操れば、三対一でエドマンドを圧倒できたのに……。
ハリーとシェリルが実体を現したため、思考を中断する。
背中に裂傷を負ったハリーは、口から下を血まみれにしたシェリルと取っ組み合っており、やがて互いに足をもつれさせて地に倒れた。
ハリーがシェリルに乗りかかる格好になっているが、上位を取ったというよりも、偶然その体勢に陥ったようだ。
双方、
やれる、とエドマンドは思った。
仇を討ち果たせる、と剣を握る手に力を込め、霧化しようとしたとき――誰かにコートの裾を引っ張られた。
裾を掴んでいたのは、フレデリカだった。
ラスティが乱入したときと同様、『こんなときに!』とエドマンドは激高しかけた。いっそ斬り伏せようかとも思った。
しかし、フレデリカの形相を認めた瞬間――すっと頭が冷えた。
少女は腰を抜かし、顔中をしとどに濡らしていた。見開かれた目からとめどなく涙をこぼし、鼻水を拭うことも忘れ、恐慌状態で震えている。
半開きのくちびるからは、荒い息と、意味を成さない言葉が漏れていた。
エドマンドは以前、悪漢に強姦されかけていた貴族の娘を助けたことがあるが、今のフレデリカはそのときの令嬢とまったく同じ表情をしていた。
今回の場合、フレデリカは被害者ではなく目撃者だが、似たようなものだ。愛を注がれ、天真爛漫に生きてきたであろう少女が初めて遭遇した惨事。
眼前で起きていることを受け入れられず、委縮し、怯えている。
エドマンドの裾を掴んでいるのも、ハリーへの攻撃を阻止しようとしているのではなく、ただ
「フレデリカ……」
この様子からして、彼女はなにも知らずにハリーに仕えていたのだろう。
子鹿のように震える少女を抱き締めて安堵させてやりたかったが、今はそんなことをしている余裕がない。きつく握られている拳を開くよりも、コートの裾を切り落とした方が早そうだ。
「トム……トムは、死んだの……?」
フレデリカはか細い声を発しながらラスティを見た。
「いや、眠っているだけだ」
エドマンドが答えると、フレデリカは子どものように泣き喚き始めた。
どうやらラスティが死んでいると
掴んでいたコートの裾を解放し、今度はラスティに縋り付いた。
「フレデリカ、ただ目を塞いで、そこにいてくれ。ぼくたちの邪魔をしないでくれ」
優しく声をかけたつもりだが、わずかな険が出たのは致し方ない。
フレデリカはおずおずと頭をもたげ、震えながらも頷いた。
だが次の瞬間、腫れぼったくなった目をいっぱいに開いて、絹を裂くような悲鳴を発する。
「やめてぇっ!!」
誰になにをやめてと言ったのか、エドマンドはすぐに理解できなかった。
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