女主人の帰還

 ヴィオレットは石榴館せきりゅうかんから帰宅してすぐ、シェリルの出迎えを待たずに応接室へと向かった。

 てっきり三人揃っているものだと思っていたが、エドマンドだけが椅子にふんぞり返って焼き菓子ビスケットをつまんでいた。ヴィオレットを見て、金色の目を細めて笑う。


「やぁヴィー、早かったね。どうやら何事もなく済んだようだ、良かった良かった」

「……母刀自おもとじのお陰でな」


 すっかりくつろいでいるエドマンドに苛立ったが、母親のオルドリッジ夫人の取り計らいがなければ、どうなっていたかわからない。夫人に免じて、ぶん殴るのはやめることにした。

 だがエドマンドの様子からすると、夫人が石榴館にいることは知っていたようだ。母子が示し合わせて企てた策略に、まんまと嵌まったらしい。


 むかむかした気持ちを扱いあぐねていると、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。それがシェリルのものだと、すぐにわかった。

 扉が乱暴に開けられ、次いで甲高い呼名。


「ヴィオレット様!」


 シェリルはまるで数年ぶりの再会であるかのように目を潤ませ、ヴィオレットに駆け寄ろうとしたが、数歩進んだところでぴたりと止まった。


「あっ、あ、失礼致しました。……おかえりなさいませ、ヴィオレット様」


 と、スカートの裾をつまんで、辞儀カーテシーを行う。

 健気な少女の姿に、ヴィオレットの胸はほっこりと温まった。自らつかつかと歩み寄り、シェリルの小柄な体躯を強く抱き締める。


「心配をかけたわね」

「いっ、いえ……そんな、とんでもございません」


 腕の中で、少女の身体が熱を帯びていく。ごくわずかな体温の変化さえわかるほど、カルミラの民と従者の繋がりは強いのだ。


 ――ラスはどこ?

 その台詞が喉元まで込み上げたが、ぐっと飲み込んだ。今はこのメイドを可愛がってやりたい。ヴィオレットの気配を察して、真っ先に駆け付けてくれたのだから。

 頭を撫で、頬擦りしてから、ようやくそれを口にした。


「ラスは?」


 シェリルの頭飾りホワイトブリムを整えてやりながら、彼女ではなく、澄ました顔で茶――いや、香りからして珈琲コーヒーのようだ――を飲んでいるエドマンドへ尋ねた。

 カルミラの民の興りから生態、人外の技能までを教えてくれたとは到底思えないが、それなりに友好を深めてくれなければ困る。男同士でなければ、わからぬこともあるだろう。


「ラスティ様には、裏庭の片づけをして頂いています」


 しかし、答えたのはシェリルだった。ヴィオレットは役立たずの幼馴染へ冷淡な目を向けるが、彼はこちらを見もしない。


 裏庭には、不要な家具などが放置してある。

シェリル一人では屋敷のすべてを管理することがままならず、そのうえ危険な解体作業などやらせるわけにはいかなかった。

 だが、その代償として雑草が我が物顔で葉を茂らせており、ヴィオレットは見て見ぬふりを決め込んでいた。ラスティは、それを少しずつ片づけてくれているのだ。


 ラスティは、ただ座してヴィオレットの帰宅を待つことができなかったのだろう。だから、あえて日常の作業をして、気を紛らわせているに違いない。

 その気持ちを慮ると、ヴィオレットの胸に罪悪感が芽生える。


「ラスティ様を呼んで参ります」


 シェリルの言葉に、『私が行くわ』と言いかけたが、瞬時に思い直した。


「ええ、お願いできるかしら。汚れたままここに来ようとしたら、尻を蹴っていいわ」

「かしこまりました」


 くすりと笑いながら頭を下げ、メイドは小走りで去って行った。小動物のようでまこと愛らしい。


「さて、エドマンド」


 二人きりになると、ヴィオレットは男性のように低い声で幼馴染へ声をかけた。

 銀髪の青年はバスケットを覗き込んで、焼き菓子をもう一枚食べようか思案中。それが白々しい演技なのか、はたまた素の姿か、今はまだ計り難い。


「私になにか、言うことはないか?」

「なにを藪から棒に。……うーん、強いて言えば、しばらくここに住みたいな」


 しれっと言われ、ヴィオレットは鼻白む。


「なぜだ?」

「だってさ、この家にぼく以外の男が住んでると思うと……平静ではいられないよ」


 と、エドマンドは拗ねた物言いをして、子どものように口を尖らせた。昔からよくする顔だ。軽薄な態度で真相を隠しているのかは、やはり掴むことができない。


 オルドリッジ夫人は、今回の事件の犯人はハリーではないかと言った。

 だが、夫人以上にハリーを憎んでいるはずのエドマンドは、ただの一言もそんなことを口にしていない。意図的に隠しているのなら、夫人と示し合わせていないのはおかしい。口裏合わせに失敗したのか、なにか事情があるのか。


 しかし、ヴィオレットは己の口からハリーの名を出すことができない。一言でも口にすれば、震えが止まらなくなりそうだから。

 恐ろしい呪いのようなそれは、『精神的外傷トラウマ』と呼ばれるものだと、彼女はまだ知らない。


「住みたいなら好きにすればいいが、あいにく寝具がない。犬のように這いつくばって床で寝たいのなら、泊まっていけ」


 心の惑いを隠すようにぴしゃりとはねつけると、エドマンドは穏やかに微笑んで立ち上がった。小洒落たデザインの革靴の踵を鳴らしながら、ゆっくりとヴィオレットへ近寄ってくる。



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