シェリルのお願い、ヴィオレットのお願い 2

「ぼくだって街をぶらぶらしたいし、目的が一致しただけさ。それに、最近なにかと物騒だし、護衛だと思えばいいだろう」


 エドマンドがそう説明すると、険しかったヴィオレットの表情が緩んでいく。あれこれと言葉を尽くして弁解するより、シンプルに攻めてみようと思ったのだが、どうやら正解だったようだ。

 ヴィオレットは視線を彷徨わせてなにかを考えこんだあと、


「そう言ったからには十全を尽くせ」


 とだけ言った。尊大な物言いだったが、エドマンドを頼りにしているような様子でもあった。恐らく、『なにかと物騒』の部分に思うところがあったのだろう。

 ヴィオレットの背後では、シェリルが『やりましたね』と言わんばかりにニコニコ笑っていた。

 大切な幼馴染の信頼を得られたことに、エドマンドも胸をなで下ろした。


「うん、誠心誠意、エスコートさせて頂くよ」


 だがもっとも想定外な事態は、この直後に起こった。

 こちらへ歩み寄ってくるシェリルへと手を伸ばそうとしたとき、すかさず腕をヴィオレットに絡め取られた。強引な所作ではなく、優しく包み込む淑女のような動きで。

 たおやかな女の仕草に、エドマンドの心臓がどくりと跳ねた。


「ねぇ、エド……」


 砂糖菓子のように甘い声で名を呼ばれ、エドマンドは喉を鳴らす。

 一体全体、なんのつもりなのだろう。

 シェリルの付き添いをする報酬として、キスでもしてくれるのだろうか。もしくは単なる『気まぐれ』で、子猫のように甘えてきているだけだろうか。

 どのみち、キスの一つくらいはしてくれるかもしれない。


 いや、この状況ならば、こちらからしてしまっても許されるかもしれない。

 ならば今日は、前回よりもちょっとたくさん、いろいろあれこれしちゃおうかな。


 エドマンドの胸は期待と希望に膨らんだ。


 しかし――。


「ラスも同行させて、街を見せてやってちょうだい」

「は?」


 のぼせ上っていたエドマンドの心と身体は、氷点下まで冷えた。


「お前を信じて頼んでいるのよ。ダメかしら?」

「そんな……」


 ラスティを同行させては、『事件現場を見る』という本来の目的を果たせない。そもそも、可愛いシェリルと二人きりで出掛けられると心弾ませていたのに、そこにお邪魔虫を加えたくなどない。

 首を激しく横に振り、断固拒否しようとした。


 だがヴィオレットは、子どものように甘えたままの格好を崩さない。エドマンドに艶っぽくしなだれかかり、腕にぎゅっとしがみついてくる。

 エドマンドの二の腕は、ヴィオレットの両胸の間にみっちりと埋まっていた。ささやかな二つの膨らみが慎ましやかに存在を誇示する。

 どぎまぎしながらヴィオレットを見ると、上目遣いでしっとりと見つめられ、挙げ句、優しい花のような香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

 それらすべての要素がエドマンドの理性をとろりと蕩かせ、気付いたときには、『任せておいて』という言葉が口をついていた。


「それでこそ私の大切な幼馴染だわ」


 ヴィオレットは大輪の花のようにあでやかな笑顔を見せ、エドマンドも口元を思い切り緩ませた。

 しかし、ふとシェリルを見遣れば、助平親爺を眺めるかのように呆れ果てた顔をしており、エドマンドの理性は即座に規定値にまで回復した。

 ヴィオレットも、エドマンドからするりと離れて行ってしまう。まるでもう用済みと言わんばかり。


 悲しいが、よくあることだ。毎度同じパターンに陥落するエドマンドが悪いのだ。

 でも今回、キスはもらい損ねたが、別の部位の感触は堪能できたし、それでよしとしよう。


「シェリル、街へ出たら、ラスに何着か服を見繕ってやってちょうだい」

「かしこまりました。ええと、礼装を、でしょうか」

「いいえ、あれをおおやけの場に出すつもりはないから、普段着と外出着だけで構わないわ」


 女たちの会話を聞きつつ、エドマンドはうんざりと顔をしかめた。なにが悲しくて、男の服の買い物に付き合わねばならないのか。

 シェリルがラスティを呼びに屋敷の奥へ去ると、エドマンドはヴィオレットへ詰め寄った。


「ヴィー、『任せて』とは言ったが、一つ条件がある!」

「……なんだ?」


 先ほどまでとは打って変わって、ヴィオレットはつっけんどんな態度を見せ、緑髪くろかみをぱっと後ろに払って腕組みする。


 エドマンドが出した条件、それは、ラスティが姿を霧に変える術を習得すること。昼までにそれを成し得なければ、彼は置いていくと。

 抱きかかえて街まで運搬することはできるが、まかり間違ってもヤツに対してそんなことはしたくない。シェリルにだって、そんなことさせたくない。街まで導くため、手を繋ぐことにはなるが、抱くよりはましだ。

 それに、どうせそんな短期間でできっこないとエドマンドは高を括っていた。


 しかし――あの魯鈍ろどんそうな男は、ただちにやってのけた。

 エドマンドが手本を見せた直後に。


 それは超越者ゆえの才能か、はたまた本人の実力か。ヴィオレットさえ驚いており、褒めることもせず、ただ目をまん丸にしていた。


 結局、殺人事件について調べるのは諦め、三人で市場をぶらぶらする羽目になった。


***


 ――ああ、はなはだ気に食わない。


 セントグルゼンの街の大通りを闊歩しながら、エドマンドは仏頂面をしていた。

 エドマンドの背後で、シェリルとラスティは二人きりでしゃべり通しだった。

 ラスティは目についたものに関してひっきりなしに質問をぶつけ、シェリルはたいそう楽しそうにそれに答えていた。そんな二人の笑声を背中に浴びていたら、陰鬱な気分になるのも仕方ない。


「俺はてっきり、カルミラの民の国でもあるのかと思ってたよ」


 ラスティの呑気な声に、『そんなものあるか』と吐き捨てようとしたが、シェリルがころころと笑って答える。


「わたくしだって最初は似たようなことを考えました。だって、おとぎ話に出てくる種族の方々が実在しているなんて思うはずもありませんものね。しかも、人間に混ざって街を歩いているのですよ。ちょうど、今のわたくしたちのように」

「そうだな、誰も彼も、俺たちが人間じゃないなんて思いもしないよな」


 のほほんとしたラスティの言葉を聞き、エドマンドは呆れ返った。

 よくもまぁあっさりと、自らを『人間ではない』と言ってのけるものだ。もう少し葛藤があってもいいのではないだろうか。

 あまりに楽天的で馬鹿馬鹿しく、いっそ羨望を覚えるほどだった。

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