女王の心をとらえるもの
ヒリつく空気を破ったのは、オルドリッジ夫人。
「ねぇヴィオレット、中庭の薔薇が見ごろなのよ。一緒に行きましょう。――いいわよねアドルフ。もうお話は終わり、よね」
うきうきした調子で双方に語りかけながら、夫人はヴィオレットの背を押した。
そこには、決して優しくない、強靭な力が込められていた。
そのまま二人で応接室を後にする。グレナデンと従者は追って来ない。そういえば結局、茶は出してもらえなかった。
重い音を立てて扉が閉まると、様子を窺っていたらしい同胞たちがそそくさと去って行く。多くは小物だが、いくつか刺すように鋭い視線を感じる。だがそれだけで、ちょっかいをかけてくる素振りはない。
野次馬どもが視界から消えると、ヴィオレットは軽く息を吐いた。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません、夫人」
「いいのよ、痛快だったわ」
先ほどとは打って変わって、夫人の声が低くなる。明朗だった表情もきりりと引き締まり、目に鋭い光を帯びた。これが本来のオルドリッジ夫人の姿。
場の空気を破壊するための演技をしてくれていたのだ。
「それに、あなたは娘同然だもの。気にしなくて結構よ」
「……はい」
素直な返事をしつつも、ヴィオレットには『娘同然』という言葉がどうもピンと来ない。カルミラの民は基本的に、親子の繋がりが希薄だからだ。
けれどその『しがらみ』を打ち破ったからこそ、オルドリッジ家は大繁栄している。
「さぁ、薔薇を観賞しに行きましょう」
「はい」
二人は我が物顔で石榴館を闊歩し、中庭に足を踏み入れた。
ヴィオレットは夫人をエスコートするように寄り添って歩きつつ、美しく花開している白い薔薇を冷めた目で眺める。
この屋敷の主人のように潔癖な花弁。吸い上げているのは赤黒い血だというのに、滑稽なこと。
だがしかし、情熱を司る赤い薔薇を咲かせるヴィオレットの庭も、きっと今の彼女には相応しくない。
「今回の事件、困ったわね」
夫人がぼそりとつぶやいた。遠巻きにこちらを窺う同胞に会話の内容を悟られぬよう、花を愛でる風雅な貴婦人の表情を保っている。ヴィオレットもそれに倣った。
「はい、まさか私を騙った者が現われるなど……。
かつてのヴィオレットは、傲岸不遜を絵に描いたような振る舞いをしていた。
そして、とある事件のあとは、カルミラの民の誇りを汚した者として白眼視されている。
夫人は花弁を愛撫しながら言った。
「そうとは限らないでしょう」
「え?」
ヴィオレットは眉をひそめた。夫人の金色の瞳が鋭く輝く。
「犯人は、『見る者によって男にも女にも映る人物』だそうね。……そんなの、化粧や服装を工夫したってなかなか真似できることではないわ」
薔薇を愛でていた夫人が振り返り、伸ばされた指先がヴィオレットのフロックコートの襟をなぞる。外野からは、素材の上質さを確かめているように見えるだろう。
「ということは、あなたと同様に『そういう能力』を所持している者が犯人なのではなくて? あなたのように、あまねく人々を魅了できる能力者……つまり――」
「……つまり?」
ヴィオレットは思考を巡らせるが、まったく見当がつかない。
ふと、自分と同じ血を引く実母の顔が浮かんだが、あの女にそんな能力はなかったはず。第一、被害者は少女ばかりらしいが、あいつは生粋の男好きだ。
母親の面を思い出してむしゃくしゃしていると、夫人が冷たく低く言い放った。
「あなたの力の半分を奪ったあの男――ハリー・スタインベック。……彼の犯行ではなくて?」
「――!」
再び耳にするその名に、ヴィオレットの心臓は激しく収縮を始めた。
「それは、そんな、いえ……まさか……!」
反射的に右目を押さえそうになったが、かろうじてこらえた。
右の
今朝見た『夢』を思い出す。カルミラの民のもとから従者を一人攫っていった。一体、なんの目的で。なにか大それたことを仕出かそうとしているのだろうか。
思索に耽っても、答えが出ることはない。
「ヴィオレット、義眼の調子はどう?」
「……はい、問題ありません」
「そう、よかったわ」
声のトーンを落とすヴィオレットを案ずるように、夫人は優しく微笑んだ。けれど、次にその口から出た言葉はあまりに冷ややかだった。
「グレナデンたちは、今回の事件とハリーの繋がりを疑ってさえいない。あなたの『目』の真価を知らないのだから」
また薔薇を愛でる貴婦人の姿をしながらも、夫人は淡々と言う。紛れもない真実を羅列するかのように。
「ここの連中にハリーの始末を任せるべきではないわ。彼らはきっと、あなたの『目』を我が物とし、その力の本質を探ろうとする。もしくは、それを人質にして、あなたを意のままにする気かもしれない」
『意のままに』――。子を為せ、と言われたときのことを思い出し、ヴィオレットはぞくりと身を震わせる。
「だからあなたが自らハリーを捕らえ、奪われたものを取り返さねばならないわ」
夫人は振り向くことなく言い、ヴィオレットは立ちすくんだまま返事をすることができなかった。
ただ、胸の奥から湧き上がってきた『連続殺人なんて、彼はそんなことしない』という叫びを必死で押し殺していた。ハリーを庇いたい気持ちでいっぱいだった。
――事実、かつて彼はそれを行ったというのに。
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