この世のものとは思えないほど、美しいひとだった
それからすぐ、三人で霧になり、トムに先導されてセントグルゼンへ戻った。
フレデリカは、ラスティがはぐれないように腕を掴んでくれていたが、霧になる術は不得意なのか、どうも速度が遅い。途中からは、ラスティが導く形になっていた。
これではどちらが『先輩』なのやら。
一度、郊外にある崩れた建物の陰で実体化して、それから徒歩で街に入る。
「きっとすぐに、君の主人が迎えに来てくれるよ。カルミラの民と従者は、魂で繋がっているからね」
歩きながら、トムはそう言ってくれた。
だがラスティは、『うーん』と曖昧に頷くしかなかった。ヴィオレットとラスティは主従の関係ではないし、『魂で繋がっている』感覚もよくわからない。
それに、ラスティはヴィオレットの気配を追って移動したはずなのに、見当違いの場所へたどり着いてしまった。気配なんて全然当てにならないではないか。
果たしてヴィオレットは、無事に自分を見つけてくれるだろうか。先にエドマンドらに発見される可能性の方が高いのでは。
むしろ、その方がいいだろう。
ヴィオレットに『この私に手間を(以下略)』と怒鳴られるくらいなら、エドマンドに嫌味を言われた方がずっとマシだ。そうなることを祈ろう。
「本当に助かったよ、ありがとう、トム」
街に入り、大通りから逸れた道を歩きながら、ラスティは改めて礼を言う。
「それに、屋敷に不法侵入しちまって、悪かった。あんたの主人にも謝っておいてくれ。……というか、後で怒られたりしないか?」
気遣って尋ねると、トムより先にフレデリカが答えた。
「気にしなくても大丈夫よ。怒る人なんていないから」
「そうか……」
なんだか違和感のある物言いだったが、彼らが叱責されることがないのなら、一安心だ。
ほっと息を吐いて、何気なく湧き上がってきた疑問をトムへぶつける。
「あんたの主人は、どんな人なんだ?」
ラスティとしては、単なる世間話のつもりだった。けれど、トムの口元から一切の笑みが消える。目はわずかに伏せられ、微細な愁苦が窺えた。
またこの顔だ、とラスティは息を呑む。トムに対し、主人に関連したことを尋ねると、優雅な笑みが消え失せて
一方のフレデリカは、興味深そうにトムを眺めている。トムの口からどんな台詞が出てくるのか、聞きたくてたまらないようだ。
やがて、トムは小さく笑声を漏らした。
「すまない。なんと言おうか、考え込んでしまった」
彼に笑顔が戻ったことで、ラスティも気を緩めた。フレデリカ同様に、好奇の視線をトムへと向ける。
トムは露出した左目を細めて、懐かしい思い出を語るように言葉を紡いだ。
「――この世のものとは思えないほど、美しいひとだった」
「
過去形になっていることを聞きとがめると、トムは困ったように視線を泳がせ、頭を横に振る。
「いや、第一印象がそうだった、ということさ」
「今はどう思っているんだ?」
「今は――……」
それきり、トムは黙ってしまった。青い瞳がわずかに揺らいでいる。
複雑な事情があるのか、とラスティは追及をやめ、代わりに自分の話題を挙げた。
「俺も、そう思った」
「……へぇ?」
「俺も、初めて会ったとき、そう思ったんだ。この世のものとは思えないほど、美しいひとだ、と」
打ち捨てられた戦場で出会ったときのことを思い出す。漆黒の髪をなびかせ、死神のように佇んでいたヴィオレット。
死に瀕し、虫の息だったラスティが見惚れ感嘆するほど、
「ならば、今はどう思っているんだい?」
トムに同じ質問をされ、ラスティは少し考えた。それから、率直に答える。
「正直、見慣れた」
トムとフレデリカが同時に吹き出した。トムはそのまま笑い出したが、フレデリカはぷりぷりと怒り出す。
「んもう、見慣れた、だなんてとっても失礼ね! あたしがあなたの主人だったら、きっと傷付いていたわ! 殿方って、本当にデリカシーに欠けるわね! あ、ホレス様は別……」
と、頬を赤らめて身悶えした。ひとしきりニヤニヤと笑ったあと、一方的にしゃべり出す。
「あたしは、仕立屋でお針子をしていたときにホレス様と出会ったのだけれど、どこの貴公子だろうってうっとりしちゃった。物陰からこっそり見つめていたら、目が合って……」
「目が合って?」
ラスティは、上気した顔で思い出を語るフレデリカを促す。少女の目はますます輝いた。
「『
「おや、菓子に釣られたのか」
トムが茶化すと、フレデリカは
「あんたはどうなのよ!」
甲高く叫ぶフレデリカだったが、トムは取り合わなかった。『答える義理はない』と言わんばかりに澄ました顔で前を向き、足を速める。
無視される格好になったフレデリカはしゅんとした顔を見せた。まるで捨てられた子犬のようで、ラスティはつい同情心を向けてしまった。
「俺も聞きたいな」
とトムの背中へ語り掛ける。返答はなく、ごくわずかな怒りを感じた。
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