礼儀正しい青年のために
グレナデンがフィリックスに追いついた頃、彼はすでに銀髪の青年と相対していた。往来の端に寄り、話に花を咲かせている。
青年の容貌をよく眺めてみれば、確かにオルドリッジ家の末子、エドマンドだった。様子から察するに、彼らはそれなりに親交があるらしい。
背後には、栗色の髪を肩口で切りそろえた娘が控えていた。口元のほくろが愛らしい。
会話の邪魔をせぬよう気配を消しており『よく躾の行き届いた従者だ』とグレナデンは感心した。甘やかされている従者はこういうとき、つまらなさそうに不貞腐れたり、あるじの腕にしがみついて気を惹こうとする。
エドマンドはグレナデンに気付くと、意外そうに目を見開いたが、すぐに母親譲りの気品ある笑みを浮かべて優雅に一礼した。
「ご無沙汰しております、グレナデン殿。お変わりありませんか」
「ああ、つつがない」
青年の態度は礼儀正しく、まったくもって好ましかった。末っ子はワガママに育つというが、曲者ぞろいのオルドリッジ家ではずば抜けてまともな性格をしているように思える。
「会話を邪魔して悪かった」
「いえ――」
「その通りだよ、君のようなお堅いヤツが来たせいで、可愛い娘さんが顔を隠してしまった」
フィリックスがエドマンドの言葉を遮り、大仰に残念がる。確かに彼の言う通り、従者の少女はいつの間にかエドマンドの背に隠れてしまっていた。
「ああ……すみませんグレナデン殿。あなたがとても厳格な方だと話してあったので、緊張しているのでしょう」
エドマンドが恐縮して眉尻を下げ、グレナデンは『そうか』と口元を引き結んだ。少女とはまだ一言も言葉を交わしていないのに、こんなにも怖がられてしまうなんて、どれほど誇張した逸話を聞かせたのだろうか。
物悲しさを覚えながらも、エドマンドに尋ねる。
「しかし急いでいる様子だったが、悠長に立ち話をしていていいのか?」
自分本位のフィリックスに合わせていたら、会話が終わらないかもしれない。だからこそ助け舟のつもりだったのだが、エドマンドは安堵するどころかわずかな動揺を見せた。
「え、ええ……、火急の用というわけでもありません」
けれど、なにか思案する様子を見せたあと、振り返って背後の従者に目をやる。少女は、エドマンドの視線の意図を察したようで、ハッとしたあと不安げに首を横に振った。
どうやら彼らは、それなりに複雑な事案を抱えているようだ。あまり突っ込んで尋ねるのも無礼か、とグレナデンは退散しようとしたが、好奇心旺盛な友は満面の笑みを浮かべ、エドマンドの肩に手を置いた。
「なんだい、なにか問題が起こっているなら、聞かせてくれたまえよ。人生の
「あの、それが――」
なにかを説明しようとするエドマンドを制止するように、従者の少女が背にしがみついた。どうやら彼女に関連した問題が起こっており、それを赤の他人には知られたくないようだ。もしかすると、それなりにデリケートな内容なのかもしれない。
「シェリル、君の気持ちはわかるが、やむを得ない。ここで同胞の方々に巡り合えたことは幸運だと思って、助力を乞うた方がいい」
「ですが……」
シェリルという名の従者は、可憐な顔に不安をたっぷりとたたえていた。どうにかして憂いを晴らしてやりたいと、庇護欲をそそる表情だ。
少女はしばしエドマンドと視線をぶつけあっていたが、やがて諦念をあらわにする。目を伏せ、渋々といった様子で頷いた。
従者の悲しげな様子にエドマンドは罪悪感を覚えたようだが、意を決したようにグレナデンたちの方へ向き直る。
「……従者を探しているのです。赤毛の、上背のある男です」
「ふむ」「へぇ」
めいめいに返事をすると、エドマンドは小さく嘆息してから続けた。
「この街には三人で訪れたのですが、気付いたら人混みに紛れていなくなっていました」
また息を吐き、疲労困憊したように首を振る。
「力の使い方も、人間との関わり方も、なにもわかっていない。この街にだって連れてきたのは初めてで、金も持たせていませんでした」
「それは……さぞ気がかりだろう。だが、従者ならば気配を探ることができるのでは?」
訝しげに問うと、エドマンドはわずかに目を見開き、少しだけ考え込む様子を見せた。
「……ああ、いえ、その者は母上の従者です。ですから、おめおめと家へ帰るわけにもいかなくて。小言だけで済むとは到底思えないですし、なにより大切な従者を預かった責任がありますので」
「そうか、母君の従者か……」
グレナデンは納得しつつも、エドマンドの言動にわずかな虚偽の色を感じた。
