千思万考

「フィリックス、お前がいたとしても、宵闇の女王を掌中に収めることはできなかっただろう。オルドリッジ夫人の横槍が入ったからな」


 グレナデンが説明すると、フィリックスは目を見開き、『ああ……』と嘆くように納得した。


「夫人が来ていたのか。さしもの君も、かのアーサー・ギャリー・オルドリッジの令閨れいけいに対しては強圧的な態度は取れないよねぇ」


 友の言葉に、グレナデンは渋面で頷く。


「そうだ。あの丈夫じょうふとその一族の不興を買うのは極力避けたい」


 アーサー・G・オルドリッジは、よわい数百を超える傑物だ。カルミラの民は、長く生きるほどに知恵と力を増し、精強になっていく。

 恐るべきは個としての強さだけではない。彼はあらゆる時代、あらゆる国の権力者たちを籠絡し、多くの縁故コネクションと莫大な富を所有している。

 彼に愛された人間の王は隆盛を極め、飽きられたときに衰亡するという、伝説めいた噂さえもある。

 六十歳になったばかりのグレナデンは、彼の足元にも及ばない。


石榴館せきりゅうかんにあれだけの同志が集っているのは、わずかながらにもオルドリッジ家の援助と支持があったからこそだ。夫人の奔放で気紛れな振る舞いも、余程のことでない限りは看過かんかせざるを得ない」

「そうだねぇ……」


 がっくりと肩を落としたフィリックスだが、すぐに軽やかな笑声をあげた。


「だが、あそこも一枚岩ではなさそうだよ。近年は特に結束が揺らいでいるようだ」

「どういうことだ」

「夫妻の絆は強いが、子どもたちすべてが『仲良しこよし』というわけでもない。三男は数年前に出奔したらしいし、一番上の姉はしょっちゅう母親と衝突しているようだ」


 グレナデンにとっては初耳のことばかりで、感嘆せざるを得ない。


「詳しいな」

「まあね」


 フィリックスはにんまりと得意顔をしてみせた。

 誰とでも――例えば、派閥や主義の異なる相手だろうとも――卒なく付き合うことができる彼ならば、グレナデンの耳に入らない情報を知っていてもおかしくない。


「まったく、お前のそういうところは本当に頼もしい。オルドリッジ家に対してちょっかいをかけようとは思わないが、『弱点』を知っておけば、なにかの役に立つこともあるだろう」


 グレナデンの称賛を受けたフィリックスは、軽い調子で言う。


「ま、『弱点』と言えるほどのものかは、まだなんとも言えないさ。それに、自由主義で個人主義なのが、本来の我々だ。子は親の従属物ではないし、成人すればもはや他人だということは君も強く感じていることだろう」


 ちらりと向けられた視線に嫌味なものは含まっていなかったが、グレナデンはつい顔をしかめていた。


「……そうだな」


 グレナデンは父親と同じ『アドルファス』の名が厭わしくて仕方ない。彼の父親も、今回の事件の犯人と同様の人面獣心じんめんじゅうしんやからだったからだ。


 人間の血を吸って死に至らしめることを無上の悦びとしていた。強者たるカルミラの民には、弱者たる人間をなぶって殺す権利があると信じて疑わなかった、まごうことなき人皮畜にんぴちく


 しかも、息子たるグレナデンにも同様の行為を勧めた。『俺の血を引く子だから、同じようにたかぶるに違いない』とごく当たり前のように。

 それがあったからこそ、父親の蛮行が発覚した。

 同胞を連れて、父親の屋敷に踏み込んだときのことは未だ夢に見る。生涯で最も忌まわしい日だった。


 実父を殺害したことは、後悔していない。けれど、あるじを失い狂乱する従者たちまでも手に掛けねばならなかったのは、あまりに辛かった。


 だがそれ以来、肝は座った。

 カルミラの民から悪辣なけだものが出現したときは、容赦なく処断することができる。

 例え同族殺しのそしりを受けたとしても、グレナデンの誇りが穢れることは決してない。


「あ~あ、しかし気になることばかりだ」


 フィリックスは至極残念そうに頭を振った。


「幼子を殺めた殺人犯のことも気になるし、ハリー・スタインベックの方にもすごく興味がある。身体が一つしかないのが惜しいよ。どちらとも、捕らえたその場で殺してしまわないで欲しいなぁ」


 暢気な物言いをする友人に、グレナデンはぴしゃりと返した。


「逃亡を許すくらいなら、トドメを刺す」


 もちろんフィリックスが求めるように、生け捕りにして尋問したい。ことさら、ハリー・スタインベックに対しては。

 主人に絶対の忠誠を尽くすはずの従者が、どうして反乱など成し得たのか。なぜ、ヴィオレットの片目を奪うという暴挙に出たのか。どこからその着想を得たのか。気になることは多々ある。

 

 だが、おめおめと逃すくらいならば、見せしめとして殺しておいた方がずっとマシだ。

 謀反や裏切りは、あらゆる不義理の中でも屈指の悪逆であるとグレナデンは考えている。野放しにせず、可及的速やかに捕縛、誅殺するべきだ。


 けれども――もしかしたらハリー・スタインベックには、そうせざるを得ない理由があったのかもしれない。主人たるヴィオレットに、決定的な落ち度があったのかもしれない。


 しかしグレナデンには、その事情がまったく推測できない。

 ヴィオレットはハリーを格別に可愛がっていたように思えた。彼を自慢するように社交場に連れ出し、主従というよりは新婚夫婦のようにべったり、熱々。その蜜月ぶりは見ていて羨望を覚えるほどだった。


 女王の寵を受けるハリーも、決して慢心せず、傲慢な主人の代わりに周囲に気を配り、常に秀麗で理知的な笑みを浮かべていた。グレナデンは二度ほど、ハリーから非常に風雅で丁寧な挨拶を受けたことがある。


 わきまえ、聡明で慇懃に振る舞うことができる美しい青年は、多くのカルミラの民の関心を集めた。彼のような珠玉の従者を得て、宵闇の女王の権勢はますます大きくなっていくものだと誰もが思っていた。

 だがそれゆえに、ハリーの反逆はたちまち同胞らの知るところとなり、ヴィオレットの評価を地の底まで落とすこととなった。


「ああ~!」


 突如、フィリックスが大声を発した。大通りを見下ろしながら、勢いよく指をさす。


「ほら、見てみなよグレナデン。あれ、オルドリッジ家の末っ子だろう?」

「なんだと?」


 目を凝らせば、確かに銀色の髪の青年が足早に通りを歩いていた。あの髪色は珍しいが、距離があるため、当人である確信は持てない。いや、そもそも髪色だけでは、末子とも限らないだろうに。


「本当に末息子か? だとしても、どうしてこの街に?」

「彼にとっても、この街は『遊び場』だからね。いてもおかしくはないが……」


 フィリックスは顎に手をやってなにかを考えてから、にやりと笑った。


「よし、せっかくだから挨拶に行こう!」


 と、グレナデンの返事を待たずに霧になってしまった。

 一人残されたグレナデンは、友人の奔放すぎる行動に呆然と開口した。それから湧き上がってきた怒りに拳を握ったが、ぶつけどころを見つけられず、大きく嘆息することで落ち着きを取り戻す。


 あんな奴のことは放っておいて、このまま石榴館せきりゅうかんへ帰ってしまおうか迷った。


 だが結局、友人のあとに続くことにした。

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