超越者はおのぼりさん

「でもラスティ様。霧へ変じる術をあんなにも容易に習得されるなんて、わたくしとてもびっくりしました!」


 背後から聞こえてくるシェリルの声は、キラキラと輝くようだった。きっと、尊敬の眼差しを赤毛男へ向けているに違いない。


「わたくし、とても覚えが悪くって、お姉さま方にいつも笑われてましたの――……」


 シェリルの語尾が落ち込んだ。話の勢いで口から出てしまったようだが、すぐに辛い思い出が蘇ったのだろう。


「『お姉さま』?」


 案の定、ラスティが聞きとがめる。エドマンドはすかさず口を挟んだ。


「まったく、本当に上手いこと『視た』ものだな」

「え?」

「ぼくが姿を霧に変えたとき、その目でしっかりと『視て』いただろう。だが、『視る』にも技量が必要だ。そんなもの、どこで学んだんだ?」


 『お姉さま』の話題を逸らすため、あえて声に苛立ちを混ぜた。物覚えのいいラスティに嫉妬をする、器の小さな男を演じる。誠に遺憾だが、シェリルのためならやむを得ない。


「ヴィーが物事を教えるなんて絶対にあり得ないし、従者は『視る』ことができないから、シェリルに教わることもできない。では、一体どうやって?」


 ならば本能的に会得したというのだろうか。一般のカルミラの民が幼少時から少しずつ学んでいくことを、この男はわずかな期間で成し得ようとしているのか?

 疑念を募らせるエドマンドに対し、ラスティはあっさりと答えた。


「以前、あんたが俺を『視た』だろう。そのとき、コツと加減を覚えた」

「なんだって?」


 思わず立ち止まって振り返ると、なんとラスティとシェリルは腕を組んでいた。一見すると、仲睦まじい恋人同士のよう。

 雑踏ではぐれないようにするための方策だということは理解できるが、エドマンドはまなじりをつり上げずにいられなかった。


 だがラスティは、エドマンドから放たれる怒気には気が付いていないようで、世間話をするような調子で説明を続ける。


「瞳に力を込めて、他人を『視る』技術があるってこと、そのとき知ったよ。あと、その技を他人に対して気軽に使ったらダメだってことも感覚的にわかった。だから俺は、霧になったあんたを視るときは三割くらいに留めておいたんだけど……問題なかったか?」


 と、申し訳なさそうに首をかしげられ、エドマンドは『ああ』とぶっきらぼうに頷いた。

 けれど内心は驚きでいっぱい。動揺を隠すように前を向いて、歩行を再開する。


 確かに、他者を『視る』技に関してはラスティの言うとおりである。

 対象者の深いところまでを見通し、秘めた情報を暴く無遠慮な技だ。女の補正下着コルセットをはぎ取って、本来のウエストサイズを暴露するようなもの。

 だから、『視る』ときは相手の許可を得るか、もしくは『深度しんど』を調整する必要がある。

 エドマンドがラスティを視たときも、『すべて』ではなく、半分程度の深度に留めておいたのだが、そのことさえも感覚的に理解してしまったのか。


 どうやらエドマンドは、『超越者』という存在を過小評価していたようだ。

 『超越者』とはせいぜい、『カルミラの民の血を糧とする』、ただそれだけの存在なのだろうと考えていた。

 人間からごく稀に『超越者』が発生するのは、数の少ないカルミラの民に新しい血を入れるための、しゅとしての生存戦略なのだろう、と漠然と推察していた。


 しかしラスティの話を聞く限り、『超越者』はカルミラの民を凌ぐ才覚を備えているように思える。

 もしくは、生来そういう力を秘めた人間だからこそ、『超越者』に成り得るのだろうか。


 思索に耽っていると、シェリルの明るい声にハッとさせられた。


「さすが、ヴィオレット様と血を分けただけありますわ!」


 ああ、なるほど、とエドマンドはなんとなく納得した。

 ヴィオレットには、源祖と始祖、。そんな彼女の血液を摂取しているからこその才幹なのかもしれない。


 だがそれは、カルミラの民の史上において、レア中のレアケースなのではないだろうか。

 始祖の名を継ぐ女と、その血を啜る超越者。二人の組み合わせは、カルミラの民の歴史に新しい一ページを作るのではないだろうか。


 以前も思ったように、そうなれば至極面白い。

 しかし、その存在がおおやけになったとき、誰も彼もがラスティを放置しておかないのでは。そうなれば、静かに暮らしたいと願うヴィオレットをさらに傷付ける結果になりはしないだろうか……。


 思考の迷路に嵌まりかけたとき、再度シェリルの声で我に返った。


「エドマンド様、あの店に寄ってもよいでしょうか?」

「ああ、もちろん――」


 振り返ると、相変わらずシェリルはラスティの腕に自分のそれを絡めていた。しかも、先ほどよりも強く身を寄せて。

 ラスティは、それが当たり前であるかのように平然としている。挙げ句、ヴィオレットよりも遥かに豊かな少女の胸は、赤毛男の肘に押されてわずかに形を歪めていた。


 エドマンドは、シェリルの空いている方の腕をさっと掴んでから、ラスティを睨みつけた。


「ぼくがシェリルをエスコートする! お前はただひたすらに、ぼくたちの背中を追って来い!」


 とっさのことに目を丸くしたシェリルが、非難の声をあげる。


「まぁエドマンド様、そんな狭量な」


 狭量、との物言いはとても胸に刺さる。確かに紳士らしからぬ態度を取ってしまった自覚は十二分にある。

 けれど、噴き出た悋気りんきは治まらない。シェリルはエドマンドのものではないのだから、行動を制限する権利などこれっぽちもない。それでも、彼女がヴィオレットの元に来てから、『末っ子』同士ずっと懇意にしてきたのだ。その仲を、新参者に引き裂かれたくはない。


「ヴィーが君たちのそんな仲睦まじい姿を見たら、嫉妬して怒るのではないか?」


 鋭く問うと、シェリルは困惑したように黙り込む。代わりに口を開いたのはラスティだった。なにかを思い出したかのように、複雑そうな顔をしている。


「ああ、それはそうだな。きっと、ヴィーにバレたら殴られる」

「……だろう。その点ぼくは、シェリルとの付き合いも長いし、ヴィーに信頼されているからな!」


 勝ち誇ったような顔をしてしまったが、いささか幼稚だったと秘かに恥じ入った。

 ラスティの腕がシェリルから離れると、エドマンドは強く少女を引き寄せ、肩を抱く。顎をしゃくって、『ついて来い』とラスティへ無言の命令を下した。


 しかしこの選択はまったくの誤りだった。には手綱をつけておくべきだったのだ。


 けれどいくら人混みの中とはいえ、大の男が迷子になってしまうなど、エドマンドにはあまりに想定外だった。

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