だが、強く追及せねばと思うほどの猜疑心は抱かなかった。きっと、洗いざらいを語れぬ事情があるのだろう。グレナデンだって、この街を訪れてなにをしていたかを子細に話すつもりはない。
この折り目正しい青年と可愛らしい従者のため、世話を焼いてやってもいいか、とグレナデンは思った。オルドリッジ夫人に貸しを作ることもできるだろう。
フィリックスを見遣ると、彼も寛容そうに笑んでいた。
「こちらも急ぎの用事があるわけじゃないから、従者探しを手伝ってあげよう。なぁ、グレナデン」
「申し訳ございません」
恐縮するエドマンドに、グレナデンも柔らかく微笑みかけた。
「では、手分けして探すとしよう。ええと……では、四時にあの時計台の下で落ち合おうか」
先ほどまで屋根の上に登っていた時計台を指し示すと、エドマンドは頭を下げた。
「承知しました。ご厚意に感謝いたします」
「では、君たちのどちらかは私と、もう一方はフィリックスについてくれるか?」
しかしその提案に対して、エドマンドもシェリルもたいそう困ったような顔をして、互いを見る。
どうして快く応じてくれないのか、グレナデンには理解ができない。だって、グレナデンもフィリックスも、探し人の顔を知らないのだから。
どことなく気まずい沈黙が漂い始めたとき、フィリックスが口を挟んだ。
「グレナデンよ、彼らはどちらとも、君のような堅い男と二人きりになりたくないんだよ。会話に困ってしまうからね」
「そ、そんなことはありません」
エドマンドが慌てて否定したが、その性急ぶりは却って疑わしかった。グレナデンは、自身が他者から好かれ難い性質だと理解しているが、面と向かって言われればさすがに傷付く。
フィリックスは軽やかに笑った。
「気にしなくていいよエドマンドくん。君のように生真面目な青年は、きっとグレナデンとは相性が悪い。似た者同士だからさ。私のように、
と、先輩風を吹かせながらエドマンドの肩を気安く叩く。それからシェリルを一瞥した。
「それに、この可愛らしい子を従者にしたのは最近じゃないのかな? だから、片時も離れたくないんだろう?」
すっと目を細めたフィリックスは、エドマンドの顔をまじまじ見つめた。青年の顔から、笑みが消える。
「……どうして『最近』だと?」
「だって、エドマンドくんは従者を持たない主義だっただろう? いつの間に方針変換したんだい」
フィリックスの言葉に、グレナデンもエドマンドの秀麗な面立ちを凝視した。そういえばそんな話を聞いたことがあるな、と。
しかし、グレナデンが二度まばたきする間に、エドマンドの口元に笑みが戻っていた。
「おっしゃる通り、ごく最近です。やはり従者を持ってこその一人前だと、遅まきながら気付きました。それに、こんな可憐な娘を人界に放置し、無駄に年を重ねさせるなど許し難くて」
はにかむ青年に、フィリックスは大仰に同意した。
「ははっ、その通りだね! 美しい花だからこそ最盛期に刈り取らねば! 私はもう少し熟れている方が好みだが、収穫時期の好みは人それぞれだ。待っているうちに
「そうですね」
女を花や果実に例えるのは粋だが、『刈り取る』だの『熟れている方が好み』だのはデリカシーに欠ける気がする。
友人へ警句を飛ばそうかと思ったが、フィリックスは自身で話題を変えてしまった。
「ではエドマンド君。探し人の名だけ聞かせてくれるかな。道端を歩いている赤毛の男に尋ねて回るよ」
「そんな手間のかかることを!」
グレナデンが声を荒げると、フィリックスは肩をすくめ、子どもを説き伏せるように言った。
「いいや、案外簡単だと思うよ。見知らぬ土地で迷子になっているのだから、きっとキョロキョロと頭を巡らせているか、不安そうに縮こまっているか、そのどちらか、もしくは両方だろうさ」
「ん……ああ、お前の言う通りだろう」
反論できず大人しく認めると、エドマンドは再度丁寧に頭を下げた。
「そいつは『ラスティ』と言います。……お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
「……ふむ、了解した」
母親の従者に対して『そいつ』との呼び方は頂けないが、手間をかけさせられている恨みが詰まっているのだろう、そうに違いない。
かくして、グレナデンたちは街の北側を、エドマンドたちは南側を捜索することになった。
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